どうも。
爆風必至の5月10日になりました。
みなさまいかがお過ごしですか?
さて、こんなタイミングでなぜか
『満ちてゆく』MVのポストが来ましたね!
なんで今なんじゃろう?
と風友に言うたら
『時間ができてスマホ眺めとったんじゃろう。今日は風くん休みじゃな。』
と非常に冷静な返事をいただきましたw
BTSがもうすぐ公開になるとか
そういう匂わせであってくれーーー🙏
🍃🍃🍃🍃🍃
さて、
風くんからの写真も来たことじゃし、
『満ちてゆく』の歌詞について
前から考えとることを書いておきます。
ずっと前から書こうと思いながら
なんとなくタイミングを逃し続けとったんで
風くんに便乗してブチ込んでおきます!
🍃💧🍃💧🍃💧🍃
藤井風の『満ちてゆく』。
映画『四月になれば彼女は』の主題歌として
書き下ろされた曲。
ラブソングではあるけれど
男女の間の愛にとどまらず、
人類全てへの
いや、それをも超越して
万物への穏やかで揺るぎない愛を
美しい言葉で紡いだ名曲。
この曲の歌詞を初めて文字で目にしたとき
実は引っ掛かった箇所がある。
それはこの曲のメインとなる
手を放す、軽くなる、満ちてゆく
の1行。
「、」が入っているんだろう。
歌詞に「、」が入ることは珍しい。
それをわざわざ入れてあるということは
この「、」に
藤井風からのメッセージが
込められている
ということなんじゃないか?
そもそもこの「、」は
読点といって
日本語の文の途中に置いて
読みやすいように区切る役割の印。
対して「。」は
句点といって
文の最後につける印。
『手を放す』『軽くなる』『満ちてゆく』は
いずれも動詞の終止形で終わっているため
通常の文章としてならば
本来は後ろに句点「。」が付くのが正しいと思われる。
手を放す。軽くなる。満ちてゆく。
日本語文としての正しい形はこうなると思う。
ところが藤井風は読点「、」をつけている。
なぜだろう?
ここで
先ほど書いた句読点の本来の使い方を
改めて考えてみてほしい。
句点「。」は文の最後につく。
つまり終わりを表している。
それと対比して
読点「、」は文の途中につく。
それは言いかえればそこでは終わらないこと、
つまり
永遠に続いていくこと
を表しているとは考えられないだろうか。
『手を放す、軽くなる、満ちてゆく』
と読点「、」を挟むことによって
一見、区切られたように思えるけど
実は逆に
その小さな「、」で
永遠に繋がり続ける愛を
藤井風は表現したのではないだろうか…。
わたしにはそう感じられた。
みなさんはどう思いますか。
以上、わたしの勝手な考えです。
風くんに言うたら
何言うとん?
て笑われるかもしれんから言わんとってやw
🍃💧🍃💧🍃💧🍃
さてほんなら写真見とくよ〜♪
10枚のうちの2枚は既出じゃから省きます。
ほのぼのツーショット♡
1枚目は風にこっ😊のアキラすんっ😑
2枚目はアキラにこっ😊の風すんっ😑
気が合ってんだか合ってないんだかw
てことで合わせてみた!
と勝手にしみじみ。
💧💧💧
ハッキリ見えて嬉しい!
階段になっとったんじゃな。
教会とかかなぁ?素敵な建物。
渋っ!カッケェ!!
絵画じゃん。
💧💧💧
これはピアノ屋さんの裏じゃろうか?
なんとも絵になる♡
ところで、今まで気付かんかったけど
ネクタイ同じデザインで
エンジとネイビーがあるんじゃな!
この写真はネイビーじゃけど
アキラくんとのツーショットはエンジじゃもん!
…と見えるけどほんま?目の錯覚?w