この記事は、穂吉のブログの「2012-09-10 16:30:29」にUPした『日本の神話119. ~第四部 大和~  =第十一章 垂仁(すいにん)天皇=』という記事を再編成してUPしています。



最初のお話し 『日本の神話01』     前回のお話し 『日本の神話118』



 先の大君、御真木入日子五十瓊殖命(みまきいりびこいにえのみこと)(祟神天皇(すじんてんのう))様の十二人の御子様の中の、第三皇子の、活目入日子五十狭茅命(いくめいりひこいさちのみこと)様は、磯城の玉垣宮(しきのたまがきのみや)にて天の下を治め、後に垂仁天皇(すいにんてんのう)と呼ばれます。

 この大君の最初の后になられましたのは、第9代天皇、開化天王の御子の日子坐王(ひこいますのおおきみ)の姫の狭穂比売命(さほひめのみこと)様でした。

 ご結婚をされ、お生みになりました御子は、誉津別命(ほむつわけのみこと)様のお一人です。(この后が何故、お亡くなりになったのかは、後日、お話しさせていただきます。)

 また、前后がお亡くなりになった後の皇后にも同じ血筋と云う事で、日子坐王の皇子で丹波比古多多須美知能宇斯王(たんばのひこたたすみちのうしのおおきみ)の姫の氷羽州比売命(ひばすひめのみこと)様とご結婚をされました。

 そしてこの新たな皇后がお生みの御子は、印色之入日子命(いにしきのいりひこのみこと)様、大帯日子淤斯呂和気命(おおたらしひこおしろわけのみこと)(後の景行天皇)様、大中津日子命(おおなかつひこのみこと)様、倭比売命(やまとひめのみこと)(後の伊勢の斎宮)様、若木入日子命(わかきいりひこのみこと)様の五人です。

 更に大君は、この皇后、氷羽州比売命様のすぐ下の妹の、沼羽田之入毘売命(ぬばたのいりびめのみこと)様ともご結婚をされました。

 そして沼帯別命(ぬたらしわけのみこと)様と、伊賀帯日子命(いがたらしひこのみこと)様のお二人が生まれました。

 続いてこの后、沼羽田之入毘売命様の妹(皇后の二番目の妹)の阿邪美能伊理毘売命(あざみのいりびめのみこと)様との間にも、伊許婆夜和気命(いこばやわけのみこと)様と、阿邪美都比売命(あざみつひめのみこと)様のお二人が生まれました。

 次に大筒木垂根王(おおつつきなりねのおおきみ)という者の娘で、迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)様との間には、(「竹取物語」の「かぐや姫」のモデルかも?と、言われている姫です)袁邪弁王(おざべのみこ)様お一人が生まれました。

 それから山代大国之淵(やましろおおくにのふち)という者の娘で、苅羽田刀弁(かりばたとべ)様との間には、落別王(おちわけのみこ)様、五十日帯日子王(いかたらしひこのみこ)様、伊登志別王(いとしわけのみこ)様の三人が生れました。

 更に苅羽田刀弁様の妹で、弟苅羽田刀弁(おとかりばたとべ)様との間には、石衝別王(いわつくわけのみこ)様、石衝毘売命(いわつくびめのみこと)(またの名を、布多遅能伊理毘売命(ふたぢのいりびめのみこと)様と言い、後の倭建命(やまとたけるのみこと)の妻になる女性)様のお二人がお生まれになられました。

 この大君の御子様は皇子様が十三人、皇女は三人、合わせて十六人もの御子様をもうけました。



- 追 記 - 

この大君のお話も、たいへん長くなりますので、少しずつ、ひもといて行きたいと思います。
今日は、経歴だけで・・・また、明日にでも。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

おしまい。
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