スペシャル企画
「フォーク&ロックの大先輩たち」
第一回目は、作曲家、ギタリスト、歌手の濱田金吾さん の紹介をさせて頂きます。
濱田さんは、 「僕にまかせてください」のスーパーヒットで知られる、フォークグループ「クラフト」の元メンバーの方で、その後は作曲家として、そしてご自身もソロのシンガーソングライターとして、現在もご活躍中です!!
濱田さんのことを詳しくご紹介させて頂く前に、やはり、「クラフト」について、少し触れてみたいと思います。
先ずは、1975年(昭和50年)4月~9月に日本テレビ系で放送された土曜ドラマ「ほおずきの唄」(出演:中村翫右衛門、近藤正臣、島田陽子ほか)の主題歌としてクラフトが歌った、この歌からお聴き下さい。
Youtubeの映像が素晴らしくクラフトの歌を盛り上げて、歌詞をなおじっくりと聴かせてくれます。ハンカチが必要になる方もおられるかと思いますので、覚悟してお聴きください。(ノ_・。)
「僕にまかせてください」作詞/作曲:さだまさし
1975年、さだまさし作詞・作曲の2ndシングル『僕にまかせてください』(50万枚のヒット)と3rdシングル『さよならコンサート』が大ヒットして、1978年、解散しましたが、個人的には、「夏の~日差しに~麦わらぼうし~♪」で爽やかに始まる
「言問橋」が、とても印象に残っております。
言問橋 作詞:三井誠、平井正尚/作曲:三井誠(三井さんはクラフトのメンバーです)
御本人の濱田金吾さんは、クラフトのことをこのように語っておられました。
「三井さんはクラフト時代から素晴らしいメロディメーカー。
本来のクラフトはウェスト・コーストっぽいアメリカン・ポップが主体で、名曲がいっぱい!!『フォークグループ』でも『叙情派フォーク』でもないわけで、ヒット曲とのギャップが面白いかも。もちろんヒット曲も大切にしているんだけど(笑)」
クラフトの当時のメンバーをご紹介します。
三井誠さん(1950年10月6日 - ) 熊本県出身
現在は作曲家。代表作は稲垣潤一『クリスマスキャロルの頃には』。
森谷有孝さん(1950年9月30日 - ) 神奈川県出身
さだまさしさんとは大学時代の同窓。1981年に白鳥座に参加。
松藤一美さん(1955年12月1日 - ) 福岡県出身(松藤さんは、私と同じ大牟田市出身です)
現在は「松藤一英」の名でパーカッショニストとして活動。
浜田金吾さん(1953年1月17日 - ) 東京都出身
現在は「濱田金吾」の名で作曲家。
確かに、三井さん作曲の「クリスマスキャロルの頃には」のメロディーを想像すると、大滝詠一のような、西海岸的、アメリカン・ポップのイメージが色濃く浮かんで来ますね・・・・。
そして、濱田金吾さんは、1979年小杉理宇造さんプロデュースにより山下達郎さんとAIR RECORDSを設立参加、ソロ活動を開始されました!!
御本人おっしゃる、本来のクラフトのカラーであった、ウエスト・コート的なアメリカンポップ、あるいはシティーポップの代表格として、様々な名曲を残され活動されました。この分野の「真のアーチスト」を待ち望んでいたファンで、コンサート会場は入りきれず、あきらめて帰るお客様がたくさんおられたそうです。
May Sickは、「参りました!」と言いたくなるような、そのカラーを私たちに見事に伝えてくれる、ヒット曲!!。ブルースの血筋も感じ、私達の心をワクワクと、アメリカンポップの坩堝にいざなってくれます☆
May Sick
作詞:松本隆/作曲:浜田金吾/編曲:Gerald Alters
次はほろ酔い加減で聴いてください。じっくり味わいたい彼の名曲です。
PIANO MAN
作詞/小林和子、作曲/濱田金吾、編曲/山田秀俊、濱田金吾
数多くのアーティストに楽曲提供&プロデュース
高橋真梨子/太田裕美/西城秀樹/岩崎宏美/ ....他多数
皆さんお馴染みの曲は、
岩崎宏美さんの「摩天楼」
作詞: 松本隆、作曲: 浜田金吾、編曲: 井上鑑
*気が付けば、松本隆さんも、濱田金吾さんも、凄い方が私のFacebookの「お友達」で、濱田さんとは本当に、いつもパソコン上で漫才やらせて頂いております(笑)。なんだか昔では考えられない凄い時代ですね。
同じく岩崎宏美さんの、宇宙戦艦ヤマト、「ヤマトよ永遠に」の中の挿入歌、
「愛の生命」
以前、桑名正博さんと岩崎宏美さんのロックミュージカル『ハムレット』に濱田さんが曲を提供されたとき、岩崎さんに曲を気に入ってもらえたのがきっかけで、このお仕事が舞い込んできたそうです。
岩崎宏美さん→ヤマトのプロデューサーの西崎さん、という経由で、濱田さんに白羽の矢が当たりました。私もこの作品を作った、コロムビアレコード学芸部に所属しておりましたが、ヤマトが空前の大ヒットを飛ばしているとき、このプロジェクトに携われる音楽家の方というのは、正に「選ばれた方たち」だったのです!!
太田裕美さんの、「青空の翳り」
などです。
.「音楽を始めたきっかけは何でしょうか?」と、原点に戻って訊ねてみました。
「楽器に触れることが物心ついた頃から大好きだった。そんな中で近所の仲の良かった子がヴァイオリンを習い始めて、わけもわからずに親に頼み込んで習わせてもらった。その反面人から教えてもらう事が大嫌い。10年続けてたことはエライかも(笑)。辞めたのにはそこそこの理由があるのだけれど、ソリストの世界よりもバンドの方が楽しかったということ、音楽はもっと自由で個性的なものだと感じたからだと思う。小学6年の時には『バンドマン』を目指していたので遠くはなかったかな?」
「濱田さんが音楽活動をしている中で、なにか特筆すべきエピソードがありましたら、教えて頂けますか?」という最後の質問には、
「1980年にソロ・デビューしてから、変わらず今も駆けつけてくれる人たちが、沢山いらっしゃる。それがいつもが感動だし、笑顔に繋がってる。」
とのことでした。誠実なお人柄が、伝わって参ります。
そしてその中の熱烈な女性ファンの方が熱く語っておられました。
「J-POPの草分けは金吾さんだと崇拝しています。都会的なメロディーラインと独特の歌い方、声の響きは、女性はもちろんの事、男性ファンも多くて。ライブも、楽曲の秀逸さは、勿論のこと、巧みなMCで、ファンを楽しませてくれます。ギター、キーボードの技術は言うまでもなく、ベースは、めちゃ、かっこいいです。個性的なミュージシャンを束ねるリーダーシップは、同業者にも高く評価されています。プライベートで、お話ししても、すごく気さくで、でも言葉がお洒落で、どきどきします(≧▽≦)」
2001年
村田和人さん、松下誠さんとのユニット『Moon Kids』結成を期に17年ぶりに単独ライブを再開されて、なお根強いファンに愛され続けている、濱田金吾さん。
皆さんも、是非ライブにて、濱田金吾さんの真のシティーポップに触れてみられませんか・・・?!
もちろん、私も日本で是非伺いたいと、心はワクワクと滑走路に待機しております。
追伸:同時期に、「濱田省吾さん」がご活躍されてたことから、
「濱田と言えば、金吾です」というキャッチコピーが実際についていたそうです。
一字違いなのでよく間違ってレコード買われて、それをきっかけに「金吾ファン」になってくださった方もおられるとか・・・(*^。^*)
作曲家、アレンジャー、プロデューサー、ギタリスト、(ほかにベース、ピアノ)歌手・・・・と、今なお大忙しの濱田金吾さんです。ひとつ、ひとつの作品はどれも天才的なひらめき+ソウルを感じて、心に染み入り、いつまでも聴きほれてしまう私です(*^。^*)
そして・・・
私のPCが、「濱田」と入力しただけで、
「濱田と言えば金吾です」
と、学習してしまいました。(笑)チャンチャン♪(*^ ・^)ノ⌒☆
濱田金吾オフィシャルウェブサイト
Wikipedia
濱田金吾さんは、クリスタルキングの1983年に、シングルリリースされた、
「愛情AGAIN」という曲も、作曲されてます。お互い面識がないとのことですが、こうやって、音楽界、芸能界は、繋がっているのですね・・・。
ということで・・・
('-^*)/次回は、クリスタルキングのボーカリスト、田中昌之さんと、ベーシストの、野元英俊さんです!!