これはテレビ番組を見て僕が感じた率直な感想です。僕は清原監督の指導に関してはに賛否両論です。
番組概要
日体大の集団行動は有名である。2020年の東京オリンピックの開会式に取り入られることになっているなど、日体大の集団行動は世界でも注目を集めている。
日体大の集団行動は感動のドラマである。参加者は日体大名誉教授の清原監督の元で厳しい練習を行い、苦難を乗り越え精神的に成長していく。
清原監督も「やればできる」という信念の元、どんなに小さなミスも見逃さずに参加者たちに指導を行っていく。テレビ朝日は2010年から7年間の間、清原監督に密着取材を行った。
日体大の集団行動は日本のみならず次第(2014年くらい)に世界でも注目を浴び始める。実際に清原監督はロシアのトップダンサー120人に指導を行うなど、日体大の集団行動は現代が生み出した「日本の伝統」として認められつつある。
<やれば出来る!清原監督の指導>
清原監督は「やればできる」という信念の元、今まで学生たちに指導をおこなってきた。しかし、その練習・指導は決して「やさしい」ものではない。むしろ、学生たちが泣き出すほど厳しい指導であることもしばしばです。たとえば、2015年の参加者である岸さんが、歩行の時にわずかに遅れただけで「自分勝手にやっている」と叱責した。本番の直前になっても岸さんの動きがほかの人に合っていないと見抜いた清原監督は「出ていけ」と言った。清原監督は冷酷な人物に思えるが、1人のミスで全体に響いてしまうのが集団行動。なので岸さんには残念ながら抜けてもらった方が集団としてうまくいくのだ。しかし岸さんもあきらめておらず必死に食らいついた結果、本番ではみんなと同じように行動することができ。岸さんにとってはつらく厳しい時期だったと思うが、彼女はつらい経験を乗り越えてまた一つ成長したのだ。岸さんの心情は、厳しい部活動を経験した人になら理解できるだろう。最後まであきらめない岸さんは精神的に非常に強い人物だと僕は見ている。清原監督は弱い人間にも徹底した指導を行い、誰よりも強い選手に育ててきた名監督なのである。
強くなろうと思えば、それだけつらい経験もしなければいけないと僕は考えている。いわれてみれば当然のことで、自分の弱点を分析・克服していくというのが選手に与えられた課題なのである。悔し涙を流しながら努力する人もいれば、こんなつらいことはやりたくないといってあきらめてしまう人もいる。前者は心身ともに成功して、これから先に大変なことがあっても辛抱して頑張れる人になるだろう。ただし後者の方は清原監督の言う通り「中途半端なことをしたやつは、中途半端な成果しか手に入らない」ようになるだろう。前者の人間を強要しているわけではないが、現実と向き合い戦った人間はこれから先の人生においても頑張りぬくことができる強い人間になれると僕は考えている。
清原監督の指導は厳しいだけではない。時にはメンバーを叱咤激励するためにサプライズを開いたりする。
2011年の女子学生の集団行動の時には、なかなかまとまらない女子学生たちのために「青春」をうたわせたりしてチームのまとまりを強くしたり、スランプに陥ったメンバーたちのために公開練習を行ったり(小中学生に演技を見てもらい、歓声をもらうことでスランプを打破しようとした)、水球の監督時代の時は自身が未経験だったことから、空手やバスケなど役に立つものは何でも取り入れるなどの柔軟性も見せている。
さらに女子学生を指導する際には「傷つけてはいけない」と言っているあたり、選手に対してはある程度気遣っているのかもしれない。集団行動で皆が同じきれいな動きをするためには、厳しく指導する必要があると思っているからこそ厳しく指導しているのかもしれない。
最後に一つだけ、秋田の集団行動にサンダルで着たやつら、ナメとんのかって思いました(笑)。清原監督も怒り心頭でしたね。清原監督に憧れてここに来たといっている人もいたけど、年に1度くらいやる清原監督の集団行動の指導を見たのかと疑問に思ったことがあります。集団行動の参加者の中には一枚岩じゃないやつもいたってことですね。
<個性を許さない集団行動>
番組では清原監督は厳しい練習を通して、参加した学生たちの壁を乗り越えて成長させてきた「名監督」だと番組では紹介されてきたし、その報道のされ方にも僕は異を唱えているわけではない。
しかし見方を変えれば、清原監督の指導、集団行動は画一的な人間のありかたを押し付ける教育でもあると考えることもできるのである。集団行動は協調性や連帯感を高めて生きていく上で役に立つと考えている人も多いと思う。たしかにサッカーやバスケなどのスポーツや一般企業ではチームに合わせて行動できる人間が求められている。体育会系が就職に強いというのもおそらくこのためであろう。しかし、僕は集団行動を通して身に着けられるのは協調性やチームワークなどの能力である。集団行動は裏を返せば他人に合わせて自己主張をしない画一的な人物像を押し付けているとみることもできる。
十人十色というように人間にはみな個性があり、他人と全く同じという人間はおそらくいないはずである。その中にはマイペースだが才能を持っている人もいるかもしれない。
僕は教育というものは一人一人にぴったり合うかたちで行うのが一番良いと思っている。
もちろん、ある程度の協調性は必要ではあるが、集団行動や昔の学校の制服の細かなルール(1990年代の日本の中学校は服装のルールや持ち物の検査が厳格に行われていた。)は、人間の持つ強みである個性を殺してしまう可能性もあるのだ。
集団行動には個性豊かな人間を殺してしまうという弊害もあるのである。
まとめ
「集団行動」にはチームワークを強化するという良い面と画一的な人物像を押し付けて個性を殺すという悪い面もあります。日体大の集団行動は志願制なので、嫌なら参加しなくてもいいわけです。同じように多くの中学校と高校で行われている集団行動も選択制にするべきだと思います。人によって得意なもの・好きなものは違いますので、人間は集団行動になじみつつ自分の特性を生かして暮らしていけばいいと思います。