完成しなければしないほど“儲かる”核融合発電、実現すれば店じまい、巨額の資金が流れ続ける産学官金の奇妙な構図

澤田 哲生 の意見

 • 4 時間

2026.6.27

 

 

 イーロン・マスクが「人類を火星に送る」と宣言してから、ずいぶんになる。期限は何度も口にされ、そのたびに静かに先送りされてきた。だが奇妙なことに、誰もそれを失敗とは呼ばない。なぜだろうか。

 答えは単純である。火星は、まだ誰も立っていないからこそ、夢でいられるのだ。もし明日、人類が火星の赤い砂を踏みしめたとしよう。その瞬間、火星は「これから行くべき夢の地」から「すでに行った過去」へと格下げされる。夢が現実になった途端、夢は値札を失う。逃げ水は、追いつかれない限りにおいて、いくらでも高く売れる。追いついてしまった逃げ水には、もう誰も金を払わない。

 

 これは火星に限った話ではない。私がここで取り上げたいのは、地上の核融合発電である。

予算という、もう一つのバケツ

 別のメディアで私は、地上の核融合がなぜいつまでも「差し引き黒字」にならないのかを、底の抜けたバケツの絵で書いた。水を注いでも注いでも、底の穴から漏れていってなかなか溜まらない。あれは、水を溜めようとして溜まらない、悲劇のバケツだった。その論文を要約すると下記のようになる。

 

 太陽という巨大な核融合に対して、地上の核融合発電は「エネルギーが出ない」技術では決してない。問題は出るか否かではなく、装置全体が使う電気より生み出すエネルギーが多いか──つまりシステム全体のQ値が1.0を超えて差し引き黒字になるか──であり、地上の核融合はこの壁を70年越えられずにいる。

 

 理由は二つ。

第一に、太陽は巨大な質量と重力でタダで火を閉じ込めるが、地上の核融合は磁石やレーザーで力ずくで支えるしかなく、維持に膨大な電力を食う(これを底の抜けたバケツで象徴する)。

 

第二に、太陽は数万年かけて緩やかにエネルギーを下ろし損失を抑えるのに対し、地上は小さな装置から今すぐ大量に取り出さねばならず、急いで取り出すこと自体が桁違いの損失(これをエクセルギーの喪失という)を生む。

 つまり穴を空ける原因と、発電所として成り立つ条件とが同一であり、技術を磨いても穴はゼロにできない。物理的に不可能なのではなく、「大きさ」と「時間」という地上では持てないものゆえに、帳簿が70年閉じないのである。

 

 ここでは、もう一つのバケツの話をしよう。「予算」というバケツである。

 先に結論を言ってしまえば、こちらのバケツもまた、ちっとも水が溜まらない。つまり、新たな財を生むことがない。ただし、決定的に違う点が一つだけある。前のバケツは、溜めたいのに溜まらなかった。こちらのバケツは、溜めることがそもそも目的ではないのだ。

 だから、いくら漏れても、誰も困らない。それどころか、漏れていてくれたほうが、好都合ですらある。

穴だらけのバケツに流れ込む3つの予算

 予算のバケツには、注ぎ口が三つついている。順に開けてみよう。

 一つめの蛇口は、政府予算である。ここから流れ込む水は、「エネルギー安全保障」「国家戦略」「脱炭素の切り札」といった言葉で正当化される。

 これらの言葉に共通する特徴を、どうかよく見てほしい。どれ一つとして、「いつまでに、いくらの電気を、差し引き黒字で生み出すのか」を問うていない。安全保障や国家戦略とは、達成ではなく、それに「取り組んでいること」それ自体に価値を置く語彙なのだ。「やっている」というその事実が、すでに目的を満たしてしまう。

 

 二つめの蛇口は、内外の投資ファンドである。近年、ここから勢いよく水が流れ込むようになった。「次のディープテック」「脱炭素の本命」──。投資家を惹きつける文句もまた、ひとつ残らず、できるかどうかを問わない作りになっている。

 投資家の出口は、必ずしも「発電所の完成」である必要はない。次のラウンドで、より高い値をつけてくれる次の出資者に売り抜ければ、それでリターンは確定する。20年後に本当に電気が出るかどうかなど、初めから待つ気はない。出口が「次の出資者」であるかぎり、逃げ水はむしろ逃げてくれたほうが、物語の鮮度が保たれてありがたいのである。

 

 三つめの蛇口に至っては、もはや水が溜まるか溜まらないかという議論すら超えている。部品屋、装置屋という巨大な超伝導磁石や、強力なレーザーや、真空容器を納める人々である。彼らはいま、この瞬間に、すでに黒字なのだ。納品書が切れた時点で、その分の商売はもう完結している。彼らのバケツは、とっくに溢れている。彼らにとって、Qシステムが1.0を超えるかどうかは、文字どおり、どうでもよい。

 

 ここで、誰もが抱くであろう素朴な疑問に答えておかねばならない。「70年もやって一度も実証されていないのなら、なぜ誰も、本気で検証を迫らないのか」と。

 答えは、こうだ。検証されないのは、技術が未熟だからではない。検証されないこと、それ自体が、商品の設計図に最初から書き込まれているからである。

経済の世界では、到達しないことが祝福

 考えてみてほしい。もし明日、地上で完全な核融合発電所が稼働し、Qシステムが余裕をもって1.0を超えてしまったとしよう。何が起きるか。次の実証炉計画は要らなくなる。30年先まで引かれた工程表は、用済みになる。その工程表に紐づいた研究費も、国際協力の枠組みも、若手研究者の30年分のポストも、部品屋の長期受注も、すべて「達成済み」の四文字とともに、終わる。

 つまり、実現とは、この商売にとって店じまいの合図なのだ。火星とまったく同じである。到達した瞬間に夢は過去になり、値札が消える。

 

 だからこの世界では、前述の物理エッセイで描いたバケツの理屈が、そっくりそのまま裏返る。

 あちらでは「急いで、小さく、一気に取り出す」という発電所の要件そのものが、エネルギーを漏らす穴を空けていた。目的と、失敗の原因とが同じものだった。こちらでは、「実現しない」という工学上の失敗そのものが、資金が流れつづけるための成功条件になっている。

 

 物理の世界では、到達できないことが呪いだった。経済の世界では、到達しないことが祝福なのだ。同じ一つの逃げ水が、片方では人を苦しめ、片方では人を潤している。

 溜めるのが目的ではない。逃げつづけることが目的なのだ。そう理解した瞬間に、これまで不可解に見えていたすべての辻褄が、きれいに合う。

 

 そこで私は、核融合に携わる人々に、心からの伝言を送りたい。安心していい、と。

 あなたがたが現役でいる向こう30年から50年のあいだ、研究費が枯れる心配は、おそらくない。政府の蛇口は安全保障の名のもとに開きつづけ、ファンドの蛇口はディープテックの名のもとに流れつづけ、部品の蛇口に至っては、今この瞬間も黒字を吐き出している。発電炉が永遠に完成しなくても、あなたがたの暮らしは安泰なのだ。むしろ、完成しないほうが、長持ちする。

 

 だから、内心の不安、「自分たちのやっていることは、本当に意味のある発電炉になるのだろうか」という、夜中にふと頭をもたげるあの不安は、商売の観点からはまったく不要である。できるかどうかは、どうでもよい。金は、それなりに潤沢に、回りつづける。

 ここまでは、噓偽りのない、優しい話のつもりだ。ただ、火星と核融合には、笑って済ませられない違いが、最後に一つだけ残っている。

笑って済ませられない問題とは

 イーロンの火星は、つまるところ、私財と、自己責任で乗った投資家の金で追いかける逃げ水だ。賭けに負けても、財布を痛めるのは、賭けた本人である。だが、地上の核融合を追いかけているのは、条約と、国家戦略と、学術の権威に裏打ちされた公金である。私たちの税金だ。

 そして、一人のカリスマが飽きれば終わる私的な逃げ水とちがって、条約に支えられた公的な逃げ水は、誰が飽きても止まらない。耐久性という一点においてのみ、核融合の逃げ水は、火星のそれをはるかに凌駕している。

 だから、向こう三十年から五十年が安泰なのは、いま現役の、あなたがたである。そのあいだ、研究費の心配なく、それなりに儲かる。それは本当だ。

 

 ただ、その30年後か50年後、ついに誰かが帳簿を閉じて、「やはり、発電炉にはなりませんでした」と告げる日が来たとき、その場に立って勘定を払わされるのは、もう現役ではないあなたがたではない。逃げ水を信じさせられたまま研究人生を費やした若い世代と、安全保障という美しい言葉のもとで、黙って蛇口をひねりつづけた、私たち納税者である。

 だから、もう一度、笑顔で言っておこう。あなたがたは、安心していい。払うのは、あなたがたではないのだから。

 

澤田 哲生(さわだ・てつお)

エネルギーサイエンティスト

兵庫県立柏原高校から京都大学理学部物理学科卒業後、三菱総合研究所、独カールスルーエ研究所客員研究員を経て東京工業大学(現・東京科学大学)助教(2022年3月定年)。現在工学院大学非常勤講師。専門は原子核工学・原子力安全。2010年度より高レベル放射性廃棄物処分をめぐる『中学生サミット』を毎年開催。著書は『やってはいけない原発ゼロ』ほか。

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大好調の意見

 「ただ、その30年後か50年後、ついに誰かが帳簿を閉じて、「やはり、発電炉にはなりませんでした」と告げる日が来たとき、その場に立って勘定を払わされるのは、もう現役ではないあなたがたではない。逃げ水を信じさせられたまま研究人生を費やした若い世代と、安全保障という美しい言葉のもとで、黙って蛇口をひねりつづけた、私たち納税者である。」との筆者による皮肉に満ちた警鐘(?)である。

 

ところで、「完全な核融合発電所」なるものは不可能なものなのかどうかであろう。我々ど素人にはきちんといつかは完成するものかどうかは、全く判定できないし多分経産省のお役人もできないであろう。

 

沢田氏は皮肉を言ってる暇があったならば、核融合発電不可能論をしっかり著作で発表したらどうか。