金銭や利得に執着しないのが美徳だというのは程度問題で、
経済観念のようなものが全くないのが良い事だとは思いません。
ただ、人倫に悖るようなトレードを数多く積み重ねて
財を成したぜ~、という目端の利き方よりは、計算はできるけど
清貧に甘んじましたという方がまだマシかなあとは思います。
それらが個人の好みではなく美徳として一般論化されだしたの
は、江戸時代の武家の倫理あたりかなあと考えていて、もちろん
蓄財が大好きという武士も多くいたに違いありませんが、建前上
はそういう事に執着するのはみっともない事とされていました。
戦国時代以前は江戸期ほど堅苦しくなかったと思いますが、その
時代は個人の武勇さえあれば、読み書き算盤は一切できなくても
全く不問だったはずで、江戸時代の理想的武士像とは隔たりが
かなり大きいです。江戸時代になって社会が安定して、余剰生産
が増えて貨幣経済がガンガン発展する一方で、建前として金銭を
卑しんでいたので、時代を追うごとに武士階級は貧窮していった
のだという説があります。
自分が知っている武士が金銭を卑しんでいたという事例①
江戸城で伊達政宗が、新しく鋳造された大判を諸大名に見せて
いた折、直江兼続だけはそれを扇子に受けて眺めていたので、
政宗「差支えない。手に取ってご覧あれ」と言ったところ、
兼続「誰の手にかかったか知れないかかる卑しい物を触っては
手が汚れるので、こうしているのです」と答えて、扇子を煽って
ぽーんと投げ返したという逸話があります。
事例②
会津藩の上士階級の子弟は、お祭りや縁日の露店で買い物をする
事は禁じられていなかったものの、代金を自分で数えて払う事は
家庭教育上許されていなかったので、支払いの際は銭の入った
巾着を店の人に預けてそこから代を取らせていたという話を
読んだ覚えがあります。二つとも極端な例ですが。
長いので、この話題のまま次回に続きます。