昨晩、全く信じられない事実に出くわした。
俺はいつも寝る前にブログのネタや構成を考えながら床についているので、昨日も色々一日を振り返っていた。
しかしこれといって変化や面白いこともなかったので(ピアノのことは再三語ったのでもういいだろう)、今よりもずっと昔の過去の出来事を書こうと思い立った。
中学、高校、大学とその間10年に及ぶ経験はまとめようにも甚だ時間のかかる作業になるので、なかんずく俺が好きな、つまり趣味(ピアノ以外)を書くことにしたのだ。
ずばり旅の思い出について書くつもりだったのである。
旅は俺にとって知的好奇心が湧き上がることができる、しかしその一方でしたたかではあるが、その苦しいのと楽しいその両極端の感覚ををいっぺんに味わうことができ、その瞬間を楽しむことが俺の最良の喜びとも言える。
旅の始まりは中学一年の初夏だったか、初めて自転車(折り畳み自転車)で栄を周遊したことから始まる。
あの時は新鮮でなによりだった、今ではあそこの土地に全く感動し得るものもない、当たり前の存在になってしまったが、あの頃は初めて自分の足で訪れたテレビ塔やオアシス21は見るものを魅了する、少なくとも12歳の俺にとっては感無量の出来事だった。
そこから旅への執念は滾り、それは情熱の化身となって若き日の俺に取り憑いた。
中学生で小遣いがなかった俺は、最初こそ折り畳み自転車での活動だったが、徐々にグレードアップしていき、卒業間近になるとルイガノのマウンテンバイク(貰い物)に跨ってありとあらゆるスポットを巡った。
ここで俺の自転車遍歴は語らない、それはまたいつか。
と、まぁ高校に入っても自転車旅を続けていたが、それと並行する形で海外旅行もするようになった。
決して自転車で大陸を横断するような大層なことはしていないが、ただ短期留学や、修学旅行先が海外など、高校時代は何かと海外との結びつきが多くなった時期だった。
そういうわけで大学に入学してもなお、海外旅行への情熱は冷めず、タイやフランスに行ったりと、旅への執念が途切れることはなかった。
海外旅行の経験は何もかもが新鮮で、あの中学時代の栄への旅に似ているものを感じることができた。それはもはや快感だったのである。
それなりに代償も大きい、なにせ海外旅行と懐事情は切っても切れない関係なので、毎回のように吹っ飛ぶ俺の小遣いには、俺よりも他人を呆れさせる。
行く度に俺の貯金は全てなくなるので、帰国時に通ることになるあのセントレアの到着口を通るあの瞬間は絶望感しかない、崖っぷちに立たされているような気分になる。
「あゝこれからいったいどうすればいいのか...」
と口をあんぐりあけたまま呆然と佇むのがお決まりになってしまっている。
しかしながらいつまでも絶望しているのでは示しがつかないので、やがて次の旅先を決めるあたりから俺の情熱は再燃する。
そうやって色々な体験を経ていると、旅先でのかけがいのない思い出は、次へのモチベーションにつながったり、思いがけない出会いにも乗じることになる。
それらを忘れないように俺は毎回ことあるごとにメモを取って、その日の終わりに日記を書いている。
高校時代(まだスマートフォンに慣れていなかった頃)は旅のノートと称してそこに書き殴っていた。
その後やがてiPhoneなどを手にしてくると、メモアプリを重用するようになった。
これほど使い古したアプリはないほど、俺は事あるごとにそれに書き込んだ。
普段から使っているから、旅の日記になると、その量は膨大になる。
何しろ初めて尽しで、驚きの数々に出逢うから、夢中になって何時間も書いていると、せっかく観光地に来たのに、のんびりこんなこと書いてていいのか、と自問自答していながら日記を書き、その時の気持ちも鮮明に記録していた。
昨日はふとその旅の記録を振り返ろうとメモアプリを、その膨大な数のフォルダーから探した。
無かった。
そうだ、俺は先月3年間使ってきたiPhoneに別れを告げていたのを忘れていた。
この3年間という月日たるや、俺は実に多くを経験した。それは俺しか知りえない事実だ。
もう俺はどこかにあの旅のメモが残っていないか、パソコンやタブレットに至るまで隈なく探した。
やはり無かった、残っていたメモはiCloudに残っていた僅かなメモの残骸だった。
悔しい。
俺の悲しみの声が、木魂となって近くの森に響き渡った。
自然よ、同情の念を寄越してくれ。
いったい俺はなぜiCloudに保存するなり、ほかに手を打たなかったのだろうか。
あんなに大切な、旅の思い出が全て詰まった、俺の生きがいとも言える、旅の楽しさが凝縮されているまるで宝物のようなメモ達は消えてなくなった。
あのiPhoneはもう元に戻らない。
壊れたiPhoneはまだ手元にあるから、いつの日か修理ができるほどの余裕が作れた時まで、俺は待とう。
だがしかし、日記の細かな情報は消えてしまったが、このように目を瞑って、あの時のあの光景、感覚を思い出してみると、涙が出るくらい美しい。
俺はすでにトリップしている。
あゝこれでいいのかもしれないな。
少しずつ思い出して行こう。
あの頃の新鮮な気持ちを思い出して、次への旅の計画を練ることにしよう。
今年もまたどこか行こうかな。