こんにちは Sallyです
前回に続き今回も自己紹介を兼ねて私のことをお話ししたいと思います
今回は、アメショのホープさんとの出会いからです
ホープさん
幼く見えますが10歳頃だと思います
………
私の母は根っからの猫好きでした
私も社会人となり仕事にも慣れてきた頃のことです
仕事から帰ると、足元に見たことのない子ネコが近寄ってきました…それがホープさんでした
ホープさんは、母が一番、を貫いていました
私も抱っこやお風呂係はOKでした
でも、一緒に寝るのは母だけ
一度も付き合ってもらえませんでした😂
そんな”お母さんLove”なホープさんでしたが、いつも私の帰りを玄関で待っていてくれました
深夜になって家族がみな寝静まっていても、ホープさんひとりだけは必ず待っていてくれました
宿泊出張で1週間ほど留守にした時のことです
泊りなので待たないだろう…
勝手に思い込んでいたのですが、帰宅すると母に言われました
「毎晩、玄関で待ってたよ」
悪い事をしました、ごめんね…
帰りが遅いのか、泊まりで帰らないのか…
わかるはずないですよね
反省しました😅
それからは、出かける前に必ず予定を伝えるようになりました
ここでもホープさんと自然にコミュニケーションしていたのです🤗
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実際にホープさんと同じ家で暮らしたのは2年くらいです
でもその後も、心が疲れると逢いに行って、リフレッシュさせてもらっていました
………
私の母とホープさんは双子のようでもありました
ホープさんの旅立ちから3ヶ月後の同じ日に、母も旅立ちました
もともとは異なる症状で動物病院に行ったのですが、その症状の原因とは別に、母と同じ病気が見つかりました
一足先に向こうへ旅立ち、母を出迎える…
そんな旅立ちでした
この2人の旅立ち…
それは私にとって、大きな柱を同時に失ったような、そんな出来事となったのです
苦しかったことに気づかなかった
二人の旅立ちからしばらくは、忙しさに気持ちを紛らわせていました
仕事に没頭し、しばらく控えていた海外出張も復活させていきました
四十九日法要、納骨、お彼岸、…
初めての事ばかりでしたが、周囲に助けてもらいながら無事に終えることができました
当時は、いつもの腰痛がひどくなった、くらいに軽く考えていました
でもしばらくすると歩けないほどの痛みが襲ってくるようになっていました
精神的な辛さが体調に現れていたのだろうと思います
母の晩年は入退院を繰り返す生活でした
平日は仕事、週末はお見舞いに行く、という日々が続いていました
自宅で過ごすのは寝る時間だけ…
片付ける余裕もなくなり、散らかっていく自宅…
そんな場所でくつろげるはずもなく、落ち着ける空間もゆっくり休む時間もなくし、私の心と体は疲れていました
………
私は大手総合電機メーカーに入社し、社内IT部門のSEとして、グローバルシステムの構築や導入に励んでいました
その経験を活かして、30代半ばからは、大手金融機関のグローバルシステム更改の提案活動&プロマネとして、忙しくも充実した日々を送っていました
その頃は海外へ出向く機会も多く、動物さんと暮らすことは難しかったので、実家のホープさんがオアシスのような存在でした
当時は、大きなプロジェクトのメンバーとして飛び回っていた頃で、やりがいもありました
仕事に没頭することで、さびしい気持ちを忘れることができました
でも、だんだん、少しずつ…
何かが変わっていったのです
少なくともその頃の私は、そう思ってしまったのです
40代になり、自分の居場所が小さくなっているように感じ始めていました
会社でも、仕事でも…
何かしっくりいかない
そんな風に感じることが少しずつ増えて、その度に落ち込んだり、苦しくなったり…
認めたくない私は、誰かに相談することもできず、さらに仕事に没頭して、また疲労が溜まっていきました
そんな時、カラダが悲鳴をあげたのです
………
不調を悟られたくなくて、頑張り続けました
そんな頃に、大さん福さんに出会ったのです
譲渡会のプロフィールに掲載されていた写真です
「顔は地味」と書かれていました😅
(つづく)
🐕お読みいただきありがとうございます🐈