ある日

藤原家にて仲良しの一つ上の「さぶちゃん」

に大変なことが起こった。

さぶちゃんのお父さんが事故で亡くなったのだ。

確か電車の事故だったと思う。


いや・・今思えば大変であるが、当時は僕らも子供であり、事の重大さは解らなかった。

そんなことがあり数日後に彼の家に遊びに行った。


本人はいたって元気で家の中であるが飛び回っていた。

ついでに僕もつられて飛び回ってしまった。

お母さんは、はてどう思ったであろうか・・・?

その日、その後どんなことをして遊んだかはさっぱり覚えてないのだが、

さぶちゃんはその後どんな人生なのだろうか?

数年後、小学校の高学年になってから、たまたまさぶちゃんと再会するのだが

それは又の機会に・・・
本当は前回で「藤原家の人々」シリーズは終わりのはずだったのだけれど・・・

思わぬリクエストがあり、がしかしそもそもあそこでネタぎれだったはずなのにスラスラといくはずもなく、1カ月も御無沙汰してしまった。

しかししまあ・・・あと一つだけ思いついたので記しておこう

ある日保育園で遊んでいた私は[骨折]した。

あれは確か保育園の年長組の初夏、僕の6歳の誕生日の直後であろうか・・・

いつものように園庭で遊ぶ僕に事件が起こった

滑り台を逆さに登っていた僕、(やってはいけないことであるが)

ちょうど中間地点に差し掛かったところに、普通に上から滑ってくるお友達・・・

というシチュエーションだった。

目に浮かぶ光景であろうが、私は横によけようとしてすべり台の下にまっさかさま・・・

「いてて!!」

とにかく痛かった。

ふと、痛いところを見ると、右腕の肘が逆に曲がっているではありませんかあ!!

僕はとにかくびっくりした!
痛みよりもその変な肘にびっくりして号泣!!

慌てて駆けつけてきた先生に連れられてとりあえず医務室へ・・・

「とにかく、肘を曲げてごらん!」と先生

泣きながら肘を曲げようとする私・・・

何と、肘がブランブラン状態で曲がらない・・・

何度か試してみる・・・

が、やはり肘が曲がらない、というか上がらない。

という訳で、今度は近所の診療所へ・・・

色々と検査を受け、添え木をつけられた所へ、会社から呼び出された母が真っ青なかおで現れた!

こちらも、母の顔を見たとたんまたまた泣き出した。今思えば、なんと甘えん坊なことか・・・

数日後、母につれられて診療所に検査結果を聞きに行きました。

担当の医師に説明を受けた。

「う~ん・・・骨折ですねえ・・・しかも複雑骨折」

難しい顔をした医師がレントゲンの写真を見ながら言った。

?「骨折」?「複雑骨折」?

何といっても小学校に上がる前の子供である、医師の言葉の意味が良くわからない・・・

ただ、なぜか今でも覚えているこの言葉は当時意味がわかって、とても怖かった記憶がある・・・

「この状態ではねえ・・・手術をしてもねえ・・・」

今思えば不思議だが、「複雑骨折」の意味がわからないのに何故か「手術」の意味はわかったのだ。

不思議なもんだ・・・

ともあれ、とりあえず怖い怖い「手術」を逃れた私は、訳もわからず、今度は上半身を裸にされて、

何やら生暖かい湿った包帯のようなものを巻かれた。結構重い・・・

そう・・・ギプスであります。

なんと少年は右肘だけでなく、

右腕の甲から、右肘を通って右肩、胸、それも肋骨を覆うように、かなり広範囲に巻かれたわけです。

子供だから、暴れるから、という理由で、ほぼ右上半身が動かないように固定されたわけだ!!

ともあれ、これはえらいことで、かなり自由奔放に育って来た私にとっては相当ストレスのたまる毎日だった。

そしてこの日から、
保育園→藤原家→病院→藤原家という感じで、又生活の中に通うところが増えててしまった。

そしてその日が来た。

ある日、いつものように病院に行って(4歳の子供が一人で病院通い?ピンとこないですねえ放任にも程があるのか、現代が過保護なのか?)
藤原家に帰って来た私はとんでもない光景を目撃してしまった。

通りから藤原家に入る通路があるのだが(多分5メートルくらいかなあ)
その通路の両脇には熊笹が植えられていた。その熊笹と熊笹の間を縫うようにすごいスピードでジグザグに動くものがいた。

なんだろう?4歳のダイイチ少年は目をこらす・・・目をこらす・・・
黒い毛が全身を覆い尻尾が長くて妙に動きが早い生き物な~んだ?

ネズミである。私の【齧歯類】恐怖症はこの一瞬でできあがった。

そして季節は夏・・・

保育園の最後の夏休みはギプス姿で迎えることになったのでした。
書き始めてみると
「藤原さんち」時代はへたすると保育園よりよっぽどネタが多いように思えて来たのでもう少しふれておきたいと思う。

ここでもやはり友達ができた。まずは一つ年上の「サブちゃん」
二つ年上の「ヒコちゃん」同じ年の「キヨシくん」後から入って来た「ヨシカズくん」
最初のうちは「サブちゃん」とばかり遊んでいた。
かなりわんぱくな遊びもあった気がするが
その中でも特に思い出すのは、赤羽の駅から赤羽台団地を通って王子まで行くバスがあるのだが、私達はそれに乗って王子の飛鳥山公園に遊びにいったのである。
おそらく私が4歳くらい、一つ上の「サブちゃん」は5歳くらいであったろう・・・当然小学校に上がる前の二人である。

普段から、まあそんなに温厚でない「おばさん」この時ばかりは怒った怒った、包丁の峰を「ガンッ!!」と叩きつけて怒った。
今まで見たなかで一番怖い「おばさん」の姿だった・・・
とはいえこれは「藤原家時代」数ある中でも一番の大冒険だった。

他にも色々な遊びをして毎日を過ごしたが、先にも記したように
「サブちゃん」も他の皆もどんどんお迎えが来て帰って行くが
私は、いつも[居残り組]で赤羽駅から母が「これからタクシーに乗るから外で待っているように」という電話があり、「早くこないかなあ・・・」と思いながら一人、流れる車のライトを見ていた。