スリランカの友人と運命の出会い① | dahayashのブログ

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2013年12月、初めてスリランカに降りたたった。この時は中国から投資を受け、経済が順調に成長してる時期だったが、国際空港は古くて小さいもので、お店も少なかった。

勝手がわからなかったので、初日だけコロンボのホテルを予約していた。空港はコロンボの隣街のニゴンボという場所で、車で1時間ほどの距離だが、当時は電車もなければシャトルバスもなく、ぎゅうぎゅう詰めのローカルバスか、タクシーしか手段がなかった。少し高かったが、荷物も多く疲れてもいたので、タクシーでホテルまで行くことにした。


コロンボ周辺は人口密集しており、交通量も激しいので頻繁に渋滞に巻き込まれる。その時も大渋滞に巻き込まれてしまい、1時間で行く距離を2時間もかかって、ようやくホテルについた。こんなことなら空港近くのホテルにしておけばよかった、、、、

ホテルは閑静な住宅街にある、一軒家を改装したようなブティックホテルのようなところで、女性のマネージャーが一人で切り盛りしていた。風通しのいいリビングを中心に、6部屋くらいがあった。調度品はイギリス植民地時代のものや、スリランカの伝統工芸品などがセンス良くディスプレしされていて居心地のいい空間だったが、ミッションもあり、そうのんびりはしていられない。

早速マネージャーに行きたい場所を説明し、どうすれば効率的に回れるか相談したが、

「ハイヤーを雇うしかないわね」

 

と即答された。イギリス植民地時代に鉄道網は引かれたとはいえ、特急電車などはなく、非常に時間がかかる。また、日本などのODAで道路の整備も進んでいたが、高速道路はコロンボーゴール間のみで、あとは全て一般道なので、一般の交通手段ではどうしても期間内に全部回ることは無理だった、、、、、完全に舐めていたので自業自得だ。

仕方なく、ハイヤーを2週間雇うといくらになるか聞いてもらったが、案の定、それなりに金額になった。ひとまず保留にし、自分でもネットで調べてみたが、どこで頼んでも同じくらいになりそうなので、諦めてそこにお願いすることにした。

翌日の早朝、プレマという30代半ばの男性が迎えにきた。彼は、それまでに日本人に会ったことがなく、我々が初の日本人だったらしい。
当然日本語は喋れないが、英語は流暢に話せたので、スリランカの色々なことを教えてくれたし、偶然にも彼のお父さんはアーユルヴェーダを大学で教えている教授だったので、アーユルヴェーダの病院やドクターなども紹介しれくれた。

続く