これからのイラストレーター ① | 富山県のイラストレーターブログ

富山県のイラストレーターブログ

富山県で絵描きとして活動中のだいごろうのアート作品ブログ。

 

 

 

【自分のオタクの根源】

 

 

 

 

 

思い出せば、

 

俺は、小さい頃から絵を描くのが好きで。

 

いや、『絵』というと語弊があるか。

 

俺が描いていたのは、落書きだった。

 

でも、とにかく、それを描いている時は、無心になれたし、

 

嫌なことも忘れて、楽しかった。

 

 

 

小学生の時には、テレビゲームも好きで。

 

俺にとっては、ゲームがあったから友達がいたんだ。

 

ゲームがなかったら、誰とも遊べなかっただろう。

 

 

 

そんな俺が、中学生の時、よく遊んでいた友達が

 

「RPGツクール」という、マニアックなゲームを見つけてきた。

 

俺とそいつは、RPG系のゲームが好きだったから、

すぐに、そのゲームを買おうって話し合って、盛り上がっていた。

でも、当時、そのゲームはパソコン版しか売られていなかった。

PC本体と、そのゲームソフトを合わせた価格は、

 

当時の俺たちには手が届かないほど高値だった。

 

それでも、俺たちは、そのゲームソフトが紹介されている雑誌を

 

食い入るように読んで、家電製品店へ行って、

 

そのゲームのチラシをもらってきては、

 

そのゲームで作れるRPGを妄想して、2人で盛り上がった。

 

2人にとっては、手の届かない価格のことは、もうどうでもよくて。

 

いや、どうでもよくないけれど、

 

「いつかお金を貯めて買えばいい」という安易な考えに至っていて。

だから、2人とも「ゲームソフトが手に入ったら」っていう未来のことで

 

頭いっぱいになっていた。話し合うだけで楽しかったんだ。



それで、そのソフトでは、敵モンスターの外見も、

 

ある程度、ドット絵で自由に描けるみたいな機能があった。

だから、俺は、その敵モンスターの絵を、あれこれ考えながら

 

あれこれ参考にしながら、夢中になってノートに描いてみた。

 

その中で、美しい女性の裸体の敵モンスターも作ってみたかったから

 

自分なりに、美しい裸体の敵モンスターを描いてみたんだ。

 

エルフ、ハーピー、スフィンクスなどなど、ファンタジーに登場する

 

定番の女体だけじゃなく、スライムなんかも女体にしたら、どうだろう?とか、

 

俺は、「好きなもの」に夢中になって妄想を膨らませていた。

 

でも、それを友達に見せるかどうか、けっこう悩んだ。

 

漫画のようなギャグの裸体じゃなく、ちょっとリアルな裸体・・・。

 

ヒかれないだろうか? 拒否されないだろうか? オタク認定されないだろうか?

 

でも、今まで、その友達に自分の落書きを見せたこともあるし、

 

同じゲーム好きだし、大丈夫だろうって思って、勇気出して

 

敵モンスターのイラストを友達に見せてみたら・・・

 

「これは無いだろ。エロすぎだよ、これ。お前、溜まってんのか?」と言われた・・・。

 

その時は、とっさに、友達の口調が冗談ぽかったから、

 

それに合わせて、「やっぱ、エロすぎたかー!はははー!」って

 

ごまかしたけれど、内心は、ショックで・・・。

 

 

 

それ以降、俺が女体を描くことは無くなった。

 

描きたかったけれど、描かなかった。

 

オタクと思われたくなかったからだ。

 

友達にヒかれるのが怖かったからだ。

 

でも、俺に一番「描きたい」と思わせるのは、やはり女体だった。

 

だって、あの美しさは、男には無いものだから。

 

エロと混同してしまう部分も、もちろんあるが、

 

やっぱりそれだけじゃなく、単純に女体のラインの美しさ、柔らかさに、

 

俺は「描きたい」という気持ちを強く感じるのだ。

 

でも、それを封印してしまった俺は・・・

 

結果的に、今、女性を描くのが苦手になってしまった。

 

「そんなのは環境のせいにしているだけで、

 

友達とか関係なく描き続ければよかっただけだ」と、客観的に見たら、そう思うだろう。

 

でも、当時の俺にとって、仲のいい、遊んでくれる友達に

 

オタク認定されて、縁を切られることは、学校生活において死活問題だったんだ。

 

 

 

「では、その当時の友達が、だいごろうの絵を肯定していれば

 

現在、女性を描くことが得意になっていたか?」というと・・・

 

それは、誰にも分からない。

 

もしかしたら、とことん描いて、うまくなっていたかもしれないし、

 

もしかしたら、描くだけ描いて、飽きてしまって、

 

絵を描くことすら辞めていたかもしれない。

 

「では、当時の友達は、ウソをついてまで肯定すればよかったのか?」というと

 

それは違う。だって、それはウソだからだ。

 

俺は、友達にウソをついてまで肯定してほしいとは思っていない。

 

でも、もしかしたら・・・と思う自分がいるのも事実。

 

もし、当時の友達が、俺の絵を見て、笑ったあとに

 

「でも、この女体の絵、うまいな。」とでも付け加えて言ってくれてたら・・・

 

もしかしたら・・・苦手意識くらいは無くなっていたかもしれない。

 

すべては、意味のない想像。

 

すでに違う未来に、俺は進んでいるのだから、

 

今さら、「もしかして」と、違う未来を想像しても詮無いことだ。

 

 

 

今は、オタクにとって、とても生活しやすい環境になった。

 

それは、一見、ノーマルな人に見えても、

 

趣味がマニアックだったりする、そんな人たちが増えたからだ。

 

一言で、「オタク(マニア)」と言っても、多種多様の「オタク」がいるし、

 

そういう人たちの購買力が、

 

全世界の経済にも影響していると認められているからだろう。

 

こんなことなら、もっと「オタク」生活に、どっぷりハマっておくんだった・・・と、

 

今になって思う。本当に、今さら、なのだが。

 

今の俺は・・・中途半端な「オタク」になってしまったと感じている。

 

 

 

はっきり言って、「オタク」というのは、その道の専門知識に長けているということだ。

 

なんだったら、専門的技術もあって、いわば「職人」みたいなものだ。

 

刀の鍛冶屋も、ゲームプログラマーも、フィギュアの造形技師も、漫画家も、

 

ファッションデザイナーも、車のデザイナーも、パッケージのデザイナーも、パン屋も、

 

スポーツ選手も、アウトドア大好き人間も、書道家も、アーティストも、歌手も、アイドルも、

 

料理人も、大工も、医者も、看護師も、薬剤師も、サラリーマンも、コンビニのアルバイトも。

 

そして、イラストレーターも然り。

 

 

 

 

 

 

今では、専門学校も、大学でも学科があったり。

 

いや、昔からあっただろうけど・・・当時の俺には、そんな道があることすら、

 

まったく気づかなかったし、自力で調べることもできなかった。

 

結局、俺は・・・なんの専門知識もないまま、なんの資格も技能もないまま、

 

「自称イラストレーター」になった。

 

俺が、この職業に就けたのは、

 

イラストレーターには資格が要らないからだ。

 

だから、「自称イラストレーター」。

 

何かニュースで報じられるときは、そう呼ばれてしまうだろう。

 

 

 

・・・はっきり言って、今の若い人たちがうらやましいと感じている。

 

なんと言っても、多種多様な「オタク」が認められる世界に、ほぼ、なったと思う。

 

まだ完全な世界ではないだろうし、これからも完全にはならないだろう。

 

それは、「水と油」といっしょ。

 

人間の「好き嫌い」は、無くなることがない。

 

だから、これからの世界は「水もいいし、油もいい」という世界。

 

どちらも、この世界に、無くてはならない存在だからだ。

 

「水は好きだけど、油が嫌い。」「水は嫌いだけど、油は好き。」

 

もしくは「水も油も嫌い。」という人たちもいるだろう。

 

そんな人たちが、共感しあうことは無い。

 

今までは、たったそれだけのことで、お互いに否定して、拒絶して、ケンカして、戦争して、

 

分別されていたけれど、これからの世界は違う。

 

人間の「好き嫌い」は、「食べ物の好き嫌い」と同じこと。

 

「俺は好きじゃないけれど、あなたは油が好きなんだね。」

 

「俺は違うけど、そういう価値観もあるんだね。」

 

これだけでいい。お互いを認める、それだけでいい。

 

なにも異常な拒絶反応して、相手を否定したり、攻撃しなくてもいいんだ。

 

 

 

去年から、漫画「鬼滅の刃」が流行り、アニメも映画も流行ったけれど、

 

知人の子供は「気持ち悪くて好きじゃない」と、親に言ったらしい。

 

しかし、小学校の友達も、自分の母親も、大好きで・・・

 

仕方なく、映画を見に行かされたらしいけれど、

 

やっぱり怖くて、気持ち悪かったらしい。

 

俺としては、その子の「嫌い」という気持ちを大切にしてあげたい。

 

 

 

俺も、じつは、「めっちゃ好き」という感じではない。

 

原作は見てないが、アニメは一通り見たし、趣味絵として無惨を描いたこともある。

 

けれど、「好きでも嫌いでもない」程度だ。

 

昔の漫画でも、残酷な表現はあったけれど、

 

今の漫画のほうが、心情的に残酷な表現が多くなった気がする。

 

特に「鬼滅」は、いきなり幸せな家族が皆殺しに遭う・・・(汗)

 

自分の子供には見せたくないと思っているから、俺からは勧めて見せていない。

 

けれど、今では、どこからでも情報が流れてくる。

 

うちの子供たちは、いつの間にか

 

YouTubeに違法アップロードされたアニメをすべて見ていて、

 

「鬼滅」が大好きになってしまっている。

 

主題歌を楽しそうに歌い、「鬼滅」の落書きを描いている。

 

ハロウィンのコスプレでも、「しのぶさんがいい」ということで、

 

そのコスプレをamazonで購入してあげた。

 

 

 

子供たちに勧めないけれど、親の好き嫌いの、自分勝手な価値観を

 

子供たちに、押し付けたくはない。

 

子供が「好きだ」と感じているものを、否定したくはない。

 

でも、子供が「好きだ」と感じていても、同じように「好き」になることもない。

 

みんな、同じモノが好きじゃなくていいんだ。

 

みんなが「好き」だからって、自分も無理に「好き」にならなくていいんだ。

 

みんなが「嫌い」だからって、自分も無理に「嫌い」にならなくていいんだ。

 

自分が「好き」だからって、みんなが「好き」とは限らないんだ。

 

自分と相手の、好きとか嫌いとかの素直な気持ちを否定しない。

 

みんな違って、みんないい。

 

やっと、そういう世界になってきたんだと感じる。

 

 

 

極端に言えば、「オタク(マニア)」な人たちは、こだわりが強い。

 

でも、人間、誰しも、必ずこだわりを持っているものだ。

 

「オタク」じゃない人は、なんのこだわりもない人のことだ。

 

一般常識を、ちょっと知っている程度の、

 

広く浅い知識しか持たない人のことだ。

 

ところがどっこい、こんなふうに言い切ってしまうと、

 

大抵の「自称オタクじゃない」人たちは・・・怒るのだ(笑)

 

「自分には、ちゃんとこだわりがある!」と。

 

「自分は、そんなつまらない浅い人間ではない!」と。

 

みんな、平凡に見られたくないのかな?

 

とにかく、俺が今まで出会って、話をしたことがある人たちは、

 

例外なく、なにかしら、こだわりを持っている人たちばかりだった。

 

みんな、なにかの「オタク」だったり、もしくは、その素質を持っていた。

 

だから、「自分には何もこだわりがない」という人は、

 

ただ、自分で、それに気づいていないだけのことで。

 

そして、もちろん・・・それに気づかなくてもいいし、

 

わざわざ気づかなきゃいけないことは無い。

 

「こだわりがない」ということに、こだわっている人もいるし(笑)

 

 

 

とにかく、何が言いたいかっていうと、

 

こだわっていても、こだわっていなくても、どうでもいい。

 

「オタク」だろうと、そうでなかろうと、どうでもいい。

 

みんな違って、みんないい。

 

「どうでもいい」っていうのは・・・そんな赤の他人のことなんて、

 

みんな、「どうでもいい」感じになってきているってこと。

 

だって、時代は、「全人類、総クリエイター時代」。

 

幼稚園児からお年寄りまで、数億人の人たちが、

 

SNSなどで、インターネットを介して、自分たちの「好き」「嫌い」を表現している時代。

 

とてもじゃないけど、他人のことなんて、気にしてる場合じゃなくなった。

 

他人の「好き」「嫌い」には、共感するか、もしくは

 

「あなたは、そういう価値観なんだね」で、終了。それでいいんだ。

 

他人の「好き」「嫌い」に対して

 

「それって、おかしくね?」という議論は、まったくの不毛だからだ。

 

「食べ物の好き嫌い」と同じことだから。

 

「みんな、納豆好きなんだから、お前も好きになれ」というのは、

 

もう、余計なお節介でしかない。

 

そういう時代に、到達できたんだ。

 

 

 

俺は、もう少し、「自分は女性のイラストが好き」って、胸を張ろうと思う。

 

 

 

つづく