この記事は、穂吉のブログの「2012-10-01 16:38:34」にUPした『日本の神話140. ~第四部 大和~ =第十二章 景行(けいこう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話139』
この回も、大君、大帯日子淤斯呂和気命様の御世のお話しです。
少女に扮した小碓命様は、兄の熊襲建の胸に深々と短剣を突き立てました。
何が起きたのか、それを直ぐに悟った弟の熊襲建は、その場より急いで立ち去ろうと腰をあげました。が、酒をたらふく飲み、足がもつれ、思うように逃げることが叶いません。
そうしているうちに、すぐに小碓命様は追いついてしまいました。
室(むろ)(部屋)の階段の下に追い詰められた弟の熊襲建は、尚も逃げようと背を向けられたその時でした。
小碓命様は力の限り、剣を尻から腹へと突き通したのです。
それは誰の目にも致命的なものに見えます。少しでもその剣を動かしたり、引き抜いたなら、今すぐに絶命してしまうであろうほどの、深き深き刺され方です。
『お願いです、どうかその剣を動かさず、話を聞いてください。』
と、息絶え絶えに弟の熊襲建は語りかけました。
小碓命様は、それを受け入れ、次の言葉を待たれたのです。
『あなたは、どなたなのですか。』
と熊襲建が話しかけました。
『私は、纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)におわし、大屋島国(おおやしまのくに)をご統治されている大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらのみこと)の皇子(おうじ)。名は、倭男具那命(やまとおぐなのみこと)だ。西方の熊襲建の兄弟が朝廷に従わず、無礼を振舞うとお聞きになられた天皇(すめらぎ)が、お前たちを退治してくるようにと私にご命じになり、この地に参ったのだ。』
と、御子様は仰られたのです。
すると、
『なるほど、さようでございましょうな。西の地方に我ら熊襲建兄弟の二人以外に、そんな勇気があり、強い者はおらぬのです。しかしながら大倭国(やまとのくに)には、我ら二人よりも強き勇者がいらっしゃったのですね。そのお方に、私は御名(みな)を奉りたく存じます。今よりあなた様は、我ら熊襲建を打ち負かした勇者、「倭建命(やまとたけるのみこと)」様と名乗るのがよろしいでしょう。』
この言葉を言い終えると、御子様の持っている剣は、突如重たくなったのでした。
弟の熊襲建がこと切れて、その全身から力が抜けたのです。
こうして小碓命様はこの時より、その御名(みな)を讃えて、倭建命様と呼ばれるようになられたのでした。
- 追 記 -
『大屋島国(おおやしまのくに)』とは、私たちが住む『日本』の古い呼称の一つです。
他にも『大八十島(おおやそしま)』であるとか、『大八洲島(おおやしま)(おおやそしま)』と呼ばれたり書かれたりします。
因みに「本州」の古き呼称は、古事記では、『大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)』、もしくは『天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)』と記されてます。
日本書紀においては、『大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)』と記されています。
穂吉は、日本の祭事についての記事を書く時には、『豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)』と記させていただいています。
どれも『秋に穀物がたわわに実る国』という希望や願いが込められている、ありがたい呼ばれ方です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。