アラフィフヨーガ講師ダイスケ。


生きる意味を見失った

ミドルエイジクライシスの

おじさん達へ捧げる。


ユダヤの精神科医ヴィクトール・フランクルは

こう言っている。


「人生に意味を問うな。

あなたが人生に意味を問われているのだ。」



僕はヨーガに出会う前、

ミドルエイジクライシス、

アイデンティティクライシスのような

状態になったことがある。


何のために生きているのだろう。

この人生に意味なんてあるのか?

使命なんてものがあるのか?


だが、今はこう思っている。


人生には意味はない。

生まれて生きて死ぬ。

それだけだ。


人生に絶望したわけでも、

虚無感に苛まれているわけでもない。


むしろ、

とてもポジティブな

考えだと思っている。



人生には何の意味がなく、

使命もないなんて、

限りなく自由ではないか!



同時に人生には

大きな意味があると思っている。


この世界に命として人間として、

この肉体と心を持って、

生み落とされたということは、

偶然なはずがない。


矛盾することを言っていて、

理解できないかもしれないが、

このまま読み進めてほしい。



人生は意味はない。

つまり、白紙の台本だと

思ってほしい。


そこに物語を紡いでいくのは、

自分自身なのだ。


人生で起こることに対して、

どう意味づけ、色付けをしていくか。


「なんで俺の人生はこんなにも苦しいんだ!?」

人生に意味を問うな。


そうではなく、

この経験は、どんな智恵を与え、

成長をさせてくれるだろうか。


出来事は無慈悲にただ起こる。

事故や災害、別れ、人間関係のトラブル、

出会い、獲得、喪失・・・


そこに自分を巻き込むな。


出来事はただ出来事だ。

それを自分はどう捉えるか。

どう、力に変えていくか。


辛い、悲しい、悔しい、寂しい。

人間だから、当然、そんな感情は起きる。


それらの感情を否定せず、ちゃんと味わう。

そしてまっすぐ向き合い、

その感情たちは、自分に何を問うているのか。


辛いよな、悲しいよな、悔しいよな。

泣けばいい、叫べばいい、

打ちひしがれればいい。


で、そこからお前はどうしたいのだ?

どう在りたいのだ?

と問われているのだ。


人生の台本に出来事が書かれる。

主演であるあなたは、

その出来事とどう向き合っていくか。


主演と同時に脚本家だ。

どう感じる?

何を思う?

どう振る舞う?

どう生きる?


真っ白なキャンパスに、

好きな色を塗っていけばいいのだ。



僕は30代後半から40代前半のある時期、

様々な出来事が立て続けに起きた。


前にも書いたので詳細は割愛するが、

失業、離婚、事故、借金、恐喝など、

怒涛のように辛く苦しい出来事が起きた。


ボロボロになった。

俺の人生は何なのだ?


天職だと思ったヨーガ講師も、

もうできないかもしれない。


どこか遠いところへ引っ越して、

何か仕事を見つけて、

ただ生き延びていこうかとも思った。


だが、それらの経験は、

ここから起こることへの伏線だったのだ。


打ちのめされ、

何もかも失ったボロ雑巾のような僕に、


「お前は本当はどうしたいんだ?」

「お前の中心にある一番大切なものはなんだ?」

と、アドバイスをくれるのではなく、

問いかけてくれて、

本当の自分の思いを知るきっかけを

くれた友人がいた。


「大ちゃんずっと一人で頑張ってきたんだね。

もう頑張らないで、全てを天に委ねなさい。」

と、光を与えてくれた別れた妻の母がいた。


「この辛い体験は全て宝物になる」

と天からのメッセージをくれたセラピストがいた。


こんなにも愛されてるのか!と思った。


こんなことでもなければ、

これほどまでに愛を与えてくれる人たちが

いることに気づけなかっただろう。


全てが気持ち悪いくらい

順調に進んでいたら、

僕は痛みを知らない

とても傲慢な人間になって

いたことだろう。


そこから落ちていたら、

もう立てなかったかもしれない。


痛みを知った分だけ、

少し強くなり、

少し他人に優しくなれた。


手を差し伸べてくれた分だけ、

愛されていることに気づけた。


セラピストの言うように、

本当にこれまでの経験が、

宝物になった。


今なんとかヨーガで食えていて、

貯金もできるし、養育費も払えている。

朝目覚めて、カーテンを開け太陽を見ると、

生きている喜びと感謝が溢れてくる。


そして祈りを込めてヨーガをおこなう。


そうか、僕はずっと、

こんな風に生きたかったんだ!


偶然でこんな風になるだろうか?


全ての経験は、

そのことを実感するためのシナリオで、

必要なプロセスだったのだ。


きっと僕のいちばん深いところの意識、

言い換えれば魂が書いたシナリオだ。

ヨーガの神様かもしれない。


そう僕は捉えている。


あらゆる出来事、揺さぶられた感情、

苦しめてくれた人たち、支えてくれた人たち、

そしてヨーガが僕を今ここへと導いてくれた。


人生に意味はない。

意味はその人生に自ら見出すのだ。


限りなく人生は自由であり、

同時に魂のシナリオがある。


「本当はどうしたい?」

「自分の中心にある大切なものは何?」


人生、あるいは魂が、

あなたにそう問うているのだ。


まずは、自分自身と深く繋がるためにも、

ヨーガをやるべし!!