アガスティアの葉とムルガン神 | dahayashのブログ

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今から遠い昔、インドにアガスティアという聖人がいた。
 

アガスティア未来のことを予見でき、自らの死後も自分の運命を知り合いと願う人のために、それぞれの運命をバイタラという椰子の葉に書き記したと言われてる。そして今でも多くの人が、自分の運命を知るために、アガスティアの葉が保管されている館を訪れている。

日本でアガスティアの葉が広く知られるようになったのは1990年初めの頃で、当日ベストセラーになった青山圭秀さんの「理性のゆらぎ」がきっかけだったと思う。その頃、自分はインドに住んでいたが、この本のことは知っていた。

インドは不思議な国で、昔からこうした預言を行う人や、超自然的な力を持つ人などが五万といる。大抵の場合イカサマや迷信なのだが、中にはどうしても説明がつかないようなこともあるから面白い。

 

アガスティアの葉が、そのどちらなのか分からないが、その時はまるで興味がなかった。インドは占星術が盛んで、自分の住んでいた場所にも、よく当たるという占い師がいたが、そこに行くこともなかった。

もし、人は生まれた時(もっと前の、前世や前々生からと言う人もいるが)から、運命は決まっているのであれば、聞いたところで仕方ないし、仮に未来が暗い場合、そんなことは聞きたくない。かえってネガティブな情報に流されてしまうように思っていたからだ。また、災いを避ける為に、寺院で祈りを捧げたり、金属や宝石を身についけるなど対策もあるようだが、運命は自分の意思の力で変えれると思っていたので、予言や占いにまったく関心がなかった。

そんなわけで、インドに住んでいる時は、アガスティアの館を訪れることはなく、日本に帰国した後は、インドと全く関わりのない生活を送っていたので、その事自体を忘れていた。

不思議なもので、結婚した女性も、付き合っていた時は普通のOLで、インドやスピリチュアルなものには、まるで縁のない女性だったが、結婚後にホットヨガにハマり、それを皮切りにヨガのインストラクターになり、それでは飽き足らず、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダの勉強を始め、アーユルヴェーダのセラピストになり、わざわざインドの大学まで研究にいくようになった。

今から20年ほど前のこと、妻がアーユルヴェーダの研究の為、3週間ほどインドに行くことになった。インドの治安については、悪いニュースはよく耳にするし、自分も住んでいた時は散々な目に遭っていたが、妻が行く南インドは、比較的治安がよく、人々や食事もマイルドだし、関係者と一緒なので特に心配もなく送り出した。

特に何事もなく日にちは過ぎていったが、帰国する数日前に関係者と一緒に、アガスティアの館に行ってくると連絡が受けた。

「へーじゃあ後で結果を教えて」

その時は、軽い気持ちで回答したが、その数日後、妻から電話がかかってきた。

「今すぐインドに来て!」

聞けば、今年中に二人揃ってムルガン神の寺院にお参りに行くように、と書かれいたそうだ。ムルガン神とは又の名をスカンダといい、シヴァ神の次男で、日本では韋駄天の名で知られている神様だ。

「急に言われても休みが取れないので、日本に戻ってきてから韋駄天が祀られている寺院に行こう」

妻はあまり納得していなかったが、渋々電話を切った。

日本に帰国後、アガスティアのリーディングを録音したものを聞いた。依頼者は、氏名は生年月日などは告げず、自分の指紋だけを渡し、それをナディ・リーダーと呼ばれる人たちが、膨大な予言書の中から探し出すという。しかし、誰しもが見つかるわけではないらしい。人ぞれぞ予言書を見るべきタイミングがあるそうで、その時期に達してない人のものは、見つからないそうだ。妻も8時間かかって、ようやく自分の予言書を見つけた。

古代タミル語で書かれた予言書をナディ・リーダーが読み上げ、それを英語に翻訳してくれるが、そこには、妻の名前や年齢と職業、夫である自分の名前と当時の職業、そして妻の両親の名前、そして今までの出来事や将来起こる出来事、さらには来世について語られていた。

プライベートなことや過去については、概ね当たっていたが、将来や雷生については検証のしようがない。妻は指紋しか渡しておらず、その場にいた関係者は誰も妻のプライベートなことなど知らないはずだが、もしかして何かの方法を使って調べたのかもしれない。しかし、インド人が一人の日本人のことをそこまで調べ上げるのは、かなりの労力がいることだし、その時妻が支払った金額に対して、まったく見合っていないように思った。

 

数千年前にアガスティア本人が書いたものではないかもしれないが、インドは占いが盛んで、色々な種類の占いがある。もしかしたらその一つなのかもしれない、とも思った。

 

ともあれ、書かれていたことは事実なので、妻も一緒にムルガン神の寺院にお参りに行こうと、熱く語っていたのだった。しかし、妻も自分と同じく「成るものは成る」という考えが強く、また、熱しやすく冷めやすい性格もあり、数日もするとその話題も出なくなり、韋駄天のお寺や神社にも行くこともなかった。

それから数ヶ月が過ぎ、年末年始の休みに、バリ島に旅行に行くことになった。当時、我々の流行は、どこかに行く時にもう1カ国トランジットで滞在し、一回で二度楽しめる旅行を好んでいた。そして今回はマレーシアにトランジットすることにした。その時は、私も妻もマレーシアは初めてだったが、滞在時間が24時間もなかったので、クアラルンプールから移動せず、屋台で食べ歩きをしようと考えていた。その為、レストラン情報以外はまったく調べていなかった。

こうして12月27日の夜に日本を出発し、28日の早朝マレーシアに到着した。

 

クアラルンプール市内のホテルにチェックインし、早速街の散策に出かけたのだが、何気なく通り過ぎた旅行会社のポスターが妙に気になった。それはヒンドゥー教の寺院のような写真だった。しばらく屋台で食べ歩きをしていたが、どうしてもその写真が気になり、旅行会社に場所を聞いてたところ、ヒンドゥー教の巡礼地で、市内から1時間程度で行ける場所なのが分かった。

まだ時間に余裕もあり、食べること以外特に予定もなかったので、

「ちょっと行ってみる?」

と軽い気持ちで妻に聞き、行ってみることにした。

 

電車を乗り継ぎ、最寄り駅からタクシーで向かった。写真では山奥のような感じだったが、周囲は開けた街で、寺院の入り口も比較的新しく、綺麗に整備されていたので、少し拍子抜けをしてしまった。

ゲートをくぐると、金色に輝く巨大なヒンドゥー教の神像が目に飛び込んできたが、その瞬間二人は、

 

「あっ!!!!」

と思わず声を出してしまった。それこそは、年内中に二人揃って行けと書かれいた、ムルガン神の像だったのだ。

改めて説明を読むと、19世紀にインド人の有力者が、洞窟の中に自身が信奉するムルガン神の祠を建てたことが始まりらしく、国外からも多くの人が訪れる、かなり有名な巡礼地でもあった。

アガスティアの葉に書かれいたことが事実なのか、それとも単に偶然が重なっただけなのかは別として、計らずしも予言が実現した瞬間だったし、我々にとってはシンクロニシティ(意味のある偶然)だったことは間違いない。

あれから十数年経ち、予言通りになったこともあれば、ならなかったこともある。しかし、この数年後に、ムルガン神にまつわる、もう一つのシンクロニシティを体験することになる。