あまりに映画館に行けない時期が続くと、久々にかげた映画館の香りに「ん~~コレなんだよ~」と映画観る前から泣けてきてしまいますDAG DANCE studio.の高柳です。
↑↑こちら。
レッスンはじめようという時にスタジオの隅に誰かが置いてあるのをみると、
「ああ。今日も本気の人がいる」と気合いが入り、
キチンと汗をかかせてあげなければと使命感が増します
(そんなこと感じなくても毎回、皆ステキ汗かかれますケド )
使命感といえば、
今日過去のメモを見返したら昨年のダンスコンテスト前の時期に書いたメモを発見しまして。
どこで知った言葉か忘れてしまったのですが
「誰かのために生きるとは、関わる人の生命力を細くする」
って書かれていました。
「こうなってほしい」「こうだと後々いいから」
は、純粋に相手のことを思うと言いたくなってしまうことですし、関わっている自分にしか言えない事だ。と思ってしまいがちですが、
このメモを残した当時の心境からすると、その「○○しなさい」は自分が思い描く状況にしたいだけで、本当に相手を思うならばある程度見守ることも大事なんじゃないの?と、自分を戒めるために書いたんだと察します。
私は年間を通して大学サークルのSIGの皆とよく関わりますが、
SIGのために生きるってなっちゃうと、それは愛があるようでじつは相手を他じゃ生きていけないようにしているように思う。
そんなこたあ、あってはならないと思います。
だからダンスに関して助言はするし、共に酸いも甘いも乗り越えようじゃんって気概は当たり前に持ってますけど「あとは君の生命力だ。」とほったらかすことも忘れてはいません。
今ダンス仲間でも「こどもが熱を出していけません~><」って連絡貰うもん。
赤ちゃんも、闘いながら力をつけていってる。
誰かのため、がじつはその人が十二分に闘う事ができる範囲の事を、ただ無菌状態にしてはいないか。
「おまえ、お前も人と関わるならヒトの事言ってないで人生、力つけてけよ」
そんなふうに数ヶ月前の自分に言われた気がしました
私がいなきゃって思う事よりも
相手の生命力を信じてあげることも大事ですよね
というわけで がんばれSIG。
私は君らの生命力を信じている