この記事は、穂吉のブログの「2012-10-08 16:40:11」にUPした『日本の神話147. ~第四部 大和~  =第十二章 景行(けいこう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。



最初のお話し 『日本の神話01』     前回のお話し 『日本の神話146』



 この回も、大君、大帯日子淤斯呂和気命様の御世のお話しです。

 相模の国造に騙され、来た道は元より四方八方より火を放たれ、逃げ場を失なってしまった、倭建命様でした。

 もはやこれまでか?と思われたその時、叔母君で、斎宮の倭比売命様より授かった御囊の中に、燧石(ひうちいし)が入っているのを見つけた皇子様は、

『これで私は助かる』

そう、確信されたのでした。

 まず皇子様は、ご自身の周囲の草を、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」で薙ぎ払いました。

 そして斎宮より授かった燧石で刈った草に火をつけられたのです。

 皇子様は、四方から迫る炎に対して、こちら側からも火を送ったのです。

 やがて皇子様の放った火は大きな炎となり、迫りくる炎の元へと辿り着いたのです。いつしか燃える草の無くなった炎には、鎮火の兆しが見えてきたのでした。

 この時を待っていた皇子様は、焼け野原の中より飛び出すが如く、そのお姿を現されました。

 そしてこの国造と、企てに加担した全ての者共を切り倒すと、その亡骸に火を放たれたのでした。

 すっかりと焼き野原になってしまったこの地は、その後に「焼津(やきづ)(今では やいづ)」と呼ばれるようになったのです。

 さてこの後、皇子様が、走水海峡(はしりみずのかいきょう)(三浦半島)を、御舟で渡ろうとされた時のことです。

 この海峡に住む神が大波を起こしたのでございます。舵(かじ)がきかず、どうにも向こう側(上総〈千葉〉の方向)へと渡れず、立ち往生をしてしまったのでした。



- 追 記 -

「三種の神器」の一つである、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の名の由来の一つの説が、この『倭建命』様の、相模国の焼津での事件です。
炎にて焼き殺されそうになったその時に、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」、また別名「都牟刈大刀(つむがりのたち)」を取出し、周囲の草を薙ぎ放った。
そのことから、この剣は「草薙剣」と呼ばれるようになったと、言い伝えられています。

「物の名前」であるとか、「地名」には、それぞれ由来があります。
それらは日本の歴史、「国史」と切り離すことなどできません。
だからこそ日本の歴史を知るためにも、忘れないためにも、神話を読み解く事はとても大切な事なのです。

穂吉は、日本には「ギリシャ」のようにはなってもらいたくありません。
「ギリシャ」にも、古い歴史である「神話」があったのに、それを学ばなくなった。

『神話を語らなくなった国、勉強しなくなった国は滅びる』、それをギリシャから日本中の人々に学んでもらいたい・・・そう穂吉は思います。




ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

おしまい。



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