昭和「先生に殴られて育つ」→令和「“桃鉄”で楽しく勉強」、子どもにやさしい社会はどこからが甘やかしか?

武藤弘樹 の意見

 • 19 時間 

2024.4.15

 

時代の変化とともに大きく変わったもののひとつに教育がある。子どもといえば厳しくしつけてなんぼ、いざとなれば殴っても構わなかった昭和の教育は、現代では不適切にもほどがある。一方、このような育てられ方をした上の世代は、下の世代とどのようにコミュニケーションを取れば良いのか戸惑いもあるのではないか。子どもに「やさしい」と「甘やかし」の境界を考える。(フリーライター 武藤弘樹)

年々ピークを更新子どもに雑な社会から「やさしい」社会へ

 近年は実に子どもに「やさしい」社会である。昔はもっと子どもが雑に扱われていたものだが、子どもへの扱いは時代を経て丁寧になってきた。

 筆者(1980年生まれ)の親世代は、先生にバンバン殴られ吹っ飛びながら育ったと聞かされているが、筆者の世代では教師の暴力は周りにはたまにあったものの、よほど減っていた。しかし雑さはまだ色濃くあって、たとえば小学生の頃通っていた合気道の道場で怪我をした際には、先生から問答無用で傷口にセロハンテープを貼られていたことなどを思い出す(あの道場が特別雑だっただけだろうか)。

 

 今は少子高齢化も手伝ってか、子どもはとにかく大事大事に考えられていて、その厚遇ぶりは年々ピークを更新している具合である。

 かくいう筆者も子を育てる親として、やけに子どもに甘い自分を自覚しながら日々を過ごしている。「子どもにやさしい」と「子どもを甘やかす」は違うはずなのでその線引きには注意深くありたいと常に身構えているものの、はたして自分の尺度が適切なのかはわからない。

 

 そんな筆者の感情はさておき、時代の変化を感じさせる最近のニュースは次のようなものだ。

 山口県がラーケーションという制度を導入することを発表した。「子どもが保護者の休暇に合わせて平日に年3日ほど学校を休める。欠席扱いにはならない」というもので、子どもにとっての有給休暇のようなものである。対象は小・中・高の学校と特別支援学校で、「ラーニング」と「バケーション」を組み合わせた造語であるラーケーションなる制度を、最近は全国の自治体がポツポツと導入して始めているところである。

 

 また、みんなでワイワイやる国民的パーティーゲーム『桃太郎電鉄』、通称『桃鉄』シリーズでは、去年から学校向けに『桃鉄 教育版』というものを配信し始めた。導入は無料、桃鉄名物の貧乏神は出てこないなどの特徴がいくつかあり、授業用タブレットでプレイできるとのことである。

 そういえば筆者も、全国の地名や特産品は桃鉄のプレイを通して自然と覚えたことを思い出した。桃鉄は学習効果の高いゲームであり、これを公に導入している学校は約7,000校だという。楽しくしっかり学べるなら、それに越したことはない。

 

「ゆとり教育」から「生きる力」へやさしさの軸はどう変わったか

 しかし、ラーケーションも桃鉄授業も、筆者の世代になかったものだからか、ずいぶんと「やさしく」感じられる。教育が「やさしい」方向に行こうとしているのを見ると、真っ先に思い起こされるのはゆとり教育である。「脱詰め込み教育」を目指して導入されたゆとり教育は、学力低下論争を引き起こしたと言われ、ネットでは「ゆとり」という言葉が悪口や批判として使われるようになった。やがて、今度は「脱ゆとり教育」が目指されることとなる。

 

 ゆとり教育は授業時間を減らす方向性を含んでいたが、脱ゆとり教育では段階的に授業時間が増やされた。しかし、ゆとり教育以前の詰め込み教育への回帰を目指すのではなく、詰め込みでもゆとりでもない境地として、文科省は「生きる力をはぐくむ」というキャッチフレーズとともに新学習指導要領をスタートさせた。

 

 火の起こし方や星の読み方、毒草の見分け方などを教えていくのかと思ったらそうではなく、「これからの社会において必要となる『生きる力』を身に付けてほしい」と、なんともふわっとしたところに着地したが、「脱ゆとりだけど詰め込み回帰でもなく」を目指したい文科省の思惑はなんとなく伝わるものがあった。なお、この学習指導要領の改定は2008年に行われた。

【参考】生きる力 文部科学省

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/pamphlet/__icsFiles/afieldfile/2011/07/26/1234786_1.pdf

 

 いつ頃からだろうか、世間の価値観もやや変わりつつあった。それまで、「長い時間をかけて努力するほど偉いし、結果につながる」という根性論的な考え方がありがたがられてきたが、「然るべき効率で取り組んで、然るべき成果をあげよう」という脱根性論もひとつのスタンダードになってきた。

 

 そのような時代なので、ラーケーションや教育版桃鉄と聞くと「ずいぶん”やさしすぎる”のではないか」と感じる向きもあろうが、学習効果を高める可能性を秘めた方法という面からは評価されるべきであろう。

 

データで見る意外な真実「Z世代は離職率が高い」は本当か

 ゆとりより上の世代からすると、ゆとり世代もZ世代も育った環境が「やさしい」、もっといえば「ぬるく」感じられる。これはより過酷な環境で育ってきたゆえの妬みも関係していると考えられる。「自分のときはあれだけ大変だったのに、今はそうじゃないなんて」という気持ちから粗探しをしたり、また時代・世代ごとに価値判断の基準が違うので、だから「今どきの若いものは――」という言葉も出てきやすいのである。妬みは人間に自然な感情なので、ある程度は受け入れるべきだが、行き過ぎて暴走しないように自戒しておく必要はある。

 

 ここ最近では、Z世代がやいのやいの言われているのを度々目にする。いわく「堪え性がない」「自己本位の個人主義で、協調する努力が見られない」などである。「Z世代は離職率がやばい(高い)」と言われ、Z世代取扱説明書的に「Z世代には、押し付けをせずに、彼らを理解せよ」といった指南も数多く聞かれるようにまでなった。

 では、はたしてZ世代になったらどれくらい離職率が上がったのだろうと調べてみると、興味深いことがわかった。参考にしたのは厚労省が昨年10月に出した「新規学卒就職者の離職状況」というデータである。

【参考】 新規学卒就職者の離職状況

https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000177553_00006.html

別紙1 新規学卒就職者の学歴別就職後3年以内離職率の推移

https://www.mhlw.go.jp/content/11805001/001156476.pdf

 

 これによると、たとえば「大学卒・1年目の離職」は2007年から2022年までおおむね11~13%を推移していて、「Z世代だから目立って離職率が高い」と断言できるような有意性ある数字が認められないのであった。むしろ15%以上で推移した2000~2005年の方が目立って高い。

 

 つまり「Z世代だから仕事を辞めやすい」は、おおかた印象や思い込みから出てきた言説であって、事実を正確に言い表したものではないようである。

 とはいえ、上の世代がZ世代と相対するとき、世代間の価値観の違いから戸惑いを覚えているのは事実であろう。昭和にあった「1つの会社に一生奉公」という価値観は今ではあまりスタンダードではない。仕事や会社に関するパラダイムシフトが確実に行われてきているので、両者お互いの価値観にリスペクトを払いつつ、柔軟に向き合っていければ理想的である。

 

 なお筆者の感想だが、Z世代に見られるポジティブな特徴として「他者に繊細な気配りをしようとする」「言葉選びや伝え方がうまい」を指摘しておきたい。前者は子どもに「やさしい」社会が育んだ成果であろうか。後者は、作文が本職の筆者から見ても感心させられることが多々ある。メールやLINE、SNSなど、文字で何かを伝えようとする機会が筆者たちの世代より多く、伝達スキルが磨かれているからかもしれない。

ある程度のストレスも必要なものとして取り入れる

 さて、子どもに「やさしい」社会になってきているのは先に述べた通りである。ときに「教育」の名を借りた大人から子どもへの理不尽なハラスメントが見直され、減ってきているのは間違いなく歓迎すべき傾向である。あとは、子どもへのやさしさのあり方、すなわち子どもへの負荷・負担をどう考えるかという問題である。

 

 人間が健康に生きていくためにある程度のストレスが必要とされるらしいことは周知の通りで、子どももそれは同様である。むしろ子どもの場合は、ストレスがもう一段階有意義な体験になりえる。ストレスを経験することによって、ストレスへの耐性や、困難な状況を自ら解決していく力を育める可能性があるからである。

 

 こうした考え方は発達心理学等の専門家が指摘していて、現場で子育て・教育に当たる保護者としてはぜひ肝に銘じておきたく思うのだが、やはりどうあっても「やさしさ」と「甘やかし」の境界線の設定は難しい。ひとつの定型を正解と定めて、それでゴリ押していけるような種類のものでもないので、子どもの性格や状況を見ながら、その時どきで判断していくしか方策がない。

 時代によって良しとされるものが変わるから、正解(とされるもの)が変わっていくのも子育て・教育の特徴であろうか。肝要なのはひとつの着眼点に固執しない柔軟性であり、それが施す方・施される方両者にケアしている有益なあり方だと感じられる昨今である。

 

大好調の意見

 「時代によって良しとされるものが変わるから、正解(とされるもの)が変わっていくのも子育て・教育の特徴であろうか。」とのことであるが、教育とはそんな簡単なものであろうか。結果には責任が生じると考えるが、一体だれが撮るのだろうか。

 

なお、お恥ずかしいけれど、私は「ラーケーションや教育版桃鉄」なる言葉は初めて聞いた。