some/things magazineという本を買った。簡単に言うと世界の著名なクリエイターの写真集といったところだろうか。
第一印象はとても気持ちが悪い。なにが気持ち悪いのか一言でまとめるのが難しいが、まとめるとすると『生』というのが感じられたからだと思う。
中でも印象的なのが、Desilee Dolronというクリエイターの作品で、1992年ガンジス川での人の死体とそれに群がる動物たちの写真である。
目を背けたくなるような写真だった。とても気味が悪く、直視できない。生々しすぎる。
なぜそう思うのだろうか?死体を他の動物が食べるというのは自然なことではないか。
おそらく、ぼくらは食物連鎖の1つのピースだということを忘れているのだろう。
きれいなイメージの宣伝により食べ物の清潔さに親しみを感じていても、生々しく食べられることは考えもしない。自然のルールをぼくらは忘れているのだ。ぼくらの常識は自然のルールの外にある。
いや違う。自然のルールはこの社会でも存在している。本当の問題は、実在しているルールをぼくらが直視してないところにあるのではないか。なぜこのようになったのだろう。現実を直視しなくても生きることに支障のない社会だから?もしそうだとしたら、豊かな社会の副産物は甘えだということになる。発展し続けることができないというのはこういったところから来るのだろう。
発展→豊かになる→見たくないものは見なくても生きていける(甘えもしくは妥協)→没落
全てが全てこれに当てはまる訳ではないだろうけど、むなしいことだと思う。だって、発展途上では豊かさを目指しているのに、その豊かさが没落への一因になりえるというのだから。
これを止めるには、見たくないものを意識してでも見るということが必要なのだろう。いままで目を背けてきたもの全てを直視しなくちゃ
さもなければ没落が始まる。
第一印象はとても気持ちが悪い。なにが気持ち悪いのか一言でまとめるのが難しいが、まとめるとすると『生』というのが感じられたからだと思う。
中でも印象的なのが、Desilee Dolronというクリエイターの作品で、1992年ガンジス川での人の死体とそれに群がる動物たちの写真である。
目を背けたくなるような写真だった。とても気味が悪く、直視できない。生々しすぎる。
なぜそう思うのだろうか?死体を他の動物が食べるというのは自然なことではないか。
おそらく、ぼくらは食物連鎖の1つのピースだということを忘れているのだろう。
きれいなイメージの宣伝により食べ物の清潔さに親しみを感じていても、生々しく食べられることは考えもしない。自然のルールをぼくらは忘れているのだ。ぼくらの常識は自然のルールの外にある。
いや違う。自然のルールはこの社会でも存在している。本当の問題は、実在しているルールをぼくらが直視してないところにあるのではないか。なぜこのようになったのだろう。現実を直視しなくても生きることに支障のない社会だから?もしそうだとしたら、豊かな社会の副産物は甘えだということになる。発展し続けることができないというのはこういったところから来るのだろう。
発展→豊かになる→見たくないものは見なくても生きていける(甘えもしくは妥協)→没落
全てが全てこれに当てはまる訳ではないだろうけど、むなしいことだと思う。だって、発展途上では豊かさを目指しているのに、その豊かさが没落への一因になりえるというのだから。
これを止めるには、見たくないものを意識してでも見るということが必要なのだろう。いままで目を背けてきたもの全てを直視しなくちゃ
さもなければ没落が始まる。


