私は断酒して2年半。

酒をやめられた。


10年前に60歳で亡くなった父親はアルコール依存症だった。


父親がアルコール性の肝硬変と診断されたのはその6年前で、私は20代後半だった。


今回は私と父親の寿司屋時代の話。











当時私は父親と寿司屋をしていた。


寿司屋でなくとも職人の世界で20代の男は若い。仕事は見て盗んで覚え、握るスピードは年々速くなる。


だが熟練の職人が醸し出す風格や存在感、安心感は若い頃には中々手に入らなかった。


寿司屋に来る客はカウンターに座り目の前の職人の力量を寿司を頼む前から見極めている。


企業の社長、有名人、医者、ヤクザ、議員、

寿司屋にはありとあらゆる職種のトップが客として訪れるが、父親は動じず自分の寿司で客たちを満足させていた。


若かった私も(いつかは父親の様になれるのか。)と畏敬の念を抱いていた。


そんな父親だったが私が28歳の時、アルコール性の肝硬変の診断を受けた。


私は病院で医者から「お父さんがこのまま酒を飲み続ければ6年以内に亡くなります。」と告げられた。


私は父親に酒をやめてほしいと思っていた。


父親が「今日から酒をやめる。」と宣言すれば嬉しかった。3日後に「もう我慢できん。」と飲み始めた時は悲しかった。


私が仕事を覚える程に父親の飲み方は酷くなった。

「これ以上酒を飲み続けたら死んでしまうよ。」と訴えると「酒はやめられん。」と返すばかりで真に受けてくれない。


店が客で一杯の時間。せっせと日本酒を飲み酔っ払って仕事が出来なくなる父親を見て毎日が辛かった。


客は皆父親の寿司を楽しみに来店するのに酔っ払っている。私は徐々に『自分が代わりになろう』と頑張る様になった。


「酒を飲むな」と、とめたところで父親は酒をやめない。そうならば『自分がこの店の父親の代わりになっていこう。』と心に誓う様になった。


この時期が私にとって父親への精神的な依存から脱却した時になり、同時に「父親が酒で死んでも仕方がない。」と諦めた時だった。


次第に店に出られない様になる父親。仕事に出てきても酒を飲むばかりで邪魔になる。


胸ぐらを掴んで「店から出て行け」そう怒ると言い返さずに酒だけ抱え、住まいに帰る父親を見て余計に寂しい気持ちになった。


アルコール依存症者は家の中で外で色んな迷惑をかけて弱っていく。父親の変わってしまう姿を見て客や親戚は私を叱り飛ばす。


「お前は何の為の長男だ。」


ふん。あんたらに何が分かる。アル中の親がどれだけ酷いもんか、体験した事あるのか。


6年、そんな事を繰り返した。


入退院を繰り返し、市民病院でいよいよ看取りになった頃だった。

昼の営業を終え、私は休憩時間に父親の見舞いに行った。


5階の看取りの個室に入ると母親とパートの伯母がいた。私は父親に言葉をかける事なく部屋の隅でベッドの方の3人の言葉に耳を傾けていた。


するとふと聞いてしまった。父親が意識朦朧の中母親と伯母に言った言葉を

「死にたくない。」



私は呆然とした。

何も聞こえなかったように下を見ながら病室を出た。


何を言ってるんだ。あれ程とめても「酒で命が無くなるなら」と言い放ってたじゃないか。ふざけるな。ふざけるな。


冬の田んぼ道を車で行きながら涙を抑えられなかった。それだけは聞きたくなかったとハンドルをバンと叩いた。


その数日後、父親は旅立った。


葬式には大勢の参列者が来てくださった。

私はその全てが終わるまで毅然と振る舞った。


父親の「死にたくない」という言葉は、危篤で朦朧とした中だったから本人は意識なく出た言葉だろう。


だが当時の私はそれだけは言ってくれるなという気持ちだった。




父を見送ったあと、

私は寿司屋の大将になった。


必死に頑張ったのだが、

私はもう既にアルコール依存症になっていて、

この6年後には連続飲酒のドロ沼にはまっていった。


私も父親同様、飲酒時代末期には「酒で逝くなら、、」と思う様になっていた。


ただ酒で心が壊れた中で思っていたのは、


私も最後の看取りの時には妻に勝手なことを言うのだろう。それは何とか避けたいもんだ。

という事だった。



アルコール依存症者は最後に「生きたい」と勝手な事をいう。という話。


 









『自己紹介記事』こんにちは「元寿司屋の断酒ブログ」です。このページは「元寿司屋」の自己紹介ページになります。 お立ち寄りいただきありがとうございます。…リンクameblo.jp


『酒の怖さ R3.10.25』私が酒を飲んでいた期間は大体25年くらい。その間、他人と比べ多く飲んでいた。AC(アダルトチルドレン)でもあるし、愛情飢餓感が強かった私の酒の飲み方には若い頃…リンクameblo.jp


『入院を決断させてくれた妻』酒を飲んでいた最終盤。 酒をやめようにも間に合わないと思っていた頃、精神科病院に行くのを決めた日。今日もなんだか訳が判らない内に寿司屋は閉店した。朝に仕入れた…リンクameblo.jp