実は

法善寺保育園は正規の保育時間が終わると、父母のおむかえが間に合わない子供のために居残り保育というものがあった。しかし我が家は父母で会社経営をしていたため、それでも間に合わない、

そこで、さらにその後そんな子供を預かってくれる奇特な家があった。
今で言えば「無認可の保育所」みたいなものだろうか?
今でも忘れないその家族は「藤原さん」という家で、
当時その「赤羽台団地」の一角、保育園から歩いて5分くらいのところだったように思う。
家族構成はその家の主である「おじさん」、の妻の「おばさん」長男の「しげるくん」、次男の「みつるくん」の4人家族
(何で、こんなにおぼえてるんだろう?)
おじさん、おばさんはたしか東北の方で若干なまっていた。
息子たちはすでに大人で社会人だった。

この4人+私のような子供達が2DK(私の記憶が正しければ)の家に
ごった返していた訳で、今思えば何ともすごい光景だったように思う。

ここでも私は常にビリだった。
夜になり、それぞれおむかえが来て一人減り二人減り・・・
決まって最後に私が残った。

ダイニングキッチンでは、藤原家の夕飯が始まる。
おばさんが「あんたもご飯食べな!」と言ってくれるのだが
私は決まって「いらない」と言って藤原家の食卓にはくわわらず「テレビの部屋」で一人テレビをみていた。

なんとなく、幼心に「ここは人の家だから」という遠慮があったのだと思う・・・が、おばさんが決まって「ここにおいとくから、良かったら食べな!」と言って「テレビの部屋」の入り口に食事をおいて置いてくれた。
・・・結局毎日ごちそうになっていた。・・・
引っ越してすぐ
僕は法善寺保育園というところに入園した

ここは赤羽駅からさほど離れていない赤羽台団地のはずれにある
浄土真宗のお寺にある保育園である。
そんなに広くない園庭にはすべり台等、まぁ一通り遊び道具がある
木造の建物だった。園の周りは銀杏の木が数本あって、秋にはあの匂いに悩まされた。
何度となく落ちているあの実の上に転んだりしてギンナンの悪臭を身にまとったことか・・・

ところで

このころは私は今では考えられないが、嫌いな食べ物があった。
それは「牛乳」「しいたけ」「肉の脂身」
とにかくこの3種が出ると全然食べられず、もどしてしまうことも多々あったように思う。
この3種は後にほぼ克服した。他愛もないきっかけだが、参考までに
記しておく

牛乳・・・テレビを見ていたら牛の姿をしたスーパーマンのようなヒーローが出ていて、
子供の泣き声をキャッチして、その現場に駆けつけたところ
その子供は牛乳が嫌いで飲みたくなくて泣いているという・・・
そこで牛ヒーローが一言
「なんでこんなにうまいものが嫌いなんだい?」

・・・はい!この一言で牛乳嫌い克服!実は子供の頃から私は「Mr,思うツボ」なのです。

しいたけ・・・これは結構簡単で鍋物の中に入っている状態を食べたら美味しかった。

肉の脂身・・・これはなかなか苦戦した。多分大人になった今でも丸ごと脂身のみ、しかも塊で、しかも豚、という状況では無理かも・・・あ、普通ですか?でもたまにいらっしゃいますよねえ全然OKな方が・・・

というわけで、楽しい? [HOIKUEN LIFE]は続いて行く訳です
すでに「遊び場のない子供たち」に属する世代の僕達は、
この住宅地の中で、実に巧みに遊んだ。

まず
① 十字路を利用したゴムボール野球
(ただし、さすがにいくらゴムボールとは言っても、結構沢山の家のガラスをまんべんなく割ったため、とても楽しくて大好きだったけれど、なかなかデンジャラス)

② 道のど真ん中に缶を立てて行う缶蹴り
(これはやはりとても楽しいのだが、そもそも住宅地の中でやる訳で隠れるのはもっぱら人の家、なんと言っても見通しが悪すぎる!突然!壁を飛び越えてきて缶を蹴られてしまったりするため鬼がずーっと続いてしまい。マジ泣き続出)

③ 家の裏の壁を伝って道なき道を探検ごっこ(子供だったからまだ許されていたかもしれないが、もし今だったら限りなく不法侵入)
と、まあさまざまな遊びをあみだし、住宅街を縦横無尽に自由に行き来した私達であるが不思議と大人たちはあまり怒らなかった。
せいぜい2~3回しかられたくらい。

自宅には風呂があった、しかしどういうわけかで私達はいつも銭湯に行った。
そこは乾物屋のハル君の家の目の前にあった。今はもうない・・ここでもさまざまな遊びを開発した我々であった。
恥を忍んで申告するが、

④ 前半身に石鹸をぬりたくってタイルの上を腹ばいで滑る競争

⑤ 床のタイルに石鹸をすべらせ桶をつかってプレイする石鹸ホッケー
分かる人と分からない人があると思うが、

⑥熱い湯船とぬるい湯船の仕切りの下にある穴を潜水でくぐりごっこ(うう・・汚い)
そしてあがった後は決まってコーヒー牛乳かマミー。
これが最高に楽しみで幸せだった。

この幸せは今では風呂上がりのビールになっている
・・・今もあまり変ってない・・・