台九百四十八話 | 台所放浪記

台所放浪記

料理とか随想とか

金銭や利得に執着しないのが美徳だというのは程度問題で、

経済観念のようなものが全くないのが良い事だとは思いません。

ただ、人倫に悖るようなトレードを数多く積み重ねて

財を成したぜ~、という目端の利き方よりは、計算はできるけど

清貧に甘んじましたという方がまだマシかなあとは思います。

 

それらが個人の好みではなく美徳として一般論化されだしたの

は、江戸時代の武家の倫理あたりかなあと考えていて、もちろん

蓄財が大好きという武士も多くいたに違いありませんが、建前上

はそういう事に執着するのはみっともない事とされていました。

戦国時代以前は江戸期ほど堅苦しくなかったと思いますが、その

時代は個人の武勇さえあれば、読み書き算盤は一切できなくても

全く不問だったはずで、江戸時代の理想的武士像とは隔たりが

かなり大きいです。江戸時代になって社会が安定して、余剰生産

が増えて貨幣経済がガンガン発展する一方で、建前として金銭を

卑しんでいたので、時代を追うごとに武士階級は貧窮していった

のだという説があります。

 

自分が知っている武士が金銭を卑しんでいたという事例①

江戸城で伊達政宗が、新しく鋳造された大判を諸大名に見せて

いた折、直江兼続だけはそれを扇子に受けて眺めていたので、

政宗「差支えない。手に取ってご覧あれ」と言ったところ、

兼続「誰の手にかかったか知れないかかる卑しい物を触っては

手が汚れるので、こうしているのです」と答えて、扇子を煽って

ぽーんと投げ返したという逸話があります。

事例②

会津藩の上士階級の子弟は、お祭りや縁日の露店で買い物をする

事は禁じられていなかったものの、代金を自分で数えて払う事は

家庭教育上許されていなかったので、支払いの際は銭の入った

巾着を店の人に預けてそこから代を取らせていたという話を

読んだ覚えがあります。二つとも極端な例ですが。

長いので、この話題のまま次回に続きます。