【ボクシング】難聴ボクサーが聖地でプロデビューへ 聞こえないゴング、セコンドの指示 それでも「できると見せたい」 京大出身/デイリースポーツ記事・2024年1月21日

 

 生まれつき耳が不自由なボクサーがプロデビューする。2月3日に後楽園ホールで行われる興行のスーパーバンタム級4回戦に出場する岡森祐太(31)=真正=は、音が聞き取りづらい「感音性難聴」を乗り越えて、昨年8月のプロテストに合格。東京の聖地で念願のリングに立つ。

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 長谷川穂積ら男子3人の世界王者を輩出した強豪ジムの片隅で、スパーリングを終えたボクサーがトレーナーの身ぶり手ぶりを見つめていた。B級相手の激しいスパーでは、彼が「聞こえていない」とわからない。しかし、インターバルのコミュニケーションはジェスチャーが中心。練習が終わると、トレーナーのLINEに矢継ぎ早にメッセージを送り、疑問点を確認した。

 生まれつき「感音性難聴」を抱える岡森がいる音の世界は複雑だ。「静寂だと言うとかっこいいけど、そうじゃない。耳鳴りがずっとしているような感じです」。補聴器をつけると、はっきりしたものなら「音がしていることはわかる」程度。言葉は、相手の口の動きなど視覚情報とともに理解する。

 意外なことに、リング上ではその不自由さが少し和らぐという。ロープの中は普段の生活より限定的で「不確定要素が少ない」からだと。「例えば、道を歩いていていきなり声をかけられる。車が思ってもいないところから出てくる。コンビニの店員さんがマスクをしていると、何を言っているのはわからない」という日常から、「目の前の相手が、右手を出すか左手を出すか、見なければいけないことが少ない」と負担が軽くなる。

 一方で、セコンドの指示は聞こえないため「自分がぶれると、誰かの声を頼りにはできない」。「メンタルを鍛えないといけない」と、戦術も精神的にも自己完結が前提だ。プロテストでは残り時間を発光で知らせる措置がとられたが、レフェリーの声もゴングも聞こえない戦いには変わりない。

 健聴者とともに過ごした関大第一高で日本拳法部に所属し、格闘技の道へ進んだ。学業にも力を入れ、京大経済学部に現役合格。そこでアマチュアボクシングを始めた。一般企業に就職し、ジム通いをする中でプロデビューの夢が芽生えた。

 日本で聴覚障害を持つプロボクサーは、映画「ケイコ 目を澄ませて」(2022年)のモデルとなった女子の小笠原恵子が13年までリングに立った。キックボクシングでも、郷州征宜がK-1で活躍。野球では日本ハムなどで「サイレントK」と呼ばれた石井裕也がいる。陸上男子円盤投げの湯上剛輝(トヨタ自動車)は、元日本記録保持者だ。

 彼らの活躍を知る岡森は「聞こえない選手がリングに立つということ、できるということを見せたい」と、自身を駆り立てる使命感を口にする。だからこそデビュー戦の目標は、勝利だけではなく「しっかりやること」と明快だ。「ひどい試合をしてしまうと、聞こえない選手はリングには立てないということになる。そうならないようにしないといけない」

 危険な競技だからこそ、道を切り開くものの責任は重い。「人一番安全に、しっかり力を発揮していい試合をしないと、私以降の人につながっていかない。しっかりやります」。初陣の相手、福嶋滉平(竹原慎二&畑山隆則)もデビュー戦。2人で交わす熱い拳が、リングに多様性をもたらすと信じている。


デイリースポーツ記事・2024年1月21日
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