批判と高評価は半分ずつある | 富山県のイラストレーターブログ

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富山県で絵描きとして活動中のだいごろうのアート作品ブログ。

 

 

 

 

 

ぱっと数分で描いた、ただの落書きだろうと、

 

 

 

 

 

 

技術を駆使して、何時間、何か月も時間を費やして、

魂を込めて、描いた作品だろうと、

 

 

 

 

 

 

批判は、間違いなくある。

 

 

 

 

 

 

そして、高評価も、間違いなくある。

 

 

 

 

 

 

 

答えは、単純明快。

 

作品を創る人も、それを見る人も、人間だからだ。

 

 

 

人間は、「好き、嫌い」が必ずある。

 

この世の全てを受け容れる器があったとしても、

 

「でも、これ嫌い」「これは好まない」というモノが必ずある。

 

「平和も戦争も好きですよ」なんて言う人、いないでしょ?

 

 

 

人間の「好き、嫌い」は、食べ物の「好き、嫌い」と同じ。

 

必ずある。

 

なんでも食べれる人がいたとしても、

 

「これはちょっと好きじゃない」「これは、ちょっと苦手」というモノが

 

必ずある。

 

 

 

だから、高評価も批判も、いいんだ。

 

それは、個人の「好き、嫌い」なのだから。

 

作品には、1ミリも非はないし、

 

作家にも、1ミリも非はない。

 

 

 

俺は、『納豆』が嫌いだ。

 

ニオイも、味も、最悪だ。

 

でも、これを、わざわざ売ってる人や作っている人に言わないし、

 

これを食べている人に、「そんなもの食べるなよ」とは言わない。

 

なぜなら、『納豆』は栄養価が高く、人間の体に良い物だと、

 

専門家や医者が薦めているのを知っているし、

 

売っている人も、作っている人も、

 

他人に悪意を持って、そうしているわけではないからだ。

 

ただ、俺個人が「嫌い」というわけなのだ。

 

「嫌い」は、俺個人の、個人的意見なのだ。

 

「好き、嫌い」とはいわば、『性癖』みたいなものだ(飛躍的な解釈してみた)

 

『納豆』に、1ミリも罪はない。

 

友人たちといっしょに食事に行った時も、

 

家族と食事する時も、

 

俺の目の前で『納豆』を食べている姿を見るが、

 

俺は、別に、わざわざ「俺はそれが嫌い」とは言わない。

 

そんなの、俺の好みなんて、誰も聞いてないからだ。

 

聞いたところで、「あ、そう。俺は、納豆好きー!」って言われて、

 

話は終わるだろう。それでいい。

 

人間の「好き、嫌い」とは、そういうものなのだ。

 

「俺が納豆嫌いだから、お前らも納豆嫌いになれ!食べるな!」

 

なんて、俺は1ミリも思わない。

 

そんな強欲、俺には無いし、他人の強欲に対しても、

 

「なんで、俺がお前の好みに合わせなきゃならんの?バカじゃないの?おバカなの?」

 

としか思わない。

 

 

 

これを『性癖』で、たとえるならば、

 

「俺は、こういう女が好みで、こういう体位が好きだから、お前らも、同じ性癖になれ!

 

「この体位以外で、イクな!」

 

という・・・もはや、そういう変態にしか見えない意見に聞こえる。

 

 

 

作品も、高評価も、批判も、これと同じことだ。

 

自分の人生に、1ミリも関係ない他人の好み(性癖)に、

 

一喜一憂してしまうのは・・・まぁ、気になるから仕方ないけど、

 

気にしなければ、それまでのことだ。

 

「その作品、好きー!」という高評価に対しては、

 

「好きって言ってくれてありがとう。俺もこの作品好きなんだぁ。」って

 

共感してくれたことに、感謝するし、嬉しくなるけれど、

 

「その作品、嫌い! ド下手!」という、批判に対しては

 

「お前はこれが嫌いなのか。そうか、そうか。」で、終わり。

 

 

 

「モネとゴッホは好きだけど、ピカソとミケランジェロは嫌い」とか

 

「ラッセンが好っきーーー!」とか

 

どんな偉人でも、高評価と批判は、必ずあるんだから、

 

偉人でもない俺やあなたにも、高評価と批判は、あって当たり前なのだ。

 

 

 

中には、批判のつもりがなくて、

 

「もっと、こうして!」とか「もっと練習して、うまくなれよ!」と

 

講釈を垂れてくる人たちがいるが、

 

これも『性癖』にたとえれば、

 

「もっと腰動かして!(そうじゃないと俺がイケないだろ!)」とか

 

「もっと練習して、うまくなれよ!(いつまでも俺が気持ちよくなれないだろ!)」という

 

自分本位な意見でしかないので、無視して結構。

 

 

 

「どんな異見にも、耳を傾けたほうが良い」というのは、

 

元々、ドM体質の『性癖』を持っている人に適した言葉であって、

 

そういう体質じゃない人は、無理して、全てを聞く必要はない。

 

 

 

自分の作品を嫌っている人の好み(性癖)に合わせるために、

 

一喜一憂して、がんばるよりも、

 

自分の作品を好きって言ってくれて、高評価してくれる人たちのために、

 

そして、何よりも、自分の好みをより深く味わうために、

 

がんばったほうが、遥かに、絵描きの人生は楽しい。

 

 

 

・・・というのが、俺個人の好み(性癖)である。(性癖の話かよ!)