新アルバムが出たよ!
『ワンルーム叙事詩』

僕もまだ聞いてないけど、とても考えさせられるような歌をつくる人たちだから、是非聞いてみて。
たぶん、僕は買います。

http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DnqJE_d0GGA4&v=nqJE_d0GGA4&gl=JP

これは『光、再考』って曲で一番好きな曲かな。他にオススメは『夏を待っていました』『無題』『爆弾の作り方』、もちろん新曲も。

個人的には新曲の『クリスマス』はあまりらしさが感じられなくて、そこまで好きではないけれど…




将来、『生きる姿勢』を衣食住の『衣』から僕は提案したい。

『生きる姿勢』は、快適さのなかで生きるわけではなく、むしろ快適さとは反対の厳しい環境で生きることだ。厳しい環境に立ち向かう姿勢には、成長を感じ『生』を感じる。これは大量生産と大量消費で作られたこの世界にはあまり常識的ではないと思う。だが、必要なことだと思う。

また個人的に大量生産されたものを古くなったからと捨てるのは美しくない。
ココ・シャネルは「古いものは美しい」と言った。彼女は毎シーズン新しい服を提供するが、彼女自身は毎シーズン同じ服を着ていた。しかし、彼女はそれを提案することはなかった。ファッションをビジネスと考えていたからだ。彼女は古いものを愛していながら、早く廃れることを期待したものを提案していた。もちろん、彼女なりの考えがつまったものであったが。

時間というとても強い力の中で生き残ったものは、それだけで無条件で美しいのだ。なぜなら、そういった類のものは皆、人に愛され大事にされてきたからだ。ただのものではなく、ストーリーを持った存在となる。空っぽな存在ではないから美しいのだ。
そうなるには『好き』だけでは生き残れない。『責任』が必要なのだ。作り手に対する責任、先代から譲り受けたことに対する責任。これが重要なのだ。

僕は作り手に対する責任をなんらかの形で提供することに関わりたい。これが『生きる姿勢』のファーストステップとなる。

『衣』は生活に密室に結びついている。もっと言えば生きることと密室に結びついているのだ。つまり『衣』に対して責任を持つことは生きることに対して責任を持つことの1つなのだ。生きることに責任を持つこと、これが『生きる姿勢』なのだと僕は思う。


海辺のカフカにて、『ある種の完全は、不完全の限りない集積によってしか具現化されない』というセリフがある。

これは、不完全1つ1つに意味はあり、マクロな視点でみると完全となっているという理解でいいのだろうか?

ぼくらは意味のある存在でありながら、意味のない存在でもある。なぜなら、ぼくがいなくても誰かが補完してまわるからである。喪失までもがまるで計画通りであるかのように。運命とはこのことを言うのだろう。

こう考えるとぼくらにはやはり意味はあるのかもしれない。パズルの1つのピースみたいなものであり、それは喪失しようが犯罪を犯そうが存在したことに意味がある。存在するというよりも影響を与えたことに意味があると言った方が正しいかな。例えば、中絶された胎児は自分が影響を与えるつもりがなかろうと、中絶を経験した女性に肉体的であれ精神的であれ影響を与える。

ぼくらは、この完全というすべてを運命にしてしまうハコの中でどう生きていけばいいのだろう?

少なくともぼくにはわからないよ