個食とかおひとりさまといった言葉もふつうになってきたような気がします。いまでは焼肉店でも回転寿司店でもひとりで入りやすいような工夫がされています。

 ひとりではむずかしそうなものに鍋料理があります。鍋料理もひとつの鍋を数人でいっしょに食べるものでしたが、一人鍋も増えてきました。

 

 私の考えとしましては、鍋料理は作ってくれる人がいるからこそいいのであって、自分で作って自分食べる、ということに抵抗があります。これは弁当にもいえることです。

 弁当も、人から作ってもらうところに意義があると思っています。弁当作りは時間も手間もかかるものですから、その価値にお金や味は関係ありません。ただただ作っていただいたことへの感謝しかなく、それだけで満足というか、うれしいと思います。これは私が調理師だからかもしれません。

 

 ちなみに昔一人暮らしをしていたころ、お銚子と猪口を買って、それで日本酒を飲んでいたことがあります。そのときはそれがカッコイイと思っていたからですが、すぐに使わなくなってしまいました。

 お銚子と猪口は、となり(もしくは向かい)でお酌をしてくれる人がいるからこそ意味があるのであって、一人でやるものではないことに気がついたからです。手酌酒という言葉もありますが、私はあんまりいいとは思えません。

 

 話を鍋料理に戻します。ひとつの鍋を囲んで、みんなで食事をするのが鍋料理の基本だと思っていたのですが、もともとはちがうようです。

 鍋料理は、江戸時代の居酒屋の人気メニューだったのですが、その鍋は一人前用の小鍋でした。

 

 鍋料理の普及には、江戸のちかくで濃口しょうゆやみりんが作られるようになったのも関係しています。濃口しょうゆとみりんのおかげで、おいしい料理がかんたんにできるようになりました。鍋料理は出汁がなくても、煮込むうちに素材からを出汁が出ます。手間のかかる調理がなくてもおいしい料理ができるのですから、提供する側としては大助かりです。

 

 そもそも昔は、家庭でも居酒屋でも料亭でも、お膳があり、その中に一人前ずつの料理がすべて収められていました。食事は一人前ずつが基本だったので、鍋料理も一人前なのは当然だったのです。

 家庭では自分のお膳が決められていて、食器類の管理は各自でしていたようです。いまではお膳は見かけなくなり、一般家庭ではないといっていいと思います。

 ひとつのテーブルをみんなで囲むというのは西洋の考え方で、昔の日本にはなかったのです。一人前ずつの料理が増えていくことは、原点回帰といえるのかもしれません。