どんな料理にもマヨネーズをかけたい人がいます。唐揚げやフライドポテト、ソーセージなど、そのまま食べてもおいしいものにも、マヨネーズをつけてしまうのです。

 私はマヨネーズがあまり好きではないので、なんにでもマヨネーズをかける行為は不思議にみえます。なかには、マヨネーズで和えられたサラダに、さらにマヨネーズをかける人もいます。けっこう多めの量をくわえるので、それを見ると恐怖すら感じてしまいます。

 私が違和感を感じる、マヨネーズをかける料理は冷やし中華です。冷やし中華のタレの酸味とマヨネーズの酸味が合うのかもしれませんが、私には、奇妙なものにしかみえないのです。マヨネーズが混ぜられた冷やし中華は、見た目が美しくないと思います。

 

 同じ麺類で、焼きそばにマヨネーズがかけられることがあります。焼きそばには酸味の要素がないので、濃い味付けのアクセントになるともいえます。お好み焼きのソースとマヨネーズの組み合わせもよくみますし、甘辛い味付けとマヨネーズは合うのかもしれません。ただ、味の濃いソースに味の濃いマヨネーズを加えるのはくどいようにも思えます。

 マヨネーズをかけると、どんな料理も一瞬でマヨネーズ味になってしまうところが、マヨネーズのマイナスポイントだと思います。マヨネーズが好きな人にとっては、そこがいいところなのでしょうが、私にとっては理解しがたい点なのです。

 

 素材の味にたいして、甘いものや辛いもの、苦いものなど、さまざまな味付けがあるからこそ、料理や食事に楽しみがあると思うのです。マヨネーズが好きだからといって、なんでもマヨネーズ味にしてしまうことは、料理の多様性を否定しているようにもみえます。

 どんな料理も自分の好きな味にしなければ気が済まないというのは、人間関係の考え方にも通じるものがあります。相手の気持ちを考えず、自分の好きなようにやりたい、自分のほうが正しい、といっているのと同じように思えるからです。

 

 マヨネーズの進撃は、刺身料理にもおよんでいます。サーモンやカツオのたたきにマヨネーズが添えられていても、不自然に感じなくなってしまいました。エビやカニにもマヨネーズが使われることがあります。脂のあるものや濃い味のものには、マヨネーズを呼び込む能力が備わっているようです。

 

 マヨネーズの発祥はフランスやスペインといわれていますが、現在のような加工食品としてのマヨネーズはアメリカで生まれました。海外のマヨネーズは全卵がベースになっていて、全体的にあっさりとした印象です。

 このマヨネーズが日本に持ち込まれ、卵黄が使われたものに進化しました。マヨネーズの不自然に濃い味は、日本特有の味なのです。マヨネーズの濃い味は、ごはんのおかずの味付けに合うように改良されていった結果なのかもしれません。

 食事に対して健康志向が高まるなかでも、マヨネーズはひるむことなく、新商品がつぎつぎと生まれています。向かうところ敵なしのマヨネーズの進撃は、これからも続くように思います。