前出の「ひろひこにいちゃん」は僕とちょうど10歳違いの母方の従兄である。
名古屋でピックアップしてくれていた親戚である。
ピックアップしてくれていたのは叔母であったりするのだが
僕を1番面倒見てくれたのは、この「ひろひこにいちゃん」とその妹の「あきこねえちゃん」である。
ひろひこにいちゃんは3人兄弟の真ん中である。
一度一緒に前出のようにブルートレインで鹿児島に行ったことがある。
鹿児島の父の実家は今でいう霧島市隼人町であるが、昔は「日当山」といい今でも「日当山温泉」で知られる霧島のふもとの温泉地である。
今では鹿児島空港が近くになり車で15分程の非常に便利な立地だが
当時は空港も鹿児島駅も
鹿児島市内にあり、日当山からは電車(父たちは汽車と言っていたが)
で1時間以上かかった。
まあ、鹿児島的にみてもなかなかの田舎だったのだ。
ひろひこにいちゃんは僕の母方の従兄であるから、(母は東京出身なのです)
直接鹿児島は関係ないのだが、行きたいというので、僕を連れて遊びに行ったわけだ。
出発の朝、ひろひこにいちゃんが僕を家まで迎えに来てくれたわけだが、何となく表情がさえない・・・
訳を聞いてみると、家で飼っていた愛犬の「レオ」(昔懐かしい白のスピッツ)が前日に亡くなったのだとか・・
余談だがこの「レオ」という犬は幼いころの僕の天敵で、よくこの親戚の家に遊びに行くと顔を舐められたり
すごい勢いで寝床に攻め入られたりしていた。
が、この時は流石に僕も悲しくて少しブルーになってしまった。
でも気を取り直して鹿児島に出発!
僕は小学校に上がる前に今まで記したように色々な冒険をしたが、
当時はやはり今と比べるととても大らかで良き時代だったのかもしれない。
例えば、ここに記したもの以外では、
東京駅まで母に付き添ってもらったがそこで新幹線に一人で乗せられ
名古屋駅で親戚がピックアップ!発車前に母が、僕の隣の座席の大人に事情を説明して「名古屋で下してやってください」だって・・・
今では考えられないでしょう・・・
もう一つ、羽田まで母に付き添ってもらってそこで一人で飛行機に乗せられ
鹿児島空港で祖母がピックアップ!
搭乗口で今でいう客室乗務員の方に「よろしくお願いします」だって・・・
これは今は航空会社がサービスとしてやっているのかな?
僕のころはめったになかったみたいだが、機内で飛行機の玩具とかもらったりして・・・

というようなことは複数回あるのだ。
いい悪いはよくわからないけれど、やはり子供にとっては安全ないい時代だったのかな?と思う。
でもやはりダイイチ少年は実はとても心細かったのか、新幹線でも飛行機でも必ず乗り物酔いをした。
あまり揺れないのに・・・
ああそうもう一つはブルートレイン!
おんなじ感じで父の実家の鹿児島までよく一人で帰った「寝台車」
時には一人で乗せられ鹿児島駅でやはり祖母がピックアップ、又は叔母の「せいこねえちゃん」(叔母だが当時まだ10代だったため叔母さんというと怒られた)
が東京に遊びにきがてら僕を迎えに来て二人で「寝台車」
あるいはいとこの「ひろひこにいちゃん」(前出のせいこねえちゃんと年は同じだがこちらは従兄なので本当ににいちゃんである)
と一緒にやはり「寝台車」
僕の記憶だとこのころ寝台車で鹿児島までお昼に東京を出発してあくるお昼前くらいに到着だった気がする。
いっぱい時間がかかってたんですねえ・・・
今より時間の流れがゆっくりだったのかなあ。
寝像の悪い子供の僕はいつも今にも寝台の3段目から落ちそうになりながら寝ていたが・・・。
ある日、いつものように病院に行ってひじのリハビリをした後、藤原家に
行くと、なんと鍵がかかっていて誰もいない・・・

はて・・・

買い物中・・・?
どうしようか・・・

その時、僕の心の中に不思議な心が目覚めた・・・

それは、そういたずら心・・・?
好奇心・・・?

よくわからんが、まあ、そんな類いだ。

次の瞬間僕はある方向に向かって歩き始めた。
行く先は「赤羽駅」

その頃、僕の父はある小さな広告代理店を経営していて

会社は上野にあった。

今でも覚えているのだが、その会社が入っている雑居ビルは10階建て位で
屋上に「ヴィクター」のシンボルのあの、犬が蓄音器のスピーカーをのぞいている
マークがあった。

それは上野駅からでも余裕で見えた。

そう・・僕の目標は上野駅から見える「ヴィクターの犬」だ!!

病院の帰りだから、少しはお金を持っていたのだと思うが、
藤原家から赤羽駅までは子供の足でたぶん20分~30分程度

そして赤羽から上野まで、15分くらいであろうか・・・


ちょうど今の「かのん」と同じくらいだ。

大冒険である

何はともあれ・・・なんとか偶然だか何だか・・・

上野駅に着いた僕はまず、例の「ヴィクターのマーク」を探した。

はて・・・?

ところが、いまひとつ見覚えのあるマークが見当たらない・・・

今思えば、要するに自分がちびなもんだから、高いビルの向こうが見なかっただけ・・・

しかし、当時の僕はそれはもう必死である。

道行くおじさんに{**PR}って会社どこですかあ??

などと聞いてみたが、たかだか、上野の雑居ビルの一角の小さな会社

だれも分かる訳ない・・・

よく誘拐 あるいは 補導されなかってものだ。

そんなこんなでチョロチョロと動き回った僕はまたまた偶然

あのマークを発見!!

もうこうなったらこっちのもんである。

ビルの屋上の犬にむかってひたすら歩く・・・歩く・・・

着いた!

さてここら辺からは慣れている。

エレベーターにのって・・・?

たしか・・・7階だったか・・・

とにかくエレベーターに乗った。

すると、たまたまエレベーターから降りてきたおじさんに

すれ違いざまに声をかけられた!!

「だいちゃん?」

それは聞きなれた声だった。

父の会社の若い衆であったのだ

そのおじさんに連れられて事務所に入って行った。

父はちょうど電話中だったが、僕を見たとき

電話中にも関わらず、瞬間的にではあるが、絶対目が2倍ほど大きく見開いた。

そりゃあ驚くでしょう・・・

その後、外出中の僕の母から父に、僕が行方不明であるらしい電話が入り、

「なぜかここにいるんだけど・・・」

と、父

後から聞いた話だが、母はこの時、驚きのあまり確実に電話ボックスの中でい1メートルは飛び上がったらしい

まあ・・・

無事僕の幼少期最後の大冒険は幕を閉じ

小学生になっていく・・・

つづく・・・