ショック!

ちびまる子ちゃんのまる子役の声優、

TARAKOさんが天国に旅立たれました。

とても残念です・・・。

 

 

ちびまる子ちゃんのテレビ放送が始まったのは、1990年1月7日。

当時、世の中はバブル経済で株が暴落。景気後に訪れた平成の大不況の真っ只中。

誰もが、未来に不安を感じていたころ、

必然なのか、偶然なのか。

のほほ〜んなほんわかまる子が大ブレイク。

 

小学3年生が、日々に一喜一憂し、世間に振り回される姿に、

お茶の間は惹かれたのだろう。

 

ちびまる子ちゃんの原点は、

さくらももこさんが大好きな、クレイジーキャッツ植木等に始まる。

 

植木等といえば、父親が浄土真宗の僧侶であり、

『わかっちゃいるけどやめられない』

という人間の矛盾をついた真理で、日本の喜劇を支えてきた人物。

 

ちびまる子ちゃんのエンディングテーマ「おどるポンポコリン」も、

植木等の「スーダラ節」のパロディ曲で、

昭和にスイスイスーダララッタ~と無責任に踊りゃ、

平成はピーヒャラピーヒャラ〜と気楽にいこう。

という、気楽に行こうぜ〜感がを受け継いでいる。

 

さくらももこさんに影響を受けた人物に、大滝詠一さんもいる。

 

数年前、BSで「我が心の大滝詠一」という番組が放送されていて、

錚々たるアーティストが大滝詠一さんのカバーを歌っていたのだが、

トリで「うれしい予感」を歌ったのが、 「TARAKO」さんだった。

あの時、胸を打たれた気持ちが忘れられない。。

 

いつも見ている笑顔  鏡みるたびのぞく 

だけど今日は不思議へんなの なんかちがう顔

でもねみんなはちっとも ほらね気づいてないよ

魔法かけてくれた天使がここにいるんだよ

 

ちびまる子ちゃんの最大の魅力は、

現実世界と漫画アニメの世界の共存だと感じている。

 

架空のキャラクターが、背中を押してくれるような存在ではなく、

いつもそばに寄り添ってくれているような存在であること。

 

悲しいときも、辛いときも、

自分ではどうしようもないときも、

いつも同じ感情で寄り添ってくれるまる子に、

不思議な癒しの力がある。

 

これは、「他力本願」という言葉にもつながってくる。

どこか自分の力ではできない他力が存在している。

それが、「魔法かけてくれた天使」なのかもしれない、

そういうことなのです。

 

いつかみていた夢が 

今日はかなうといいな

そんなことが おこりそうだよ

ほんと ほんとだよ

 

 

TARAKOさん、ご冥福をお祈りいたします。

 


セクシー田中さんを巡るニュースが、
たびたび流れるメディアであるが、
ドラマを観ていたものにとっては
色々と考えるものがある。

集団創作のものづくりは、
どんなに大成功してるように見えても、
作品の影で、誰かに比重がかかったり、
関係性が壊れたりする可能性がある。

創作において、
フィードバックの重要性は、
本当に大事である。

形になった瞬間に、
こぼれ落ちるものを
見ないふりしてはいけない。



 

20代の頃はつい、「なんでもっと早く、知らなかったんだろう。」とか、

「聞いとけば良かった!」「読んでおけば良かった!」などと、

新しい発見に出くわすたびに、嬉しさと同時に、

後悔の念みたいなものも混在していたのですが、

30歳になった頃から、「ああ、これは今だから出会ったんだな」

と感じることが増えてきました。

 

好きになった音楽や小説に関しても、これを20代の頃に知ったとしても、

あの頃の自分じゃ耳に入ってこなかっただろうなと。

 

そういうなんていうのかな、、

年相応という言葉が当てはってるかわからないけれど、

タイミングっていうものがある。

 

人との出会い もそうだなと。

 

ほんとうに、仲のいい友達、

いや正確に言えば、環境がお互い合っていて、

会おうと思えば、いつでも会える人

というのは、連絡すれば会えるのだが、

それ以外に、会いたいけど、会えない人というのも、

たくさんいるのではないかと思う。

 

「いつか会おうね」

と約束していても、なかなか会わずに

何年も何年もそのままの時がよくある。

 

ただ、会いたいな。と少しでもと思いつづけていれば、

10年でも20年掛かったとしても、会える時が必ず来る。

そう思う。

 

 

サザンオールスターズの、

「素敵な夢を叶えましょう」という曲。

 

お互い素敵な夢を叶えましょう
一緒に歩いた旅路は果てなく
もう一度輝く星のように Let me wonder
暗い夜空にまたひとつ夢が溢れた
南十字に戯れる星座に願いを

 

苦楽を共に過ごした仲間への感謝と、

これから未来へ抱く希望が伝わるとにかく素敵な曲です。

 

惜別の歌にも聞こえるし、

出会いの歌にも聞こえる不思議な歌詞が連なってます。

 

でも案外、出会いや夢って、そういうもので、

消えたり、進んだり、また戻ったり、

繰り返し戯れているものだと思うんです。

 

みんなそれぞれの人生の中で、出会いと夢を繰り返していて、

たまにお互いの夢と夢がぶつかって奇跡のようなことが起こる。

 

この曲も、10代から知っていますが、

30代になってからの新たな解釈です。

 

 

バチェラー・ジャパン シーズン5を見終えての感想を述べる。

第五弾にして、今回は最高傑作とも言える物語だったことに過言はない。

 

過去のシーズン、特にシーズン3までは、

バチェラーの男性が複数の女性とデートを重ねる中で、

最初から一人の女性に目移りしている様子が窺えた。

そのため、最終的な選択がどうなるのかは予想が難しく、緊張感を楽しむことはできたものの、

彼が最初に一目惚れした女性に心が傾いていることはなんとなくうっすらと感じさせられていた。

 

しかし、シーズン4ではこの傾向が一変した。

バチェラーは複数の人とデートをしながらも、その瞬間瞬間を大切にし、

一人一人と真剣に向き合う姿が描かれる。

これはまさに、吉本隆明が語るような「恋愛は1対1の関係にしか芽生えないもの」

という考えを体現しているように感じたのでした。

 

シーズン5は、そんなシーズン4のアプローチを踏襲しながらも、

女性側の視点からも、恋に落ちる瞬間が描かれるという新しい展開があった。

 

女性参加者は、恋愛をしに来てる前提のため、

第一話から、当たり前の如く「バチェラーに恋する。」という認識があった。

ところが今回、彼女たち自身が本当にバチェラーを好きなのか、

という見極めが重要だと気づかされた。

 

今回、ラストに選ばれた女性の魅力は、そこだった。

メキシコ最後の旅のデートで見せた、恋に落ちる瞬間は印象的でした。

女性というものは男性以上に一瞬で決断を下すと言われていますが、

その美しさが、まさに描かれた瞬間でした。

 

彼女が、花火が打ち上がった瞬間の、

「このバチェラーを信じていい」という”許可する”ボタンが発動し、

まさに花火の如く、ドドドドーーン!とラストまで駆け抜ける爽快感と、

愛情の熱さは、バチェラーで、スポーツの美を見てるような、

興奮と感動を味わせてくれたのだった。

 

そんなバチェラーと共に、

 

今年も、夏が終わろうとしている。

 

 

 


朝、録画していた、YOASOBIの
「NHK MUSIC SPECIAL」を観ました。

ayaseさんと、島本理生さんの
対談の中で、ミスターという曲のラスト、
「私のこと叱ってよ、ミスター!」という表現を
ドMな女の子というニュアンスにせず、
純白なラブロマンスに仕立ることに
こだわりぬいた、言っていた。

そういえば、YOASOBIの歌詞から、
セクシーさを感じたことがない気がする。
それは、なんとなくSF的要素が、
消してくれているのかと思っていたら、
そこには「純愛」というテーマに、
作者が意図的に寄せているのかと驚きがあった。

ある程度、聞き手に委ねるのでなく、
「形」をしっかり完成して聞かせるという
YOASOBIの音楽は新しかったし、
聞き応えがあった。

サブスクによって、アルバムを通して、
聞く若者がいなくなったからこそ、
一曲の中に物語の世界を詰め込むという
新たな創作が生まれただろうと思う。

非常に、創作的で、美的だ。