かけがえのない自分に気づき、

見失っていた自分の人生を

もう一度歩みだすきっかけがある。

 

記憶の彼方に置いてきてしまった

人や風景との再会、

 

何かに触れた時に甦る淡い想い、

 

見ないようにしていた感情の流出、

 

喪失し、二度と戻らないと思っていた

思い出の追体験。

 

想起するシーンはその人だけのもので、

それこそ無数に存在する。

 

今回は、

かけがえのない自分を生きる力を得る、

“心の原風景”の蘇生について、

お話しする。

 

原風景という言葉を調べてみると、

 

「懐かしさの感情を伴う」

「心象風景」

などの記載がみられる。

 

原風景という言葉自体が、

 

「心象風景」、つまり、

心に想い描かれた風景なので、

 

実際の風景・光景というよりは、

素の感覚で感じとり五感に根付いた、

その人自身の世界を表すものである。

 

言い換えれば、

その人の世界観を形作る無数の

シーン・思い出と、

 

その中にいるその人自身を指している

ともいえる。


生まれてから今まで口にしてきた飲食物が

私たちの体を構成するように、

 

無数の出来事と思い出、

その核ともいうべき原風景は、

固有の心と感性とを紡ぎだしている。

 

以下は、私自身の一例だ。

 

まだ小学生の低学年の頃。


居間のコタツでうたた寝から目覚めた、

真冬の記憶の一つ。

 

学校が終わって外で遊びまわり、

家に帰ってコタツでテレビを見ているうちに

いつの間にか眠ってしまっていた。
 

目が覚めると、ぼんやりした意識の中で

ぽかぽかと温まった体に

けだるい感じがあった。

 

部屋の明かりがつけられていて、

テレビから大相撲中継の終わりを告げる

太鼓の音が聞こえていたから、

 

おそらく夕方の六時ごろだったと思う。

 

隣接する台所からは、

夕食の準備で何かを煮ているらしい

鍋の音がしていた。
 

記憶とは、

本人が気づかないほどの細部が

微妙に書き換え続けられながら

覚えているものだから、

 

もしかすると別の時間の

別の番組だったかもしれない。

 

それでもこの風景は、

私の子供の頃のささやかな記憶の一つで、

多くの思い出の中の1シーンだ。

 

ぼんやりとした感覚といい、

けだるく懐かしい感じといい、

 

どこかプルーストの

「失われた時を求めて」の出だしのシーンと

似てるな、

 

と思ったこともあって、

 

何かのセミナーの集まりで、

仲間の一人に話したら、

全く違うと言われてちょっと凹んだけど。

 

冬の寒さとコタツの温もり、

台所から漂う夕飯の匂い、

テレビから聞こえてくる声、

 

窓の外で木枯らしが木々を揺らす音、

うたた寝、

まどろんだけだるさ、

 

そしてそこに批判も蔑みもなく、

自分がいることが当たり前である、

と認識している自分
 

それは、

自分自身の存在を当たり前に認めている

私自身を構成する、

 

ささやかな原風景である。

 

お分かりいただけるだろうか。

 

あまりインパクトのない、

おそらくは誰の中にも存在しうる、

ごくありふれた懐かしい記憶。

 

そしてそんな風景に佇む

自分に戻ることで得られる

抱擁感と肯定感。

 

そんなものありゃしない、

そんなこともあったかもしれないけどもう関係ないよ、

そういうのって今はなんか嘘っぽく感じる、

なんか胡散臭い、

 

という方もおられると思う。

 

自分にとっての原風景は、

最悪のひどい出来事ばかりだった、と。

 

だからこそ、このブログを書いているし、

この後の話は、

そういう方々にこそお伝えしたい。

 

家族の崩壊、肉親の自死といった、

ある時期に家族に起こった

いくつもの哀しい出来事、

 

それに呼応するように自分で自分に向けて

無意識に、無制限に与え続けた

忌避と蔑みの感情

 

そういったものの果てに、長く、

 

自分がいることが当たり前である、

と認識している自分
 

でいられる記憶を自分の一部として

感じられなくなってしまっていた時期があった。

 

温もり、優しさ、気持ちよさ、美しさ、

胸を震わせるような感動…

 

家族を土台として、

育まれ、紡ぎ出されるそれらの想いを

ずっと嘘くさく、胡散臭く感じ続け、

遠ざけていたのだと思う。

 

そうしておかないと、

今度同じようなことが起こったら、

きっと耐えられないだろうと感じていたから。

 

だから、今お伝えしたいことは、

 

あなたの年齢も性別も関係ない、ということ。
 

あなたには、
その時の自分の許容量を超える、

哀しい、残酷な、ひどい出来事が

おこってしまったのかもしれない。

 

あたかもそれらを

自分自身が原因であるかのように受け止め、

 

気づかないうちに

自己不信と自尊心の破壊衝動を

染み渡らせてしまったのかもしれない。

 

そんな状態で、

そんな見方で、

そんな感覚で、

 

ほんとうに、

よく生きてきたものだ、

と思う。

 

でもね、

自分に向けて、
 

そんなひどい言葉を、ぶつけなくていい。
そんな責任、感じなくていい。
そんな受け止め方、明らかにおかしい。

 

 “そんな”はもういらないんだ。

 

 

それは、

きっかけは母との再会、

そして久々に見た昔のアルバムだった。

 

ある春の日の夕刻、

長く疎遠にしていた母親が交通事故にあい、

地元の救急外来に担ぎ込まれた、

 

と連絡があった。

 

最悪の状況も想定して病院に到着すると、

白髪で皺くちゃ顔になった母親

がベッドに横たわり眠っていた。

 

長い歳月、音沙汰なくしておきながら、

少ししたら退院して普通に暮らせる、

という医者の言葉に安堵した。
 

夕刻、母が暮らす田舎家に足を運び、

保存していたアルバムを見る機会があった。

 

ページをめくるたび、

 

昔から何度も見ていたはずの、

赤ん坊の頃から子供時代を写した

幾枚もの写真が目に入ってきた。

 

父と母と妹と私が様々な場所で

いくつもの表情を浮かべながら

フレームに収まっていた。

 

田舎家をあとにして、部屋に戻った日の夜。
 
眠りにつこうとして、

部屋の明かりを消して

ベッドに入ろうとした時だった。
 

ずっと昔の、

真冬の夜の記憶が湧き出してきた。

 

体に蘇ってきた感覚が

体中に風景を再現した、という感じだった。

 

大晦日の夜のこと。
 

当時、我が家は

古い借り物のアパートに暮らしていた。
 

私はまだ小学生で、

おそらく紅白か何かを見終わって

眠りにつく準備をしているところだったと思う。

 

特別に夜更けまで起きていられた

小さな興奮もあって、

 

そのまま眠ってしまうのが

もったいなく感じた私は、

 

布団の敷いてある部屋をそっと抜け出し、

ドアを開けて真夜中の戸外に出た。
 

身が竦む冷気に思わず体に力を入れながら、

視線が自然と上に向いた。

 

小道に面したアパートの踊り場から

見上げた夜空は透明で、

星が瞬いていた。
 

もうすぐ年明けを迎える町は

しんと静まり返っていた。
 

小さく吐いた息が白くなった。
風のない冬の夜の冷気が全身をおおい、

ひんやりと感じた。

 

嘘はない。

 

その静かな直観が私を包んでくれた。

 

嘘はない。
嘘なんて、なかった。

 

胡散臭さも、不信感も、蔑みも、

どこにもありはしない。

 

ただ、直面する勇気と余力がなかったんだ。


ゆっくりと、止めどもなく、涙があふれてきた。

 

冬の冷気の心地よい寒さも、

見上げた夜空の透明さも、

しんと寝静まった真夜中の町の風景も、

 

その時、私が感じ取ったことには、

嘘のかけらさえ存在しない。

 

それらは全て今の私につながる、

私の世界観を支える原風景だ。

 

そこには、

私という存在が当たり前にそこにあって、

 

当たり前であることが

当たり前であるほど

自分の存在を肯定していて、

 

その私がドアを開けて家に入れば、

 

そこには父がいて、

母がいて、

妹がいた。

 

私たちは一つの空間で一緒に暮らす家族で、

例えその後ばらばらになってしまおうが

崩れてしまおうが、

 

その時、その場所に4人が家族として

暮らしていたことも、

それぞれが家族だと思っていたことも、

 

どこにも嘘なんてなかったんだ。
 

写真に写る子供の私と妹、

そして今これを書いている私より

若い時代の父と母の姿。

 

それは、皆が、持てる世界観の中で、

怒って、笑って、苛ついて、ドキドキして、

 

そんな様々な感情と欲望を抱えながらも、

ずっと家族が続くものだ、と思いこんで、

生きていた証だ。

 

その後に起こった哀しい出来事は、

確かに喜びとは程遠いものだ。

 

しかし、そのことによって、

誰のものでもない、

自分の心と体が感じていた、

 

この世に当たり前に生きている

小さな1コマ1コマが

永遠に失われることなんてないのだ。

 

互いに年を重ねながら

変化していくはずの家族を

哀しい出来事の中で失って、

 

そこに根差した自分の根幹を形作る

大切な想いや感覚までを、

胡散臭いと、嘘だと、

 

否認していたのだ、と、

実感した瞬間だった。

 

それまで自分を支えていた原風景と

その底流に流れる肯定感を、

 

その後に襲ってきた哀しい衝撃の後も

継続して感じ取るには

時間が必要だったのだろう。

 

そうやって意味を理解する間にも、

一度は遠ざけていた原風景や、

当時は気にも留めていなかった風景が

 

時間も場所もばらばらに、

しかし愛おしさの中に

何日もかけてあふれ出てきた。

 

人間だから、怒りや憎しみや哀しみに

溺れることだってあると思う。

 

それら“だけ”を原風景として生きていると

やがて疲弊し、

世の中を恐ろしいものと捉え、

 

とても生きづらくなる。

 

それでも何とか生きていられるのは、

それを中和して余りあるだけの、

あなたを包み、勇気づけてくれる原風景が

 

眠っているからだ。

 

それは誰にも奪うことはできないし、

ずっと当たり前に居続けてくれる

それらの感覚は、

 

自分以外の何者かであるはずもない。

 

これまでに口にしてきた飲食物が

自分の体を構成しているように、

 

友達との他愛ない与太話の時間や

恋の切なさの記憶など、

 

無数の過去のシーンと

そこに間接的につながる仲間や家族、

その時流れていたメロディや

身を置いていた風景などが

 

あなたの世界を心の中に作り上げて、

あなたが感じ想うあなたを作り上げている。

 

そういった、

普段忘却しがちな場面や

そこに付随する感情は、

 

自分という人間が、

かけがえのない存在であることを

知らせてくれる大切な要素の一つだ。

 

原風景を内在化したから全てが解決する、

と言うつもりはない。

 

しかし、これは、

かけがえのない自分を生きるために、

誰もが再体得したいプロセスだ。

 

いつまでも自分を忌み嫌い、

人生や未来を否定し続けることは、

 

ここまで何とか生きてきた自分という存在を、

あまりに馬鹿にしている、

あまりに軽んじすぎている。

 

必死に生きている他者をも蔑む行為だ。

 

認めたくはないかもしれないが、

そうしたいから勝手に自分を貶めている、

 

と気づきのかけらを得るとき、

眠らせていた記憶がまた原風景として

未来へ歩みだすための力を与えてくれる。

 

特別なことは何もない。
 

ただ、当たり前に自分の中に存在する、

自分だけの一つ一つの輝きを

認めてほしい。

 

その輝きは、

世間の評価軸とは何の関係もない。

 

そして、揺らいで生きてきて

つらかった私たちの中に

私たちに必要な1つの軸をもたらしてくれる。

 

ふわふわと頼りない足取りの歩みに、

自分自身で生きていくための足場を与えてくれる。 

 

それこそが、

あなたが自身の中に宿してほしい

原風景のことだ。
 

 いつだってあなたの中にそれはある。
 いつだってあなたの中でそれは待っている。
 いつだってあなたに寄り添ってくれている。

 

心の原風景を取り戻そう。

 

 

 

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