AIが発達してきて、
「もはや語学のスキルはいらない時代に入った?」
と思わされることが、日々あります。
中国の会社の社長と話をするとき。
今までは、中国語だけでやり取りをしていました。
私は中国語が分かるので、
社長の言葉から「気分」まで感じ取ってしまうことがあります。
「あぁ、今、怒っているんだな」
「今は機嫌がいいんだな」
そんなことまで、なんとなく伝わってきます。
もともと私は、周りの雰囲気や人の感情を敏感に感じ取る方なので、なおさらかもしれません。
ところが最近、社長が連絡をくれるとき、
AIで日本語に翻訳してからメールを送ってくるようになりました。
とても、とても丁寧で、分かりやすい日本語です。
おそらく「丁寧な日本語で」と指示を入れているのだと思いますが、
日本のビジネス習慣や文化まで考慮して、文章を整えてくれているように感じます。
直接中国語で読むと、
「ちょっと直接的だな」
「少し怖いな」
と感じていた文章が、
AIを通した日本語で読むと、
「やわらかい物言いだな」
「意図が伝わりやすいな」
「丁寧で、感じのいい文章だな」
と感じることがあります。
そして実際に、
コミュニケーションもスムーズになり、
業務も円滑に進むようになりました。
これは、とても興味深いなと思いました。
私はこれまで、
中国の方とは、できるだけ中国語で話したいと思ってきました。
その方が、
言葉のニュアンスやテンポ、語彙の選び方から、
その人の人柄や、
その国の文化まで感じられる気がするからです。
でも、それらを必要としない場面もあります。
ただ正確に、分かりやすく、
相手に不快な思いをさせずに伝えることが大切な場面では、
AIを通した文章の方が、
むしろ適しているのかもしれません。
AIが得意なことは、AIに任せる。
そんな柔軟な考え方も、
これからは必要なのだと思います。
それでも私は、
自分の言葉で誰かと話すことや、
「あ、この人はこういう言葉を選ぶんだ」
と感じることが好きです。
言葉の奥にある、その人らしさを感じられること。
文化の違いに気づけること。
そして、
「この言い方、なんだか好きだな」と思えること。
それは、翻訳ができるようになったとしても、
なくならないものなのかもしれません。
AIに任せるところは任せながら、
語学を学ぶことの楽しさや、
自分の言葉で誰かとつながる楽しさも、
これから伝えていきたいなぁと、
改めて思いました。