お疲れさまで~す
元気してますか~
私、変わらず元気で生きさせてもらってます
では、こたびも名文、行きまっせ~
こたびは「依存症」について考えてみたことを少々……。
水原元通訳の件で、彼が自称「賭博依存症」であることを、ドジャースのチームメンバーの前で告白したとの報道を耳にしました。
それを受け、自分自身のことを考えました。「人のフリ見て、我がフリなんとやら」っていうやつですね。
「わたくしごと」ですが、私は、水原元通訳とはチャンネルが異なりますが、やや「アルコール依存症」です。
「アルコール依存症」と書いた後の絵文字も、実際、通常の夕食時に飲む順番です。
最初に、小さいグラス半分程度の赤ワインでナッツとチーズ(小)をたしなみ。
次に、ビール(350ml2本程度)でその日のオカズを楽しみ。
シメは、ウィスキーで少量の甘いおやつを堪能して。
シメのさらにシメで、絵文字では熱いお茶に見えるかもしれませんが、実は「焼酎のお湯割り」でして、それをチビチビとやりながら「はぁ~。満足満足~」ってやるのが、多くの日常です。
それに「今日は休肝日にするぞ~」なんて決意し、仕事を終え帰宅すると、そんな決意もむなしく、「飲みたいアラーム」が躍動し、「がんばったから、ちょっとくらい、いいじゃねぇか~。ご褒美だろ」なんて悪魔のささやきが聞こえ、ついつい飲っちまいます
そんな感じですので、ジャンルは異なりますが「やや依存症」なのだと自覚しておるのです。そうはなりましたが、もちろん「産まれた時から」なんてワケではありません。
私の場合、高校生の頃の縁がきっかけだと思われます。
「お好み焼き、たこ焼き、回転焼き」を店頭で焼いて売るお店でアルバイトをしていました。
自分で書くのもなんですが、ケッコー腕も客受けも良く、他にも私だけではなく、数人の男女友達と楽しく励んでいましたし、そして社長さんが私達アルバイトを、とても可愛がってくれました。
その可愛がり方が「アルバイト後のおちゃけ」でした。
まだ時代背景も、飲酒に関してはゆるかったというか、寛大だった時代(平成元年辺り)でしたので、お店が閉店時間となり、次の日が休日だったりすると、社長が「よ~しよくがんばってくれたじゃあ、ちょっと行こうか」なんて言って、みんなをよく居酒屋に連れて行ってくれました。
それが何度か続くと、今度は「居酒屋の後は、スナック~」ってな感じで、歌もセットで連れて行ってくれるようになったのです。もちろん、全て社長のオゴリ
高校生ながらも、精一杯働いた後の一杯いやぁ~、うまいのなんのって
飲み始めた頃は、最初から「うまい」なんてまで思うことはなく、「大人のモノマネ」だったと記憶しています。
ですがそこから回数を重ねると
「まいう~」
になっちまったのだから不思議だし、仕方がねぇ。私は吸いませんが、タバコだって、きっと同じようなものなのだろうと思います。
さらに私の場合、高校を卒業後、働き出した先が中々の体育会系でしたもんで、高校時代のアルバイトさながら「やることやったら、しっかり飲む」って感じだったものですから、アルコール・ラブ人間になっちやいました~
飲み始めて30年超……。
これまでの飲み代で、家までは建たないでしょうが、高級外車は買えるくらいは飲んでいます。
ですけど、そんな中でも、これは守っているんですよ。
「週二回以上の休肝日」ってやつです。(先に書いたことと矛盾するんですが……。)
悪魔のささやきには、よく負けます。
だけど最低限の自己管理として、これだけは自分に課していて、なんとか守っています。
ですが、それ以外の日は、よく飲みますし、「今日は休肝日」って決めてても、その決意を自分で裏切ってしまうことがよくあります。
なので完全なる「アルコール依存症」だとは思いませんが「‶やや”アルコール依存症」だと自覚しているワケです。
ですが、そこで踏みとどまっているし、それ以上になるつもりはありません
そんな自分だから思うし、言えるんですが、なんでも「分相応にしようぜ」ってことです。
賭博にしたって「小遣い範囲での競馬やパチンコ」なら許されるんです。
その範囲の程度なら、社会だって許容しているんです。
だから競馬場やパチンコ店が合法としてあるワケです。
ところがそれでは不足を感じて、一獲千金を狙っての非合法賭博……。
そんなのに手を出すなんてバカですよ。もちろん、運営している者が最も悪い。
「オギャー」と産まれた瞬間からの「ギャンブル中毒者」ってのは絶対いません
なにかのきっかけでギャンブルを知り、のめり込み、負けが込んでどうしようもなくなってしまう……。そして他人の金に手を懸ける……バカですよ。とても悲しいことですよ。
そのあげく「依存症の病気です」なんて。まるで、やむなく病気にかかってしまった被害者であるかのように……。
バカ言うなそうなるまでに自制しなかったテメェの責任だろうが
「やや依存症」ながらも、なんとか「自制の範囲内」にいる私は、強く思ってしまいます。
近頃は少しでも世間や人と違えたことをする人がいれば「〇〇病、〇〇症」なんて勝手に病名をつけて病人にするし、当事者もその流れに甘え「そうなんでちゅ~、わたちは病気なんでちゅ~」なんて言って、自分の行いを反省したり恥じりするのではなく、あたかも自分が病気の被害者であるかのように、振舞う人が多く見られる印象を持ちます。(→あくまでも個人の感想ですが……。)
そんな風潮につきましては「甘えるんじゃないよ」って思いますね。
楽しいことや、華やかなことが多くある昨今ですが、それらの中で「自制」は自分でしっかりしないと。
自分の生活レベルを考えたり、目に見えない大切なモノをしっかり心の中に持って、生きて行かないと……。そんなことを思うのです。
水原元通訳さんも、今ごろ、どこでなにをしているのかなぁ~
同じ時代、同じ地球上にいるワケですから、なんとか改心し、立ち直って欲しいものです。
そう願います。
これをお読みくださっている皆さんも、なんぞやの「依存かも」ってのがありますか~
あれば、それに対する乗り越え方もあわせて、教えていただきましたら嬉しゅうございます。
ではでは、こたびの名文、この辺りで失礼します。
お互いのご多幸を信じつつ、願いつつ……。
サイナラ~