職場の後輩に暗算が早い人がいます。仕込みのときに食材の数を計算するときがあります。そういうとき「38×12は?」と聞くと、「456」と3秒以内に答えがかえってくるのです。

 数字があまり好きではない私からすると、魔法使いですか?と思えるくらいで、感心してしまいます。こどものころにそろばんをやっていたそうで、うらやましいかぎりです。私が社長だったら、これだけで月1000円の手当をつけてあげたい気持ちがします。

 

 食材を数えるときに、私は数字を声にだすことがあります。声にださないと、その数字が頭に入ってこないので、理解できないからです。

 数字への耐性がないので、数えるだけでも集中力が続かないのです。声にだすことで、のどと口と耳を動かして、脳ミソに刺激をあたえていないと思考が止まってしまい、数を忘れてしまいます。

 

 バカみたいに声にだして数をかぞえていると、あることに気がつきました。それは私自身の数字の受け取り方です。「1687」を言葉で発すると、「せんろっぴゃくはちじゅうなな」と、とても長い表現になります。しかし、数字を使えば「1687」と4つの記号ですむのです。

 たぶん、私は数字を見るたびに、頭の中で数字を文字に変換しているのだと思います。「52」は「ごじゅうに」、「316」は「さんびゃくじゅうろく」のようにです。

 

 どこでそうなったのかはわかりません。小学校のときの、足し算引き算の理解の仕方がまちがっていたのかもしれません。私は計算するときに、数字を文字として読んでしまっていている、ということです。

 数字を数字のまま計算するのが普通だと思います。しかし私は数字を文字に変換してその数字を理解し、それからもう一度数字に変換して計算しているような気がします。

 計算を効率よくするために、数字という便利な記号があるのに、私はそれを、わざわざ文字に戻して理解しているのです。それでは数字が頭の中に入ってくるわけがありません。

 

 英語ができない私が言うのもおこがましいのですが、英語を覚えるには英語のままインプットするのが大事だそうです。

 「apple」と書いていたら「リンゴ」と日本語に訳して理解するのではなく、「apple」のまま、「apple」として頭の中に刻むのです。一度日本語に訳すことが複雑化を生み、逆にわかりにくくするからです。

 数字も英語と同じように、見たままで理解しないといけないのです。そう考えると、数字を声にだして数えることは、数字の本質とかけはなれていて、無意味なのかもしれません。数字も「数字」という言語なのだと思いました。