仕事をするためカフェへ車を走らせていたら、
進行方向にきれいな桜が咲いているのが目に入って。 

 

カフェは左折だけど、 

無意識に桜のある方へまっすぐ車を走らせていました。

 

街のあちこちで、きれいなピンク色が目に入ってきます。

 

仕事も忘れ、 ピンク色のある方ある方に車を走らせていると、 

突然、長くて広い並木道に出ました。 

 

並木道の両側には、満開の桜がどこまでも続いています。 

 

なんてきれいなんだろう 

 

思わずため息が出ました。 

 

なんだかこっちがいいなぁ 

こっちに行ってみたいなぁ 

 

気持ちのままに進んでみたら、 

奇跡のような美しい光景に出会えました。

同じ意味のはずなのに、
選ぶ言葉が違うなと感じることがあります。

 

中国語で話していると、
「そんなふうに言うんだ」と思うことがあって。

 

ある先生に、「你人真好!」と言われたことがあります。

 

最後の授業で、お礼を伝えたときだったと思います。

 

私は、

 

「先生に出会えてよかった、また今後も会えたらうれしいです」

 

そんなことを伝えた記憶があります。

 

そのとき先生は、うれしそうに

「你人真好!」とハグをしてくれました。

 

直訳すると
「あなたは人がいい」ですが、

この場面では、「優しいわね!」というニュアンスでしょうか。

 

わざわざお礼を伝えに来てくれたことが、
特別うれしかったのだと思いますが、

日本語では、まずこんな言い方はしないなぁと思って、
とても印象に残っているんです。

 

日本語だったら、

嬉しい!と自分の感情をそのまま表現したり、
私もそう望みます、と共感の気持ちを表したりするんじゃないかなぁ、と思います。

 

でも中国語では、
「あなたは」と相手を褒める言葉で感謝が表現されていて、

私は一瞬とまどい、
どう受け取ればいいのか迷ったことを思い出します。

 

自分の気持ちを伝えるのか、
相手に光を当てるのか。

 

同じ「ありがとう」でも、
向いている方向が少し違うのかもしれません。

 

同じ意味を伝えようとしても、
人や文化によって、選ぶ言葉が違う。

 

すごく面白いなぁって思うんです。

 

 

 

 

ある友人の話です。

 

その人は、主人をサポートするのが妻の役目だと思い、
日常生活のことはもちろん、仕事のことも、
できることは全部やってあげていたそうです。

 

あるとき、心が限界にきてしまい、
何も手につかなくなってしまいました。

 

そこで初めて、
自分の人生よりも、主人の人生を優先していたのかもしれないと、
気づいたそうです。

 

「たとえ自分がサポートしないことで主人が困ったとしても、
それは彼の問題で、彼の人生であって、
自分が背負うことではないのかもしれない」

 

その話を聞いたとき、
あれ、どこかで聞いたことがあるな、と思いました。

 

私は一時期、子どもたちに対して、
少しやりすぎていたなと感じることがあります。

 

できることは全部教えてあげないと、
困ってしまうかもしれない。

 

自分が間違えたら、
この子たちの人生が大変になってしまうかもしれない。

 

そんなふうに思って、
必死にサポートしていた時期がありました。

 

ある日ふと、

何が正しいのか、間違っているのかなんて、
本当は誰にも分からないのかもしれない、と感じました。

 

今、自分がこれでいいと思うことをしてあげる。
それだけでも、十分なのかもしれない。

 

その先で、どう受け止めて、どう生かしていくかは、
子どもたち自身の人生なのかもしれない、とも思いました。

 

中国語のレッスンでも、
つい知っていることをすべて伝えたくなってしまうことがあります。

 

でも、本当にその人のためになる関わり方って、
どこまでなんだろうと考えることがあります。

 

踏み込みすぎず、でも離れすぎず、

その人の可能性を信じながら、
関わっていくことも大切なのかもしれません。

 

人にはそれぞれ、
生まれ持った性質があるんだなと感じることがあります。

 

エネルギーを外に向けて出す人
エネルギーを内に向けて出す人


自分をアピールすることが得意な人
人に共感することが得意な人


大勢の中にいたい人
一人の時間が必要な人


新しいことにチャレンジするのが好きな人
一つのことをコツコツ続けることが好きな人

 

私は、
「自分を理解しようとする過程」で、
このことを感じるようになりました。

 

私ってどんな人だろう
何が好きなんだろう
何が嫌いで、苦手と感じるんだろう
どんな瞬間に、幸せを感じるんだろう

 

自分の内面を深く見つめようとする中で、
自分のことが少しずつ分かるようになってきた気がします。

 

少しずつ、
自分を大切にできるようになった気もしています。

 

同時に、人に対しても、

この人はどんなことが好きで、嫌いで、
どんなときに幸せを感じるんだろう、と

自然と考えるようになりました。

 

自分のことを理解していくと、
人のことも理解しようと思えるようになるのかもしれません。

人のことも、
少し大切にできるようになるのかもしれません。

 

分かっているつもりで、
ちゃんと分かっていなかったことに、

少し気づけたような気がしています。

 

 

最近、小学6年生の娘が、

「ダメだよ」と言う代わりに、
 「良くないよ」と言うことがあります。

 学校でそう言うのかもしれませんが、
 「ダメ」を「良くない」に変えるだけで、

 
なんとなくやわらかく聞こえて、

 否定されている感じも少し違っていて、 

どこか相手を大切にしているようにも感じて、

 

 気づいたら、私も自然と

 「良くないよ」が口から出るようになっていました。

 

  こういう優しいことばが、少しずつ広がっていったらいいなぁ 

 

「良くないよ」 

 

まるで魔法のことばだなって感じました。