豚肉の生姜焼きを作っているときのことです。調理師になって2年目の後輩に、「フライパン振るの楽しい?」と聞いてみたら、「楽しい」との答えが返ってきました。
どうしてそんなことを聞いたかといいますと、彼がフライパンの振り方を自分なりに考えているようで、そのときの表情が悩んでいるというよりも、楽しそうに見えたからです。
フライパンを振るというのは、炒めるときにフライパンに入っているものをひっくり返すために行う行為です。中華料理店で、中華鍋を使ってチャーハンを作っている光景をイメージしていただけると、わかりやすいかと思います。
厨房のフライパンは、家庭にあるものよりもはるかに大きく、重さもあります。フライパンが大きいということは、それだけ入る材料も多くなりますから、重さはさらに増します。
一般家庭のキッチンでは見ることのできないフライパンでの調理は、プロの厨房の仕事ならでは、という趣きで、なんとなく達成感のようなものが感じられるのです。
フライパンは肉や魚を焼くときにも使いますが、その場合は振ることはありません。フライパンを振るときは炒め物をするときです。
そのなかでもいちばんやりがいがあるのは、ご飯のときです。宴会場ではバターライスやピラフなどを提供することがあり、そのときは、フライパンでご飯を炒めることもあるのです。
フライパンを振る作業は、炒め物をするときのものですから、ストイックなフレンチレストランではあまりないことかもしれません。どちらかというとホテルや宴会場の洋食というジャンルに多い作業といえそうです。
私は調理師になったばかりのころ、フライパンを振る練習をさせていただきました。そのころはホテルのビュッフェスタイルのレストランで働いていて、そのときの料理長からつきっきりで教えてもらったのです。
夜の営業が落ち着いてきた時間に、残っていたご飯を使って、ひたすらフライパンを振って練習しました。
フライパンを振ってうまくひっくり返すには、フライパンを斜め前方に向かって振り上げ、そのまま下に降ろすような感覚で行います。大事なのは勢いで、体と腕を大きく使うことです。勢いよくフライパンの中のものを空中に投げ出すイメージです。勢いよく投げ出されると、材料はひとかたまりになったままの状態を維持し、そのままフライパンに戻るのです。
はじめのうちは、この「勢いよく」の程度がわからないので、うまく返せません。振り上げる角度やタイミングも考えながら、何回もくりかえしました。
うまくできないので、当然まわりにご飯はこぼれます。私のまわり半径1メートルはご飯だらけになってしまいました。ガス台も床もご飯粒で埋め尽くされて、事情を知らない人が見たら爆発事故でもあったのかと思ってしまいそうなほどでした。
料理長が、「どれだけ汚れても気にしなくていいから、できるまでやってみろ」とおっしゃってくださったので、思いきり練習することができたのです。いまの時代の感覚であれば、絶対できないと思います。そんな練習をさせてくれた料理長には感謝しかありません。