🍞こころゆるんで、ほっとなごむパン教室🍞

 

大阪阿倍野区 

台所(daidocoro)

 

カウンセラー

あさだ のりこ です

 

 

私の両親はもう他界していますが、

 

 

父の最後は、母と兄夫婦が面倒を見てくれて。

 

 

母の最期も施設にはお世話になっていましたが

 

 

最後のお世話も兄夫婦がみてくれました。

 

 

私は、コロナの時期もあって

 

 

母が大変な時に何もお手伝いできず

 

 

たまに連絡をとって顔を見に行く程度でした。

 

 

それでも、私が後悔しないようにしてくれたのか

 

 

母は最期病院で入院していたので

 

 

会いたいときに会えて、最後たくさん体に障れたり

 

 

たくさんの言葉をかけることができたり、

 

 

母が弱っていくさまを

 

 

そして、息を引き取り

 

 

骨になっていくまでを

 

 

一緒に過ごすことができました。

 

 

これって、残されたものにとって

 

 

とってもありがたいことだと

 

 

本当に思います。

 

 

そして、

 

 

今、夫の母は認知症がどんどん進み

 

 

名古屋の施設でお世話になっています。

 

 

私たちは大阪

 

 

弟家族は東京で

 

 

お互い行けるときに

 

 

交代で様子を見に行っていますが

 

 

まだ、いろんなことが錯綜していて

 

 

不安と悲しみとどうにもできない

 

 

苦しさで毎日泣いています。

 

 

最近は、電話をかけることすら

 

 

できなくなってきました。

 

 

そんな母に何もしてあげれていないことが

 

 

とても、申し訳なく。

 

 

かといって、大阪に連れてくることも

 

 

やっと施設に慣れて、少しは笑顔の時も

 

 

増えてきたのに。

 

 

今大阪へ移すことが母にとっていいことなのか

 

 

どうなのか。

 

 

とりあえず、今の母によさそうな施設を探して

 

 

もっと頻繁に会えたり、悲しいときに電話ができる

 

 

ぐらいの距離にいてくれたら

 

 

認知のスピードも和らぐのではないか・・・

 

 

と思いながら。

 

 

それでも、私も含め私たち家族の生活も大切。

 

 

今しかないこの時間をどうやって過ごすかは

 

 

有限だけに

 

 

しっかり話し合って決めないといけないと思っています。

 

 

 

私はお節介で

 

 

嫁の立場でありながら、自分の母と同じくらい

 

 

大好きで大切な夫の母を

 

 

少しでも笑顔の時間を増やしたいと

 

 

勝手に思っています。泣き笑い

 

 

難しいところは、私だけの母ではないし

 

 

私だけの問題ではなく

 

 

私たち家族の問題でもあり、

 

 

夫や夫の弟の問題でもあるので

 

 

なるべく、対話を重ねて

 

 

建設的に前に進められるように

 

 

お互いの知恵や力を出し合って

 

 

みんなで進められたらいいな~と

 

 

思っています。

 

 

どうしてもラインだけのやり取りだと

 

 

不十分のような気がして。

 

 

今年の夏休みに

 

 

孫が受験生ではなかったので

 

 

東京家族も母もみんな大阪に集まって

 

 

はじめて我が家で

 

 

お好み焼き&たこ焼きパーティーをしました。

 

 

 

 

 

 

 

母にも手伝ってもらって

 

 

助けてもらいました。

 

 

 

 

やることがあるほうが、不安な時間が短くなって

 

 

それでも、自分のことがわからなくなっていく

 

 

不安ともどかしさで毎日泣いていました。

 

 

でも、そんな母と一緒に過ごすことで、

 

 

自分の将来も

 

 

子どもたちは、自分の両親の見送り方

 

 

を学ばせてもらっていると感じました。

 

 

歳を重ねるという事を

 

 

しっかり、見せてくれています。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。