静寂炉辺

静寂炉辺

数年前からコピーで出している個人ペーパー「静寂炉辺」の記事を中心に、日頃考えていることを散漫に書き綴りたいと思っています。

静寂炉辺に加えて、独り言、一戸弁の昔話なども、気が向いたら書きます。

Amebaでブログを始めよう!

お蔭様で 「静寂炉辺 巻1」 が無事発売となりました。

発売までが意外と早かったので、少し驚きました。

 

「どんな本になったのか見たい」と娘に言ったら 紙の本じゃないから現物は見られないそうです。

「じゃ、表紙画像を印刷するから個人紙を綴じたらいいよ」 と言われました。(苦笑)

いや… 本は横書きにすると言っていたし、いくつか英訳も載せると言っていたから、どんな本に

なったのか見たかったのですが。 これから端末で読ませてもらいます。

 

とりあえず値段をつけなくてはならないらしいので、最低価格に設定してもらいました。

:* 時々無料になるらしいので、運よくそのタイミングで検索した方は無料で読めます。

 

Amazon から 「静寂炉辺」「うわのの大ちゃん」どちらで検索しても出てくるようです。

興味を持たれた方は検索をお願いします。

読んでいただければさらに嬉しいです。

 

よろしくお願いします。

長いこと更新もせずご無沙汰いたしました。

 

この度、こちらで掲載している「静寂炉辺」を電子書籍としてまとめることにしました。

紙で個人紙として作り始めてからだと、もう7年ほどの付き合いになる「静寂炉辺」に愛着を感じ、

「本としてまとめたい」という気持ちがありながら、「出版には巨額の費用がかかる…」 (苦笑) 

(年金生活なので巨額と感じるわけです) と思い二の足を踏んでいたところ、

娘が「電子書籍なら無料で出せるかも」と言うのでやり方を調べてもらいました。

 

なんと、原稿つくりや表紙のデザイン、発行手続きを自力でやれば、本当に 「無料で発行できる」 

とのこと。 原稿なら「静寂炉辺」は既に書いているのだし、とハードルが下がった氣がして、がぜん

乗り氣になったわけですが、電子書籍にするには、なんでも決まった書式とやらがあるということな

ので、ちょっとややこしいらしい… 

試しに、娘が持っていた 「さるでもわかるKindle電子出版」 というのを見せてもらったところ、

爺様の悲しさ、まったくもってチンプンカンプン… おそらく常識なのであろう用語もいちいち娘に

訊いてもさっぱり理解できず… 

「本当に出したいなら、書式変更とか手続きなんかは手伝うから」 と言ってもらえたのを幸い、

そちらは代わりにやってもらうことにして、現在手続きをしてもらっているところです。

最初、全話を1冊にまとめたいと思っていたのですが、 「最初から『重い』と手を出してもらえないよ」

「重い」とは容量のことらしい… 紙の本でいえばページ数が多くてぶ厚いということか) 

ということで、まず1冊目は 1号~25号まで (1~72) の2年分の予定です 。

(残りは順次… 一応3分冊の予定です。)

 

電子書籍というのは専用の機械を持っていないと読めないものだと思い込んでいたのですが、

実は携帯などを持っていればアプリでどこでも読めるものらしいです。

「紙の本と違って重くないし、買うのも簡単ですぐ読めるから。アプリも無料だし、読みやすいんだよ。

文字を大きくも出来るから慣れれば紙の本より楽かも」

とは娘の弁。

「でも、父さんと同じに 『専用端末を持っていないと読めない』 って思い込んでいる人も結構多い

らしいけどね。」

携帯など、と書いたのですが、実はタブレットや自宅のコンピューター(PC)でも読めるらしい… 

しかし、これがあまり知られていないので、電子書籍を出した、と知り合いに話しても 「端末を持って

いないから」 と言われてしまうことはかなりあるらしいと聞きました。 

(電子書籍を出すのをブログに書くならこれも書いた方がいいよ、ということなので、これも書くことに

しました。)

 

無事に電子書籍になったら、またお知らせしますので「検索」でもしてみてください。(笑) 

気が向いた方は購入いただけるとなお嬉しいです。

(Amazon というところから出す予定です。)

 

 

 

 平成23年3月11日午後2時46分… 

 82歳にもなろうというのに、あんな恐怖を感じたことはなかった。玄関の柱にしがみついて、揺れや鳴動が収まってくれることを祈っていた。それがとてつもなく長い長い時間に思えた。こうしている間にも我が家が倒壊して下敷きになってしまうのではないかという氣にさせられた… 私の住んでいるのは内陸で、近所で倒壊した家もない。それでもあれほどの恐怖だったのだ、津波に襲われた沿岸にすんでいらした方々の恐怖はいかばかりであったのだろう。あの時からもう6年も経ってしまったのだ。

6年と言えば小学校1年生が卒業を迎えるまでの年数である。もう、それほどの時間が経ってしまったのかという氣がする。

しかし、感じ方は人それぞれ、千差万別である。

6年で、もはやはるか昔のような「過去」になり果ててしまい「もう6年」にも大した感慨も持たない方もいるかもしれない。その一方で、6年経ってもつい昨日のことのような生々しさで「過ぎたこと」という心の区切りをつけられずにいる方々もいるのだろうと思う。

心の区切りをつけて心機一転未来へ! と自分に言い聞かせつつ前を向いて歩きだしている方もいれば、前へ進まなければ、と思いつつも、この先どこへ行けるのか、という不安の中、日々を暮らすことに精一杯の方もいるのだろう。時間はすべての人に平等とは言い切れないのだなぁ、と、こういう時に感じる。

 

人間は、忘却する生き物である。時が経つにつれて大きな悲しみも和らぎ、強い衝撃を受けたことも薄らいでくるという。それを示す「時薬」という言葉もある。また「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉もある。現象としては同じことを言っているのかもしれない二つの言葉だが、考え方としては大きく違う。

「時薬」というように辛い思い・哀しい思い出の胸の痛みは時に癒されて少しずつでも楽になればいい。けれど、

「喉元過ぎて熱さを忘れ」てはいけない。東日本大震災の後にも阿智ことで災害があったように、明日は我が身である。災害は起きるものという心構えが必要だし、自分や家族が巻き込まれたらどうするかということは考えておくに越したことはない。自分が巻き込まれないで済んだ時にも、被災した方々へどのような支援ができるのかということを常に心に置くことは大事なことだと思う。

加えて震災直後に盛り上がった「再稼働反対」の声にも「喉元過ぎて熱さを忘れ」ているような気配を感じる。ことに実際に再稼働が認められてからは、また新しい原発の建設の話題も出ている。反対の声は「過去」に置き去りになってしまったのだろうか。時間が経ってしまえば節電ももはやどうでもよくなってしまったのか…

更に、六年経っても尾を引く「原発いじめ」というものがある。いったい何を考えたらそんなことが出来るのだろう、と思う。「賠償金を貰っただろう」とは何たることなのか。子ども同士でそういういじめがあるというのは、「相手の身になって考えてみる」という姿勢を子どもたちに教えることが出来ていない、この国の大人すべてが恥ずべきことなのではないか。と思う。

そもそも福島原発は福島の電力の為に稼働していた訳ではない。「東京電力福島原子力発電所」なのである。たまたま近くに住んでいて被災したのは辛い災難ではないか。心あるならば「大変だったね」といたわり、少しでも心穏やかに暮らせるようにと気遣いをするのが本当ではないだろうか。福島原発の震災・津波による放射能事故で住んでいた土地にいられなくなり移住せざるを得なかった方々は、住み慣れた土地を離れ、いつ帰れるかも分からないというだけでも辛いであろうのに、「福島から来た」と知られるのが怖いと言い、放射能のことで差別されるかもしれないという危惧を払拭できないでいるという。胸の痛いことである。

震災から「もう6年」なのか「まだ6年」なのか…

時は流れ、日々は過ぎ去る。しかし、被災した方々の暮らしは震災前の水準とは程遠い。過ぎた時間だけで測れないものがそこにはある。

震災当時、世界を感動させた日本人の行動。譲り合い、分かち合う心、そして絆。先祖から受け継がれてきたこの国の美徳が忘却の彼方に置き去りになってしまってはいけないと思う。

震災の教訓を風化させないことは、「自分の身を自分で守る」という心構えを持ち、何事も「自分には関係ない」とは思わないことに始まる。起こったことを教訓にし、同じ轍を踏まないこと、前例を顧みて範とするべきことは失わないようにすることも大事なことだと思う。

そして震災からの復興というのは土地の整備や住宅等の建築のみではないだろう。物質面での復旧も確かに必要ではあるが、それだけでは不十分だと思う。家族を失ったり、先祖から受け継ぎ、自分たちが生まれ育った土地を離れなければならなかったりという方々の痛みを、完全には理解しきれないながらも推し量り、ともに進めるようになってこそ復興と呼べるのではないか、という氣がする。

更に言えば、本当の意味での心の復興とは、今育っている子どもたちが、自分より弱い人や困っている人を目にしたら手を差し伸べようという心を持つように育て、その思いが仇にならない社会にしていくこと、人は自分一人だけでは生きていけないことに一人一人が氣付き「おかげさまで」「困った時はお互い様」という氣持ちで手を携え、支え合うような繋がりを広げていくことではないだろうか。

 

初出 「静寂炉辺」 第81号 ( 平成29315日 発行)     

愛用の相田みつをさんの日めくりカレンダーに『その時の出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを』という文言がある。

 「この世界の片隅に」という こうの史代さんの漫画3冊と出逢わせて戴いたのは、つい先月のことである。実は、前々から娘に勧められてはいたのだが、私は恥ずかしながら漫画というだけで手に取る氣になれなかった。(昨年になって「坊主Days (杜康潤)」と出逢って漫画に対する考え方が一変したばかりなのである。)

物語は昭和9年1月の冬の記憶から始まっている。読み始めて、当時の暮らしの様子がありありと描き出されているのを感じ、「この作品の作者はきっと私よりもはるかに歳上であるに違いない」と思い込んでいた。しかし、実はこうのさんは倅と同じ歳だという。まず、このことに少なからず驚いてしまった。

何であれ、人が何かをやろうとするとき、どのような立ち向かい方をするのかという覚悟と姿勢が問われるものであると思うが、作品を通してこの作者から教わることが非常に多かった。

この話を描いていくにあたって、こうのさんはとにかく丹念に資料を探し、当時を知る方から一生懸命に話を聞いたに違いない。小さな手がかりも蔑ろにすることなく、丁寧に納得するまで調べることによって、今となっては面影が見られないほどに様変わりしてしまっている事柄までも克明に再現している。それが登場する人々に命を通わせ、息遣いまで感じさせるように描かれている下地になっているのであろうと思う。

あの当時は、現代と比べると物が少なかった。特に戦争が始まってからは物が不足して不便なことが多かったのであるが、人と人との繋がりがしっかりとしていて、隣近所の結びつきも強く、困った時はお互いさま、と助け合い、支え合っていたような記憶がある。

作中にも描かれている「隣組(昭和15年 作詞 岡本一平)」の歌は私の子どもの頃、盛んに歌われていた。地域組織、連帯責任制のもと、政府の通達や生活必需品の配給などを行う際に歌われたもので、子どもからお年寄りまで誰もが口ずさんでいたものだ。また、作中に描かれている建物疎開や食事の場面に出てくる食べ物、衣類など、懐かしいな、と感じ、ああ、こんなこともあった、と記憶が呼び起こされるものが数多あって、思わずため息が出たりした。

戦前、戦中といえば暗い時代、よくない時代、懐かしんではいけない時代のように思う世代もあろうが、ほぼ同じ時代を生かして戴いてきた世代の者が振り返ってみるならば、あの頃も決して暗く陰鬱なばかりの時代ではなかったと思う。「狭いながらも楽しい我が家」と歌われる歌もあるように物がないなりに工夫して暮らし、大変な中に楽しみを見つけ出し、前を向いて歩み、顔を上げて日々を過ごしていたのであった。確かに辛いことや哀しいこともあったが、じっと俯いて何事も忍従で過ごしたという暗く重苦しいばかりの時代であったわけではないのである。

そうした日々の何氣ない暮らしを本当に何氣なく描きながら、日常の中にあるかけがえのないものにきちんと光が当てられていく。読み進める中で、ありふれた日々の中にあるかけがえのないものに改めて氣付かされる… 描かれている者たちに命が宿り、生きて血が通うものへと変わり、絵だけで描かれている筈が、その風景の音や風の匂いまでも感じられるかのような思いに駆られ、うまい言葉が見つからないが、本当に心を動かされた。

「これは父さんの知っている時代が描かれているから、きっと面白く読めると思うよ。」と娘に何度か言われていたというのに、何でもっと早く読まなかったのか。漫画と侮らずに早く読んでみればよかったと思っている。

年を経るにつれて、苦しいこと、辛いもの事を忘却していくように、ともすれば良い事、忘れてはいけないことさえも、うっすらとぼやけて薄れていくものなのかもしれない。しかし、この物語を辿っていく中でふと、薄れかけていく記憶の中の良い事、失ってはいけなかったものの、ほんの少しの燠に酸素が吹き込まれ、薪が足されたような氣にさせられた。そして、今、私の周囲にあるどんな機器や機材による再現よりも、この本に描かれている作者の手による物語や登場人物の息遣いや手のぬくもり、心の動きがとてもリアルなものとして感じられるようになった氣がしている。

何度も勧められ乍ら読まずにいる間に、「この世界の片隅に」はアニメ映画になり、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞および音楽賞、キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベストワン及び監督賞、毎日映画コンクール日本映画優秀賞・大藤信郎賞、ブルーリボン賞監督賞などなど数々の賞を受けた。(アニメ映画がこのような数々の賞を受けるのは大変珍しいことらしい。)

先日、NHK特集でこの映画が取り上げられていた。映画の監督をした方はこの作品に惚れ込み、何としても映像化したかったそうである。そして、物語の世界観を損なうことが無いように、と当時を知る方々に丹念に取材し、作者の熱意に劣らない情熱を傾けたそうである。そして、監督の指名で主人公のすずの声を担当したのが、以前「あまちゃん」の主演であった「のん (当時は能年玲奈)」さん、映画を見た方の殆どが「のんさんの声はすずさんそのものとしか思えない」と評している程に奇跡的なマッチング、と言われているらしい。これこそ奇縁と言うべきか… 

冒頭の相田みつをさんの文言が脈々と生きているということを更に実感させられた、この出逢いであった。

 

初出 「静寂炉辺」 第80号 (平成29年2月15日 発行) 

 

 今年の私の運勢は、「良きアイデアや企画に成果が見られる勢いのある年回り」だそうだ。とても良い年になりそうで有難いことだと思う。

 昨年は思いがけなく波乱含みの年になってしまったので良い運勢に甘え、浮かれ過ぎてしまわないようにしようと考えているところである。

 実は昨年は「八方塞がり」という年回りであったそうで、この年回りの時はいつも以上に心がけて暮らさないと、思わぬ災難もあるらしい。

6月に転倒事故というアクシデントに見舞われたのも、氣の緩みというか油断が招いた事であった。脳挫傷で思いもかけず入院という事態になったのだが、それでも神様佛様、ご先祖様方のお蔭で寝たきりや惚けなどという大事には至らずに日常生活に戻らせていただいた。

まだリハビリ中とも言える状態で怪我の前と全く同じ訳には行かないが、それでも身の回りのことを自分で出来、近場へは出歩くことができるのだから本当に有難かったと思っている。

そして、お蔭様でカシオペアFMでの「うわののじさまのむかし話」も続けさせて戴けている。8月、恒例の「お祭りラジオ」の生放送にも何とか参加させて戴き、9枚目のCDも出して戴いた。退院したばかりの時には、一体どうなる事かと不安な気持ちになったりもしたが、聴いてくださる方が楽しみだと言ってくださる、そして自分にとっても励みになっている「むかし話」を続けることが出来ているというのはとても嬉しく有難いことである。

 この「むかし話」の縁で、年末にはイベントにも出演させて戴いた。

12月23日(金・祝)に二戸市民文化会館で開催された「歴史文化フェスティバル~二戸きつね物語~」である。この催しは文化庁の文化芸術振興費からの補助金を戴いて「幸せ出ずる国いわて実行委員会」が企画してくださったもので、「神楽と民話と狂言による狐大全集」と銘打って人間国宝 野村萬さんとそのご子息野村万蔵さんによる狂言の特別講演をメインに、地元二戸の神楽や民話を盛り込んだ公演である。

神楽も民話も地元に住む者にとってはなじみの深いものではあるが、人間国宝の野村萬さんの出演される「狂言」をメインとした催しということで、地元の人たちばかりでなく他所から観に来てくださった方も多くいらっしゃった由、二戸市民文化会館の大ホールは満員の大盛況であった。その栄えある催しで、(家内に介護されながら)「狐の恩返し」というむかし話をさせて戴くことができた。

出演の依頼を受けたことで、思いもかけず「狂言」も初めて観させて戴いた。そして会場で、なかなか会えないような方々とも逢えて言葉を交わす機会を得ることも出来た。しみじみ有難いご縁であったと思う。

また、12月30日にはFM岩手の「いちのへドッキドキFM」の中で年越しにまつわる話で出演させて戴いて、年越しには例年通りの年越しをさせて戴いて、穏やかに一年を締め括ることが出来た。

「八方塞がり」の年の我ながら波乱万丈な1年ではあったが、年の暮れは良い事が続き、「終わり良ければ総て良し!」で1年を終え、今年を迎えることが出来たのは、神佛やご先祖、そして周りにいる人たちとの有難いご縁の賜物であると思う。

例年通り、氏神様である「八坂神社」への元朝参りで迎えることが出来た今年の年頭にあたり、私は、今まで生かして戴ける中、ご縁を戴いて逢える方には笑顔で接していきたいと思う。

自分という存在を大切にしつつ、謙虚に、他の方々の言動から様々なことを学び続けていきたい。すべての方に何かしら自分より優れていることがあるということを念頭において接し、学ばせていただく気持ちを持ち続けたいと思う。

81年生きてきても、まだまだ知らないことはたくさんある。知らないことがあるということは、それだけ「まだまだ伸びしろがある」ということではないだろうか。その「伸びしろ」を活かせるよう、他人の話に素直に耳を傾け、どんどん自分の中に取り込んでいくような生き方が出来ればいいなぁ、と感じているところである。

それと、天候に晴れの日もあれば、曇りや雨、雪もある、時には天災と呼ばれる大荒れの時もあるように、私たちの日常を過ごしていく中での心というか、氣持ちにも、充実した、やる氣満々の晴れの氣分の日もあれば、曇ったり降ったりという思うに任せない氣分の日もあり、大荒れの時もあるだろう。

天候の晴れや曇り、雨や雪にもそれぞれの良さがあり、大切な役割があるように、心、というか氣持ちのありようにもそれぞれの必要があるのかもしれない。それを忘れずに日々を過ごしていきたいと思う。

「晴れ」という言葉には天候だけでなく「晴れ着」「晴れの場」という言葉に使われる特別(special)な時を表す意味もある。それに対する普段の、よそ行きでない日常のことは「褻(け)」と呼ぶそうである。

晴れの日も褻の時にもそれぞれに、きちんと人の生きていく道を誤らない生き方ができるような心構えをして日々を過ごしたいと思う。そして、年の暮れには「今年も良い年だった」と言えれば素晴らしいことだと思う。

どうか、良い運勢に違わぬ1年でありますように…

そして、皆さまにも今年が良い年でありますように。

 

 

静寂炉辺 第79号

    (平成29年1月15日発行)