35才の時、今から約9年前。(2011年)
 
私の心臓は止まった。
 
父が亡くなって2ヵ月程してからのことだった。
 
店の片付けを終えて、住まいでガーリックピザをトースターで焼いて晩ご飯にと食べていた。
 
そこまでは記憶がある。
 
気付いたら病院のベッド🛌
隣には妻がいた。
 
丸4日経っていた。
 
私「あれ?ここは何処だ?」
妻「わかるの?おとうさん!」
とナースコールを押す。
 
直ぐにガタイの良い女性の看護師がやってきて、今にも泣き出さんばかりに妻に
 
「よかったね。良かったね。」
と言っていた気がする。
 
 
 
 
私は心臓が止まってしまったらしい。
 
 
心室細動という致死性の不整脈。
 
速攻で死んでしまう相当ヤバい状態になったそうだ。
 
たまたま妻が私の横でアイロン掛けをしていたお陰で気付いてくれた。
 
いきなり大きなイビキをかき、顔が青く唇は紫色になって、大慌てで救急車を呼んだ(そうだ)🚑
 
救急車が到着するまでの時間、
 
妻は近くに住む叔母を呼び、2人で私の蘇生の為に人工呼吸と心臓マッサージをしてくれた。
 
「お父さんが死んじゃう!」
「おとうさん!おとうさん!」
 
救急隊員の中には、町内に住む同じ中学校の2つ年下の後輩が来てくれた。
 
AEDでの心肺蘇生を1発目は効果なし。
2回目で僅かに動き出した。
 
私は真っ暗な場所に佇んでいた。
そこが三途の川だったのか?
 
わからない。
 
 
 
市民病院に運ばれ、循環器内科の医師が付きっきりで懸命の処置をしてくれた。
 
循環器内科の医師は私と同じ年の35才だった。
 
集中治療室で手足を縛られ、随分と暴れたらしい。
その時の跡が今でも右手に残っている。
 
医師は妻に、「植物人間になる事を覚悟しておいて下さい。」
 
看護師は妻に「紙おむつを買っておいてください。」
 
と伝えたそうだ。
 
だから私が意識を取り戻した時、皆んな泣いていたのだ。
 
 
病院の最初の食事は小さなゼリーが3種類。
 
鼻に酸素吸入がついて冷たくてしかたない。
 
腕には点滴やら、心音測定器。
 
下半身にはいつの間に付けたのか、尿を取り出す管も付いていた。
 
 
心臓が止まって病院で息を吹き返すと、どうやらペースメーカーを胸に埋め込まないと退院させてくれない。
 
そんな事も次第に理解するようになった。
 
カテーテル手術が2回。
 
CTやMRIも撮られ放題。
 
すぐに2週間が過ぎていった。
 
最初に入院した市民病院ではペースメーカーの埋め込み手術はできず、
 
20km離れた大きな大学病院に転院することになった。
 
つづく。

 
 
 
とまあ、改めて自分で書いみると怖くなる。
 
私が障害もなく生きているのは妻と叔母の
心臓マッサージのお陰だ。
 
人工呼吸はどっちでも良いらしい。
 
心臓マッサージで脳に血液を送り込み続けてくれた事が、脳細胞を死なせずに済み、
蘇生に成功した後、植物人間にならなかった最大のポイントになった。
 
私は9年前のこの心臓の件と、
去年のアルコールの入院の件。
 
2回。妻に命を助けて貰っている。
 
稼ぎの悪い旦那だが。
 
なんでこうも私を助けてくれるのか?
 
人生って不思議!?
 
ある人に見て貰ったら
「前世は旦那さん(私)が、奥さんで、
奥さん(妻)が旦那さんだったのよ。」
 
と言われたことがある。
 
ペースメーカー埋め込み術については後日、
no.2として書き込みます。