誰にとっても大切な存在があります。

 

愛着感があって、

我儘も言って、

休息場所で、

 

人生のいろんな物事の基準にもなっていて、

 

意識するかしないかはともかく、

それぞれに固有の歪みを含めて、

個性となってその人に宿ります。

 

大切な存在とは、

たいていの場合家族で、

 

ただそれを、

素直に心地よいと感じられるかは

また別の話かもしれません。

 

私自身、

原家族が離散して混乱していた頃は、

そういったことに思いを馳せる余裕が

ありませんでした。

 

内面に怒りや哀しみ、不安を抱えながら、

本当なら自分の足で立って動いて、

その世界の外側に出て、

 

自分という存在がどれほどちっぽけで、

どれほど愛しく、

どれほど稀有な存在で、

 

何よりそれが。

どれだけ大切な存在によって

もたらされた感情であるか、

 

知ることを拒んでいたからです。

 

まだ、20歳前後の若い頃で、

荒れて怯えてもいたし、

震えてもいましたが、

 

今の自分がその頃の自分に会ったら、

ただ一言、『そんなに怖がらなくていい』

と伝えて、一緒に横にいると思います。

 

 

 

話を大切な存在としての家族に戻しましょう。

 

大切な理由って何でしょう。

なぜそんなに大切に感じるのでしょう。

 

それは、

 

長い時間の中で喜怒哀楽をともにして、

いつしか自分を構成する心の血肉と化した

存在になっているから、です。

 

だから、本質的な意味では、

血縁である必要もありませんが、

いずれにせよ大方の人にとっての大切な存在は

家族ということになるでしょう。

 

日々の暮らしの中で、

収拾のつかなくなった感情の嵐に翻弄されて

日常生活がおかしくなっている場合、

 

大方はそういった大切な人々との関係で

育まれた世の中の見方や受け止め方を介して、

最後は自分自身に行き着きます。

 

 

自分の内側が感情の嵐になっている時、

そこにあるのはほぼ、

怒りと哀しみではないかと思います。

 

特に怒りは、自分も他者も破壊しかねない

厄介なところがあります。

 

怒りの感情が日常の中で長く尾を引いて、

心身にまで影響を及ぼすようであれば、

 

その怒りが直接向いた相手や出来事よりも

メタファ(暗喩)、つまり何某かのメッセージを

自分が自分に伝えているのかもしれません。

 

その感情をもたらす基準となっている

本来の自分の想いと対峙することを避け、

見ないようにすることで得られるメリットを

感じているのでしょう。

 

メリットと言っても実際には、

タバコが徐々に身体を傷つけていくように、

心を蝕んでしまうものなのですが。

 

そういった意味では、

目の前に現れているものは、

全て“結果”です。

 

“結果”を原因と見紛うから、

感情の素に対処しているつもりが、

明後日の方向にいってしまうわけです。

 

その証拠に、

どれほど丁寧に、粘り強く対処しても

同じようなことが繰り返し起きるのでは

ないでしょうか。

 

自分にコントロールできない目の前の何かを

コントロールしようとすることは、

悪い方向にしか行きません。

 

無理なことをしている、と

気づくことができればよいのですが。

 

幸せは、自分自身と相談して、

自分が自分の人生に望んでいることを思い出して、

それに沿って生きる中に既に用意されています。

 

トラブルに魂を奪われ続けて、

人生自体までおかされる負のスパイラルから

早く抜け出してください。

 

その方法の最たる一つが、

標題の『自分人心を抱きしめること』

です。

 

私たちは自分が幸せでないと感じるほどに、

幸せの感覚を経験しています。

 

何かがつらいということは、

つらくない状態を経験しているということ。

 

幸せも同じではないでしょうか。

 

 

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