キハ181系国鉄特急型気動車 トレインマークコレクション | 臨時急行「だいご」の乗務日誌

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只今絶賛不定期運行中です。

トレインマークコレクション第2弾


今夜はキハ181系国鉄特急型気動車です。


これもとあるイベントの参加による撮影会でのひとコマです。


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特急「あさしお」号(文字マーク)

山陰本線を京都から米子や丹後半島を結んだ列車。

園部-福知山間電化開業とともに廃止となった。

昔はシンプルな文字マークが主流だった。


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特急「あさしお」号(絵入りマーク)

海から昇る朝日をイメージしている。


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特急「まつかぜ」号

キハ82系時代は、京都から大阪を経由し福知山線・山陰本線を走破。

九州の博多までを結ぶ列車だった。

このキハ181系時代は大阪から福知山線・山陰本線経由で米子までを結んでいた。

1986年10月31日で廃止。


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特急「つばさ」号

山形新幹線はおろか、東北新幹線もない頃、上野と福島から奥羽本線に入り、板谷峠を電気機関車の力を借りながら山形、秋田を結んだ列車。

そのご電車特急の485系に置き換えられ、さらにJR化後は山形新幹線が名前も運転区間も引き継ぎ、今も走っている。


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特急「あおば」号

特急「つばさ」の間合い運用で、秋田-仙台を北上線経由で結んでいた。

1971年に臨時特急として誕生。その後、1972年に定期列車化。

しかしながら、「つばさ」が電車特急となった1975年に廃止となった短命の特急列車である。

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特急「はくと」号

国鉄の工事凍結線であった智頭線が1994年に智頭急行として開通し、

その時誕生した京都-鳥取間の特急「スーパーはくと」を補完する列車として誕生。

しかし、1997年に全列車「スーパーはくと」に統一され廃止。


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特急「おき」号

1975年に山陽新幹線博多延伸に伴い、山陰本線米子と山陽本線新山口(旧:小郡)とを結ぶ陰陽連絡特急として誕生。

2001年に新型の振り子式気動車キハ187系に全車置き換えられ、列車名も「スーパーおき」となり、キハ181系での運転は見られなくなった。


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特急「北近畿」号

実際にこのキハ181系での定期運転はなかったが、臨時特急として運用されたことがあり、その際、このマークが取り付けられた模様。

よく作っていたものだと思う。


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特急「しおかぜ」号

今やほぼ全車振り子式の電車特急や気動車特急に置き換えられているが、国鉄時代はキハ181系が高松を起点に四国を駆け回っていた。


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特急「南風」号

「しおかぜ」が予讃本線(現:予讃線)の顔なら、「南風」は土讃本線(現:土讃線)の顔だった。

尚、この絵入りマークは国鉄時代のデザインで、JR化後瀬戸大橋線開通後のマークとは異なる。


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急行「シュプール」号

関西と白馬や栂池とを結んだ冬だけの臨時列車。

全盛期には、数多くの列車が設定され、電車、客車、気動車と車庫に眠っている車両はどんな車両であれ「シュプール」号として走っていた。

今はスキーヤーの人口も減り、車やツアーバスに追われて客足が離れ、もう見ることはできない。




おまけ


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特急「白鳥」号?

ご存知の方も多いだろうが、もちろんキハ181系での運転実績などない。

それもそのはず、このトレインマーク、実はキハ82系用のトレインマークで無理矢理キハ181系に填めているだけだからである。

でも、あってもおかしくないような組み合わせである。




以上、キハ181系トレインマークコレクションでした。