(172) 「まだ六年」か、「もう六年」か… | 静寂炉辺

静寂炉辺

数年前からコピーで出している個人ペーパー「静寂炉辺」の記事を中心に、日頃考えていることを散漫に書き綴りたいと思っています。

静寂炉辺に加えて、独り言、一戸弁の昔話なども、気が向いたら書きます。

 平成23年3月11日午後2時46分… 

 82歳にもなろうというのに、あんな恐怖を感じたことはなかった。玄関の柱にしがみついて、揺れや鳴動が収まってくれることを祈っていた。それがとてつもなく長い長い時間に思えた。こうしている間にも我が家が倒壊して下敷きになってしまうのではないかという氣にさせられた… 私の住んでいるのは内陸で、近所で倒壊した家もない。それでもあれほどの恐怖だったのだ、津波に襲われた沿岸にすんでいらした方々の恐怖はいかばかりであったのだろう。あの時からもう6年も経ってしまったのだ。

6年と言えば小学校1年生が卒業を迎えるまでの年数である。もう、それほどの時間が経ってしまったのかという氣がする。

しかし、感じ方は人それぞれ、千差万別である。

6年で、もはやはるか昔のような「過去」になり果ててしまい「もう6年」にも大した感慨も持たない方もいるかもしれない。その一方で、6年経ってもつい昨日のことのような生々しさで「過ぎたこと」という心の区切りをつけられずにいる方々もいるのだろうと思う。

心の区切りをつけて心機一転未来へ! と自分に言い聞かせつつ前を向いて歩きだしている方もいれば、前へ進まなければ、と思いつつも、この先どこへ行けるのか、という不安の中、日々を暮らすことに精一杯の方もいるのだろう。時間はすべての人に平等とは言い切れないのだなぁ、と、こういう時に感じる。

 

人間は、忘却する生き物である。時が経つにつれて大きな悲しみも和らぎ、強い衝撃を受けたことも薄らいでくるという。それを示す「時薬」という言葉もある。また「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉もある。現象としては同じことを言っているのかもしれない二つの言葉だが、考え方としては大きく違う。

「時薬」というように辛い思い・哀しい思い出の胸の痛みは時に癒されて少しずつでも楽になればいい。けれど、

「喉元過ぎて熱さを忘れ」てはいけない。東日本大震災の後にも阿智ことで災害があったように、明日は我が身である。災害は起きるものという心構えが必要だし、自分や家族が巻き込まれたらどうするかということは考えておくに越したことはない。自分が巻き込まれないで済んだ時にも、被災した方々へどのような支援ができるのかということを常に心に置くことは大事なことだと思う。

加えて震災直後に盛り上がった「再稼働反対」の声にも「喉元過ぎて熱さを忘れ」ているような気配を感じる。ことに実際に再稼働が認められてからは、また新しい原発の建設の話題も出ている。反対の声は「過去」に置き去りになってしまったのだろうか。時間が経ってしまえば節電ももはやどうでもよくなってしまったのか…

更に、六年経っても尾を引く「原発いじめ」というものがある。いったい何を考えたらそんなことが出来るのだろう、と思う。「賠償金を貰っただろう」とは何たることなのか。子ども同士でそういういじめがあるというのは、「相手の身になって考えてみる」という姿勢を子どもたちに教えることが出来ていない、この国の大人すべてが恥ずべきことなのではないか。と思う。

そもそも福島原発は福島の電力の為に稼働していた訳ではない。「東京電力福島原子力発電所」なのである。たまたま近くに住んでいて被災したのは辛い災難ではないか。心あるならば「大変だったね」といたわり、少しでも心穏やかに暮らせるようにと気遣いをするのが本当ではないだろうか。福島原発の震災・津波による放射能事故で住んでいた土地にいられなくなり移住せざるを得なかった方々は、住み慣れた土地を離れ、いつ帰れるかも分からないというだけでも辛いであろうのに、「福島から来た」と知られるのが怖いと言い、放射能のことで差別されるかもしれないという危惧を払拭できないでいるという。胸の痛いことである。

震災から「もう6年」なのか「まだ6年」なのか…

時は流れ、日々は過ぎ去る。しかし、被災した方々の暮らしは震災前の水準とは程遠い。過ぎた時間だけで測れないものがそこにはある。

震災当時、世界を感動させた日本人の行動。譲り合い、分かち合う心、そして絆。先祖から受け継がれてきたこの国の美徳が忘却の彼方に置き去りになってしまってはいけないと思う。

震災の教訓を風化させないことは、「自分の身を自分で守る」という心構えを持ち、何事も「自分には関係ない」とは思わないことに始まる。起こったことを教訓にし、同じ轍を踏まないこと、前例を顧みて範とするべきことは失わないようにすることも大事なことだと思う。

そして震災からの復興というのは土地の整備や住宅等の建築のみではないだろう。物質面での復旧も確かに必要ではあるが、それだけでは不十分だと思う。家族を失ったり、先祖から受け継ぎ、自分たちが生まれ育った土地を離れなければならなかったりという方々の痛みを、完全には理解しきれないながらも推し量り、ともに進めるようになってこそ復興と呼べるのではないか、という氣がする。

更に言えば、本当の意味での心の復興とは、今育っている子どもたちが、自分より弱い人や困っている人を目にしたら手を差し伸べようという心を持つように育て、その思いが仇にならない社会にしていくこと、人は自分一人だけでは生きていけないことに一人一人が氣付き「おかげさまで」「困った時はお互い様」という氣持ちで手を携え、支え合うような繋がりを広げていくことではないだろうか。

 

初出 「静寂炉辺」 第81号 ( 平成29315日 発行)