知り合いに極度の偏食の人がいます。食べられるものが肉類とごはんのみで、野菜をいっさい食べないのです。野菜を食べると気持ちわるくなるそうで、こどものころから食べずに現在に至っています。

 野菜を食べないからといって、具合がわるそうにしているとか、病気で入院したとかはなさそうです。ちょっとぽっちゃりはしていますが、健康そうにはみえます。好きなものしか食べない、と決めているからストレスがないのがいいのではないでしょうか。

 

 私は食べ物の好ききらいはないほうがいいと思っているので、その人の気持ちは共有できません。野菜を食べることに対して、気持ちいいくらいはっきりと拒絶しますし、ぜったいに譲歩をしないので、何も言うことはできないのです。

 マイノリティーを大切にしないと、捕まってしまいそうな世の中ですから、関わらないのがいいと思います。

 

 その人が唯一食べられる野菜料理があります。それはフライドポテトです。煮たり焼いたりしたジャガイモは食べないのですが、フライドポテトだけは食べられるのです。これだけでフライドポテトの偉大さがわかる気がします。

 欧米ではフライドポテトはフレンチフライと呼ばれます。フレンチとついていますが、フライドポテトの発祥の地はベルギーだといわれています。

 

 ジャガイモは16世紀に、南アメリカ大陸を侵略したスペイン人によってヨーロッパに持ち込まれました。最初は家畜のエサとして栽培されていたのですが、気候の寒冷化が進み、ほかの作物が取れなくなると、庶民のあいだでジャガイモの食用が広がっていきました。

 ヨーロッパの各国でジャガイモが食べられるようになっても、フランスでは病気の原因になるとして、ジャガイモの食用を禁止していました。フランスの宮廷や貴族たちは、ジャガイモは家畜のエサでしかなく、人が食べるものではないと考えていたのです。

 

 しかし、飢饉はつづき、庶民は食べるものがなくて困っています。寒さにつよいジャガイモが栽培できれば食料になります。そのときジャガイモの栽培を広めようとしたのが農学者のパルマンティエです。

 パルマンティエは戦争でプロイセンの捕虜になったときにジャガイモを食べていて、ジャガイモの必要性を感じていたのです。

 

 パルマンティエは宮廷にジャガイモの有用性を伝えたり、貴族たちにジャガイモ料理をごちそうしたりして、ジャガイモのPR活動に取り組みました。それによってジャガイモの価値が見直され、フランスでも食用に栽培されるようになったのです。

 

 ジャガイモが食用になったことで、フランスの多くの人が飢饉から救われました。パルマンティエのアイデアとプレゼンテーション能力によって、ジャガイモが栽培されるようになったといえますが、庶民のためにと、それをしっかり受け入れて法律を変えたのはルイ16世です。

 ルイ16世は、このあと起きるフランス革命によってギロチンにかけられるわけですが、それほどわるい人ではなかったと思います。ルイ16世も、パルマンティエも、フランス料理の歴史にはかかせない人物だといえます。