前回の続き


先生のサンスクリット語と英語の誘導に、
わけがわからないまま、食らいついていった。


硬いからだを無理くり折り曲げたり、
ねじくったり、手や足をあっちこっちに絡めたり、
人生でやったことのない、ヘンテコなポーズをする。

喉で摩擦させシューっという音を出す呼吸に合わせて
ポーズをとる。

わけがわからないし、とにかくきつい。

滝のように汗が流れ落ち、目が沁みる。
しっかり呼吸をするようにと言われるが、
息がうまくできない。


前屈しても手は床に届かない。
後屈したら腰がつまり、息が詰まる。

周りの女性たちが優雅にポーズをとっているなか、
僕の筋肉はブルブル震え、息も絶え絶え、
無様だなあ、カッコ悪いなあと思った。


女性だからできるんだ!と言い訳したかったが、

先生は男性で、誰よりも深くポーズをとっていて、
カッコよくて、輝いてみえた。
言い訳の余地はない。


普通のストレッチですら、大嫌いでやらなかったのに、
なぜこんなに辛いことを金を払ってやっているのだろうと
思いつつも、なぜだかやめようとは思わなかった。



レッスンの次の日は毎回、あるかないかの
小さな段差でつまづくほど、全身が筋肉痛になった。



90分間のレッスンは最初から最後までキツかったが、
いちばん最後だけ、ご褒美のようなポーズがあった。

シャヴァーサナ。

シャヴァは死体、アーサナはポーズ。
つまり屍のポーズ。

死んだように仰向けになって、
からだを大地に明け渡し、
すべてを忘れて、
眠るでも起きてるでもない、
10分ほど何もしない、
まどろみの時間。

使い果たした筋肉はドロリと弛緩し、
呼吸が緩やかになり、
16ビートで刻んでいた鼓動が、
8ビート、4ビートに変化する。

心拍のリズムと呼吸の波のポリリズムが、
からだに心地よく響いている。

からだは温められたバターのように溶け、
心はどこか宇宙の彼方に散らばり、
自分というものが崩壊する。

年齢も性別も、名前も立場も、
価値観も、あらゆる自我意識が消えて、
僕は何者でもなくなってゆく。

自分が溶ける
自分が広がる
自分が消える

なんと甘美な感覚だろう・・・。

胎内にいたとき、こんな感覚だったのかもしれない。

もしかしたら、女性のオーガズムも。

リーン・・・
リーーーン・・・
リーーーーーィィィンンン・・・・

やさしく柔らかいが、真の通ったティンシャの鐘の音が、
鼓膜をくすぐる。

「そろそろ帰っておいで・・・」と囁くように。

意識がからだにつながる。
ゆっくりとまぶたが開かれる。

天井の木目。

・・・・あれ?

ここはどこだっけ?

今、なにしてたんだっけ??

自分が誰だかもよくわからない。
自我意識より、からだのほうが先に目覚めたらしい。

時間にしてきっと、1〜2秒ほどだろう。
永遠に感じる2秒間。

ああ、そうだ。
ヨーガのレッスンに来てたんだった。

自分がからだへ帰ってくる感覚。

最小限の力で、のっそりと起き上がり、
マットの上にあぐらをかく。

来たときと同じ景色、同じ先生、
同じ生徒たち、同じ自分。

だけど、決定的に何かが違う。

あらゆるものの明度、彩度が高く、
解像度が上がっている。

簡単に言えば世界がキラキラしている。

海の風、波の音、太陽の光、
空間にやさしく柔らかく、全身を抱きしめられている感覚。

思考が浮かばない。
浮かんでも風の強い日の雲のようにすぐに流れ、
消えてしまう。

ぼーっとしているのだが、
意識はシャープで鮮明だ。

疲れているはずなのに、
筋肉が、内臓が、細胞のすべてが歓喜している。

筋トレやスポーツの後とはまったく違う感覚。

世界が僕を祝福している。
世界が僕を愛している。

僕はここにいていいんだね。
この世界に生きていていいんだね。

肯定ではなく受容。

世界は、みんなは、自分は、
かくもこんなに美しく、素晴らしかったのか!

驚愕と歓喜と安らぎの音色が、
全細胞でハーモニーを奏でている。

ヨーガをはじめてから2ヶ月が経った。

体重は、8kg減り引き締まっていた。
職場の人間関係は相変わらずだったが、
心がそこに囚われなくなった。

からだも心も羽根が生えたように軽い。
だが、同時に大地に根が生えたように地に足が着いている。

なんという意識の変容!世界の変容!!

この世界のすべては、儚く美しく、愛おしい。

僕はヨーガに目覚めた。
いや、ヨーガによって本当の自分に
目覚めたといったほうが近い。

今となっては、苦しみもヨーガに目覚めるための
必要なプロセスであり、神の采配のように思えてならない。

この世界をみんなと一緒にみたい!!

そんな思いが高まり、
気づいたら僕はヨーガ講師になっていた。

特に僕と同じ、若くもなく年老いてもいない
ミドルエイジの男性こそ、最もヨーガが深まり、
大きなカタルシスが起こり、世界と自分がブワーッと広がる
と信じている。