投資の神様・バフェットの「運のよさ」にはちゃんとした理由がある 視野を広くして柔軟な思考方法を身に着けろ

大原 浩 の意見 • 3 時間前

「運」は果たして存在するのか?

「運」が良いとか悪いとか、我々は日常でよく口にする。しかし、そもそも「運」というものは存在するのであろうか。

2023.3.27 

 

哲学の世界には「決定論」というものが存在する。「あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している」という考え方だ。

噛み砕いて言えば、「この世の中の出来事にはすべて『原因』があるから、その『原因』によってすべての出来事が決まる。したがって人間の『自由意志』や『偶然』というものは存在しない」ということである。

 

ずいぶん小難しい感じがするかもしれないが、例えば占いを信じる人は(少なくとも占いの部分に関しては)決定論者である。

占星術、四柱推命など、どのような占いであっても「人間の運命はあらかじめ決まっている」という決定論の立場に立たなければ成り立たないからだ。

 

また、科学の基本的な考え方も「決定論」である。科学は「原因」が同じであれば「結果」も同じになるということが大前提だ。科学実験の結果がそのたびに異なるのであれば、科学の「再現性」が損なわれ、根本から崩壊する。

 

その考えを延長すると、宇宙のすべての構成要素を微細に分解し、そのすべての動きを計算すれば「神のごとく未来を予想できる」ということになる。もっとも、現実には、宇宙の構成要素のすべての動きを計算するには、宇宙に存在する物質以上のものが必要だから(いくら科学技術が発達しても)無理であるようだ。

 

だが、100年ほど前に登場し科学の世界を一変させた量子論は、古典的な科学の概念を覆した。

2019年10月25日公開「それでも量子コンピュータが本当に役に立つか疑わしいこれだけの理由」で述べた量子コンピュータの基本原理である「重ね合わせ」は、「2つの異なった事象が観測されるまで『同時に存在(決定されない)』し、観測されて初めて(それぞれが)決定される」という極めて奇妙なものだが、この事実は「物事があらかじめ決まっている」という決定論の立場を突き崩す。

 

基本的に量子の世界は、原因と結果をベースにする「方程式」の世界ではなく、様々な事象が「確率」に基づいて起こるのだ。

アルベルト・アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言葉は、量子論に対する彼の懐疑的立場を示すものとして有名だ。しかし、その後の研究の進展によってアインシュタインの言葉にも関わらず、量子論の正しさが証明された。

つまり、我々は「神がサイコロを振る」世界に生きており、「運」というものは確かに存在するということである。

運の総量は同じだ!?

神が一体どのくらいの回数サイコロを振るのかはわからないが、世の中に流れる運の総量は誰にとっても同じはずだ。

したがって、我々にとって重要なのは、どのようにしてその運の流れを自分に引き寄せるのかということである。

 

「大原浩の逆説チャンネル<第1回・特別版>大乱の八つのテーマと対処法」の17:08頃から紹介している「客家大富豪の教え」の第1の金言は、「運は親切をした相手の背中から來る」である。

 

「運」というのは、自ら掴みに行くものではなく「やってくるもの」であるということは読者も簡単に実感できるであろう。

そもそも自分自身の直接的努力で得た結果は「運」によるものとは言えない。私自身の経験から言えば、「運」は他人(人間)が運んでくるものだ。

 

例えば、ある人がとても有利なビジネス案件の引受先の紹介依頼を受けたとしよう。その場合、(そのビジネスが引き受け可能な)知り合いの中で最も「好感」を持つ人間に紹介するのが普通だ。

 

あるいは、同じく有利だが極めて重要な案件であれば、「評判の良い」人物に依頼するのが自然だ。「客家大富豪の教え」の第1の金言、「運は親切をした相手の背中から來る」はまさにこのことを指している。

 

逆に、「自分から獲りに行った仕事」の場合、足元を見られて買いたたかれたり、理不尽な扱いを受けることも多い。

「神が振るサイコロ」の良い出目を自分に引き寄せたければ、遠回りなようだが、「運」が背中から回ってやってくるまで辛抱強く待つことが実は最上戦略なのである。

幸運は後でわかる

「幸運の女神には前髪しかない」とはよく言われることだ。「幸運」は後になってからわかるものだ。

その時には幸運に見えても、後になってから、それが実は悪運であったということはよくある話だ。人生万事塞翁が馬である。

この事実は投資の世界で顕著だ。

 

例えば、自分が購入しようとしていたA社の株式の価格が下落したとしよう。思ったよりも安く買えるのであるから幸運だといえる。

だが、1か月後にそのA社の粉飾決算が明らかになり、株価が暴落し紙屑同然となれば、A社の株式を購入したことが実は不運の引き金であったことになる。

 

また、バフェットは市場の株価が下落すれば「バーゲンセール」であると大喜びする。持ち株の「市場価格」が下がることなど気にしない。売却しない限り実際の損は出ないからだ。

 

それに対して、多くの人々は市場の下落にパニックになって底値で損失を確定する。つまり、自らの手で「不運」を招き寄せるわけである。

 

冷静に考えれば、バフェットも多くの投資家もまったく同じ市場で売買しているのである。少なくとも株式市場での取引である限り、バフェットだけが有利な条件で購入することはできない。他の投資家とまったく同じどころか、大量の株式の売買を行うバフェットの方が不利になるのが通例である。

 

バフェットは「投資家の仕事のほとんどは、投資を実際に行うまでに終わっている」というが、まさにこのことが「幸運の女神の前髪を掴む」ということなのだ。

逆に、市場が暴落してからパニックになる人々は、「幸運の女神の後髪を掴もうとして失敗」していると言える。

 

投資で成功するには「幸運の女神の前髪を掴む」ことが極めて重要だ。そして、そのためには、「投資を始める前にすべてのことを考えておく」べきである。だからバフェットは、多くの誘いを断って勉強や研究のための時間を最大限に確保するのである。

「幸運の女神の後ろ髪」は決してつかめないことを肝に銘じなければならない。

視野を広く、柔軟に

バフェットは「投資のアイディア」という言葉をよく使う。

つまり、世の中に「運」はたくさん転がっているが、「アイディア」が無ければその「運」を生かせないということだ。

すでに、「アイディア」によって、株式市場の暴落は幸運にも不運にもなることを述べた。

 

ポイントは、「固定概念」から解放されるかどうかである。株式市場の暴落は「不運」だと考えるのが固定概念だとすれば、それを幸運と捉えるのが「アイディア」である。

例えば引き戸にドアノブをつけると、多くの大人が苦戦する。ノブのついたドアを見ると回すものという固定概念にとえらわれてしまい、横に引くという柔軟な考えができないからだ。

 

だが、子供は難なく通り抜ける。柔軟な思考を持つ子供は、固定概念にとらわれず色々な手法を試すから、ドアを横にスライドさせ通り抜けるという「幸運」を手に入れることができるわけである。

 

つまり、「運」を自分に引き寄せるためには、「子供のように純真で柔軟な心」を持つ必要があるということだ。

「恐怖」に負けると運が逃げる

「案ずるより生むがやすし」という言葉がある。

あるいは、「心配ごとの96%は発生しないことが判明」などという話もある。具体的にどのような調査を行ったのかという詳細は不明だが、確かにそのような気もする。

私も心配性だと言われる日本人の一人として常にあれこれ心配しているが、振り返ってみると心配したことの大半は実際に起こっていない(むしろ予期しない出来事の方が大きな問題になることの方が多いような気がする)。

 

だが、そういわれても4%が実際起こるのだとしたら、心配せずにはいられないのが私を含めた大方の日本人の心情であろう。

人事を尽くして天命を待つ

過度な心配をしていると、大事な一歩を踏み出せず幸運を逃すということは間違いない。

だが、警戒心や恐怖心というものは人類が自らを守るために発達させてきた本能だから、簡単には制御できない。

 

その対策として有効なのは、すでに述べたバフェットの手法である「物事(投資)を始める前にすべてを考えておく」である。真剣に最悪のことを考えれば、それ以上の悪いことは滅多に起こらない。人間は、生き延びるために危険を想定する能力を授かっているからだ。

 

もちろん、それらの想定される「悪いこと」に対する対策は可能な限り事前に施しておく。事前に想定していたことなら恐怖に負けることは無いはずだ。

つまり、「幸運の女神の前髪」を掴むために一歩踏み出すためには、最悪を想定して最大限の準備をすることが必用なのである。

 

ただ単純に蛮勇で前のめりになればよいというわけでは無い。

結局、恐怖に負けて、煮詰まったりパニックになると視野が狭くなる。視野が狭くなることによって「視界の外にある幸運」が見えなくなるのだ。

50人の仲間

冒頭で「運は親切をした相手の背中から來る」という金言を紹介したが、「客家大富豪の教え」第10の金言は、「50人の仲間が成功の核心となる」である。

バフェットの投資においても、買収先と敵対せず友好関係を維持することによって、多くの優良な投資案件の紹介を受けることができた。

また、相棒のチャーリー・マンガーを始めとする「仲間」の選択が、大きな成功につながったといえるであろう。

 

結局、運を良くするには、

1. 恐怖に負けず第一歩を踏み出す

2. 運を運んできてくれる「人間」を大事にする

という2つの基本を堅実に積み重ねることが大事だと言える。

 

大好調の意見

 結局のところ、運の問題に収斂しましたが、何かおかしいとも思われるのだが如何だろうか。