救われるということ | おじゅっさんの日々

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高松市・真宗興正派大乗寺住職のブログ。
香川徳島をまたにかけて、何屋さんかわからないような
日々を奔走中!

仏教というものは奥が深いもので、

実にわかりにくい面があります。

だいたい悟った世界のことを

悟ってない我々が理解しようという点に

無理があるんですよね。むっ




さて、その中で今日言っておきたいのは


救い


というもの。

時々聞くのが

「亡くなったおばあさんが守ってくれた。」とか

「ご先祖様のおかげでしあわせに暮らせる」ニコニコ

というもの。




一概に間違ってるとは言えないけど、

勘違いを起こしやすい表現なんですね。シラー




亡くなった人が、直接的に

事故を回避してくれたり、

病気を治してくれることはありません。

これがポイントビックリマーク

亡くなった人が霊や魂になって

直接働きかけてくれるという


映画「ゴースト」オバケ


みたいな世界は

仏教の考え方ではありません。




でも、お婆ちゃんが生前に

「運転には気をつけなよ」と言ってたのを

思い出してスピードを落としたから

事故を回避できたというのなら、

お婆ちゃんのおかげです。星空





亡くなった人は直接働きかけるんじゃなくて



として働きかけてくれるんです。

「ご先祖様のおかげでしあわせ」というのも

ご先祖さまがいなかったら今の生活

そのものがないわけですからね。

これも縁の世界です。かお




そもそも仏教と、通常の考えでは

「救い」というものの捉え方が違うんです。

通常我々の「救われた」とか「しあわせ」

というのは自分の心の範疇の話ですからね。




人間の尺度というのは本当にちっぽけな

もんです。

常識だって感覚だって、国が違えば違うし、

地域によっても違うし、人によっても違います。

状況によっても変わります。




例えば

今夜の晩ご飯はカップラーメン1個だった。

通常の家庭としては


侘びしい夕食しょぼん


です。

でもこれが雪山に遭難してる人が

ザックの中に見つけたのだったら…

まさに



天の救い!!クラッカー



でしょ?

われわれが実感する救いというのは

自分の欲求が満たされるという

ことにすぎないんです。




泥棒なら捕まらずに逃げ切れることが

その人の感じる「救い」、にひひ

でも長い目でみればその時捕ることが

彼の人生においては「救い」になる

かもしれません。




今現在「悪いこと」と感じてることも

含めて仏教の世界では


救いの中にあるラブラブ


と捉えます。

自分で実感なかったとしてもね。




生きていく中で自分の思い通りに

なることはほんの少しです。

辛いことも、悲しいこともあります。

でもすべてのことは


どないかなる得意げ


Let it beです。

ケ・セラ・セラです。

これが仏教の、特に浄土真宗の教えです。




たとえ自分の思い通りではなくても

どないかはなる。

どうにもならないことなんて

世の中にないんです。

「もうどうにもならない」と自殺に追い込まれる

人もいるけど、

それは自分の思い通りはならないというだけ。




自分の思い通りではなくても

我々には無数の生きる道が用意されてる、

それが救いなんですよ。

どの道がどんな道かわからないけど、

だから不安という捉え方もあるし、ガーン

だから人生はおもしろいという捉え方もある。ニコニコ




ラッキーなことももちろん救いの中。

アンラッキーなことも救いの中。

ラッキーと捉えられるかどうかは


自分の心次第ドキドキ


なんですよ。





今日はちょっと難しいお話でした。

「どげんとせんといかん」に続いて

流行語大賞狙おうかな?シラー

「どないかなる」




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