子どもをはぐくむ  聴覚障害のある弟の「きょうだい」だったから、私は弁護士になった 思いはオープンに言葉にして/朝日新聞EduA記事・2024年5月13日

障害のある人の兄弟姉妹である「きょうだい(きょうだい児)」は、育った環境から「障害者に理解がある」「やさしい」というイメージを世間から抱かれがちです。ですが、きょうだいだからこそ抱える悩みがあります。将来、実家や地元を出ていいの? 結婚はできるの? モヤモヤを解消するにはどうすればいいのかを考え続け、きょうだいの立場の弁護士として発信や相談などの活動を始めた藤木和子さんに聞きました。

話を聞いた人
藤木和子さん
弁護士、日本障害者協議会理事

ふじき・かずこ/1982年生まれ。埼玉県上尾市生まれ。東京大卒業後、法科大学院を経て弁護士に。5歳のときに、3歳下の弟の聴覚障害がわかり「きょうだい」となる。2010年頃から「きょうだい会」に参加。自分以外のきょうだいの体験談に触れる中で、きょうだい特有の悩みの幅広さと難しさを痛感し、きょうだいの立場の弁護士として発信や相談を始める。全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会、全国きょうだいの会、Sibkoto(シブコト障害者のきょうだいのためのサイト)、聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会などの運営に関わる。ヤングケアラ―経験者としても、全国の自治体や学校、団体で講演。弁護士としては家族関係が専門。優生保護法弁護団等にかかわる。手話通訳士でもある。

「お姉ちゃんがこんなにできなくても、弟に分けてあげれば」
――幼少期、どんなことがつらかったですか。

聴覚障害のある弟といると、周りの人からジロジロ見られたり、ひそひそ話をされたりするのは嫌でした。一方で、「しっかりしたお姉ちゃんがいるから安心だね」とか「将来はお父さんの跡を継いで弁護士になるのよね」とか、悪気なくかけられる周囲の人の言葉も負担でした。

私より弟の方が大変で頑張っているんだから、私が不平を言うのは両親に申し訳ない。耳が聞こえる分、自分は頑張ればできることが弟より多いはずだから、何事にも意欲を持って取り組むべきなのだろう。でもそれ自体不公平なことで、実は私もできない方がいいんじゃないか。日々考えても答えが出せないことが何よりつらかったです。

――小学3年から自分で希望して塾に通い始め、中学受験を経験されたそうですね。なぜ受験をされたのでしょうか。

当時は周りに中学受験する友達もほとんどいなかったのですが、駅前に塾があって、行ってみたいと単純に思いました。いざ通ってみたら授業が面白くて、受験まで続けました。

小学校とは違い、きょうだいとしての立場から離れて単独で動ける自由が、塾という場所にあったことが心地よかったのかもしれません。でも、母には「お姉ちゃんがこんなにできなくても、弟に分けてあげれば……」と言われ、目標に向かって頑張ることがよくないことなのかと私自身も葛藤し、モヤモヤが残りました。

――そのモヤモヤを、ご両親に伝えたのですか。

弟とは、一緒にゲームやマンガで遊び、けんかをしつつも仲がよかったのですが、反抗期だったこともあり、両親にはどんな言葉で自分の思いを伝えればいいのか、言葉を持ち合わせていませんでした。大人になり、同じような立場の人が集まる「きょうだい会」に参加するようになってから、思ったことはお互いオープンに話した方がいいのかもしれないと考えるようになりました。正しい言葉ではないかもしれないし、その時々によって気持ちには波があるけれど、伝えないより伝えた方がいいと。

母は「和ちゃんはあの頃、なんでブスッと怒ったような顔をしているんだろうと思っていたけれど、そうだったのね」と受け止めてくれました。時間が経ってから伝えたことで、親を傷つけてしまったというもどかしさがありますが、やっぱり思いを伝えることができてよかったです。

衝撃を受けた恩師の言葉
――中高時代はどうでしたか。

進学した都内の私立中は自由な校風で、のびのび過ごしました。塾と同じで、誰も弟のことを知らない一人の「私」でいられることが大きかったんだと思います。学校の友達と家族の話題になると、「弟がいて、ポケモンとかで遊ぶよ」と答え、障害については触れずにいました。ただ、家に戻ったときのギャップに苦しみました。学校生活がはじけていた分、帰宅するとなんだか息苦しく、「こんな家、もうやだー」と言っていました。

友達の留学を機に、自分もアメリカに留学。家族と適切な距離がとれたことで関係もよくなり、精神的にも安定するようになりました。留学先では母とメールでやりとりをしていました。

――大学院でゼミの先生が、初回の授業の自己紹介で幼少期に妹さんが亡くなられた話をされ、衝撃を受けたそうですね。

弟に障害があることについて、積極的に触れてこなかった私にとって、「なんでそんなこと話すんだろう」と衝撃的でした。それも理由のひとつになり、先生のゼミに入りました。

弁護士の就職活動の時は「先生はどうして妹さんのことを話題にされたのですか。私は面接で、どうしたらいいんですか」と泣きながら相談しました。その恩師の答えは「僕は話したいから、学生に知ってほしいから話している。面接で見ているのは的確な応答ができるかどうかであって、その内容がその人の半生を網羅しているのか、志望動機は真実であるかどうかはあまり気にするところではない。だから話すかどうかは自分の判断でよい」というものでした。

20代半ばになって生まれて初めて、適切な相手に相談でき、ほしかった答えをもらうことができた貴重な経験でした。結局、障害とはあまり関連のない企業法務の事務所を回っていたので、私は弟のことには触れず、弁護士である父の影響を前面に出し就職活動しました。ですが、弁護士になった今、法律的観点からもきょうだいの活動をしています。それは、「『弁護士の娘』に生まれたことに加えて、『きょうだい』だったから、『聞こえるお姉ちゃん』だから」というのが本当の志望動機だったからです。今思えば、恩師は妹さんの存在なくしては、弁護士になった自分の自己紹介が成立しなかったのだと思います。

みんな頑張っていることをまず褒めて
――いま、大人になったきょうだいとして、伝えていきたいことはなんですか。

社会人となり、就職先は都内の大手の事務所か、埼玉の父の事務所かで悩み、結婚でも壁にぶつかります。そんなとき駆け込んだ場所が、きょうだい会でした。「全国きょうだいの会」は昨年設立60周年を迎えました。決して新しい団体ではありません。障害のある家族とともに生きながら、仕事、家族、子育て、社会活動など悩みつつも充実した人生を生きている方々は大勢いたのです。私が子どもの頃にそのような情報やつながりに手が届いていれば、違っていたところもあるのではと思います。

なので、大人になったきょうだいとして、私と弟の将来の展望、世間にSOSを発信する力の大切さ、適切な相談相手との出会い、差別や偏見への対応方法に加え、されて嫌だったこと、してもらってうれしかったこと、自分でもこうすればよかったことなどを、具体的に伝えていきたいと考えています。

ただ、伝えられるのは私個人の事例です。体験談を聞いてくださる方には、子育て中の保護者の方や学校の先生、次世代のきょうだいの方と、さまざまな方がいらっしゃいます。私の対応が正解だとは思っていないので、必要なところだけを持っていっていただき、反面教師として参考にしていただいても本望です。

きょうだいにかんする活動は、家族を傷つけることにもなるんですね。活動の根底には解消できなかったモヤモヤがあるわけで、そんなふうに思わせてしまったということ自体が家族を苦しめることだってあると思います。でも、弟も両親も、今は私の活動を応援してくれています。夫も家族の介護を経験しており、理解があります。自分が置かれた環境をありがたく思っており、原動力になっています。

――最後に一言、今悩みを抱えているきょうだいにメッセージをお願いします。

きょうだいも、障害のある本人も、親も、みんなそれぞれ頑張っていることをまず褒めてほしいです。相手はもちろん、自分自身もです。「弟の分まで頑張って」なんて、弟からしたら失礼な話ですよね。どうしても何かが足りないと感じてしまうのかもしれませんが十分です。「毎日お互い頑張ってるよね、みんなありがとうね」と言い合える生活が送れるのがベストだと思います。そのためには、マイナスな感情も含めて、思いはオープンに言葉にした方がいい。

一度きりの人生。大事なのは何を選択したかではなく、「自分でいい選択ができた」と後々思えることだと思います。それには回り道をしてもいいし、方向転換してもいい。その都度悩むことは財産になります。ただ、身近な人には話しにくいときや本当につらいとき、同じ仲間の話を聞くことで視界が明るくなることもあるので、活動をしている団体の存在を頭の片隅に置いておいていただけたらうれしいです。

朝日新聞EduA記事・2024年5月13日

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