台千二十八話 | 台所放浪記

台所放浪記

料理とか随想とか

7月7日が近づいてきていて、晴れるといいですね。あの時以来、

直接の面会を果たせずにいますが、できるだけ早く安全圏に到達

してお久しぶり&初めましてしたいという思いに変わりはありません。今現在の台所は、朝起きてブログを読んで仕事から戻ってブログを書いて読んでというのが、日課というか生活の一部

でして、ルーターが故障した際にネット環境が遮断されて言い

ようのない不安に襲われたのは、記憶に新しい出来事です。

 

ずっと時間が経って考えている事としては、やっぱりエゴイスト

を切って以降の自分の判断は間違っていなかったと。自分の視点

からは、喫茶店で話をしていた日よりも前から、戻る(厳密に

言うとこれは間違いですが、どこまでもエゴイスト側の言い分と

して)という可能性は0でして、何をどう解釈したらそういう話に

なるのかというのは、未だに謎のままです。ブログ主さんの

いない人生というのは考えられなくて、難癖によって条件を揃え

る事によって、直接の接触には障害が横たわったままですが、

既成事実や他人目にどう映るかという事と関係なく、台所は

ブログ主さんの事を大事に思っています。

 

エゴイストを切る以前の台所の判断で間違っていたと思うのは、

自分の言い分や都合を理解してもらえるという意味でエゴイストを信用していたという事ではなくて、もっと自分側の問題として

、自分が曲がった考えや行いさえしなければ、相手がどうであれ

おかしな事にはならないという自分に対しての過信があったと

いう点です。そういう考えや行いの正しさというのは、あくま

でも相対的なものであったという事を思い知らされた十数年が

経過して、今現在の自分があるといいますか。

 

台所の考えや行いが正しいというのは、当事者そっちのけで独自の情報収集で得た第三者の片口だけを根拠として、それありきで

オリジナルの当事者との関係をどうにかしようというエゴイストの行動が、結果以前におかしいという事でして、仮に自分が誹謗中傷どおりのつまらない人間であったとしたら、どうにかなる

可能性も少しはあるのかな?と思わないでもないですが、全く

当たっていないのと合わせる気も皆無なので、方法論としては

そのままで必死に募集したスポンサーと一緒に底なし沼ツアーに

出かけたと思しいエゴイストの模様というのは、安全圏到達後に

色々と教えてもらいたいと考えています。