この記事は、穂吉のブログの「2012-07-05 16:13:15」にUPした『日本の神話52. ~第二部 芦原中国の神々~  =第二章 国ゆずり=』という記事を再編成してUPしています。



最初のお話し 『日本の神話01』     前回のお話し 『日本の神話51』



 諏訪の地から出雲国へと戻った建御雷之男神は、

『お前の子、建御名方も天の命(めい)に同意し、この芦原中国を天照大御神様の御子様に返すと申したぞ。大国主、お前の意思は決まったのか。』

そう、尋ねたのです。

『子供たち同様、私も天津神に叛く気持ちは全くございません。この芦原中国は、天津神の仰せのままにお返し申し上げます。ただ、私がこの出雲国に神殿を建て、そこに住まう事だけはお許しくださいませ。』

 この神を殺し、他の国津神(地上の神々)に遺恨を植え付けてはならないと、建御雷之男神は考えました。

 大国主命を隠居させ、そのまま出雲国に住むことを許したのでした。

 さらに大国主命は、

『どうか、私の子供たちの命もお助け下さい。』

建御雷之男神はこの願いも聞き入れました。

 そののち大国主命は、天津神である建御雷之男神や一緒にお越しの神々に食事を差し上げたいと申し上げたのです。

 大国主命は取り急ぎ、出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に建物を建てると、膳夫(かしわで)(料理人)の櫛八玉神(くしやたまのかみ)(男神)を呼び出し、天津神へご馳走を振る舞ったのでした。

 こうして完全に、芦原中国の神々を従わせることが出来た建御雷之男神は、高天原へと戻っていったのでした。



- 追 記 -

『櫛八玉神(くしやたまのかみ)』とは、『水戸(港)』の神様である、『速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)』と『速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)』(日本の神話05.https://ameblo.jp/daijun415/entry-11254858172.htmlを参照)の孫とされている神様です。
この水戸の神々は、『伊邪那岐様と伊邪那美様』の間にお生まれになられた神々です。

余談ですが、神様の御名前に『速』が付かれると、それは『川』『海』に係わる神様であることを示されています。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

おしまい。
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