おはようございます。

 

ある方から、

「最近,子鉄父さんは何を意味しているのか!」

という言葉をとてもよく使われますね。

前から使われていますが,より一層そのように感じます。

何を意味しているのかこの視点を持って勉強できるかどうか。

この差の積み重ねがすごく肝心なのだと思います。

 

というコメントをいただきました。

特に最近、意識的に使うようにしているのでその通りなんです。

 

勉強にしろ仕事にしろ、物事の意味を考えることなく表面だけを見ていては深く突っ込むこともできない。

時にこれは忖度と似ているのかもしれない。

忖度という言葉はネガティブなイメージで一時期使われていましたが、いい忖度もあると思います。

相手が(テストの問題や上司が)本当は何を言いたいのか、何をして欲しいのか、何を期待しているのかを考えること。

 

昨日、社長が言ってました。

 

「報告書には人柄が出るよね。

言われたことしか書かない、書けない人。

その言われたことすらできなかったり、確認も怠り誤字脱字だらけやそれを気にしない人。

事実を自分なりに分析し、自分なりのメッセージを込めた構成にして作る人。」

 

子供たちのテストへの取り組み方と似てますね。

 

以前、NHKで腕のいいお医者さんには2つのタイプがあると。

1つは病気の原因が分かって、外科的な手術により患者さんの病気の原因を取り除くことができるお医者さん。

 

もう一つは、問診を通じて患者さんの病気の原因をあれこれ想像し、原因の可能性を突き止めることができるお医者さん。

これって

 

ある病気が起こってそれを治すために、色々な要素を組み合わせて解決策を考える発想。

足し算的発想。

ある病気が起こってそれを治すために、何かを邪魔なものを取り除いて解決策を考えてみる発想。

引き算的発想。

ある病気が起こってそれを治すために考えられる要素を分解(積み上げるか分割するか、つまり素因数分解)してみようという発想。

かけ算、割り算的発想。

 

これらを駆使して突き止めているのではないかと思うのです。

私は、金融は経済の血液ということで金融界のお医者さんになろうと銀行員を志して、いつのまにか財務や経営企画の道へ来ちゃいましたが。

 

世の中の社会仕組みを知り(社会)、自然の摂理を知り(理科)、世の中の二ーズや相手が何を言いたいかを感じ取り(国語)、それを実現するために足し算、引き算、掛け算、割り算のどの考え方を使えば解決できるのかを自らの頭で考える(算数)。

 

これこそが国語、算数、理科、社会の勉強の本来の目的なのではないのかなと過熱する受験競争のど真ん中にいるからこそ強く感じる今日この頃。
 
行きたいと思う学校へ行くにはどうしても入試という壁を越えなければならない。
それは仕方ないこと。ある意味ジレンマ。
それはしょうがない、入学資格を得るためにはテストで点数を取らないといけないのだから。
 
でもね、その先はやっぱり国語(英語)、算数、理科、社会の本来の目的に沿った学びをしてもらいたいものだと強く感じます。
 
あー、本当に若返りの薬があって、今の考えを持ったまま戻れるものならもう一度小学生時代に戻ってみたいなと思います。
もっと違った視点で勉強に取り組めただろうなあ。
以前なら、もう絶対受験なんてしたくない!って思ってましたけど。