(※「地上の楽園」をこれから読みたい方は、そこそこネタバレになりますので、ご自身の判断で拝読願います。)
在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業に関する小説「地上の楽園」を読んだ。
私の叔父2人が北朝鮮帰還事業で帰国した事もあり、
朝鮮総連の事、朝鮮学校の事も分からないでもない事もあり、
実際に関与したかの如く、、、、
私からしたら、、、、、
重い、、、、、。
途轍もなく重い小説内容でした。
(※小説を読み、、、、、今日はこの節まで、、、、、、、、と、読み終わった後、普段の気持ちに入れ替えるのに、1時間は要しました。)
今から書くのは小説の内容を踏まえて、実際に私の家族、親族でも実際に有った事を思い出しながら、小説と実際の話を書こうと思う。
小説の「第1章」では、大阪生野区猪飼野で、帰国前の様子が書かれていて、、、、、
北朝鮮を礼賛する寺尾五郎の「38度線の北」と言う書籍に心奪われて、共和国に心酔する主人公「孔仁学」
喧嘩ばっかりして、愚連隊にも入っているもう一人の主人公「玄勇太」
小説を読んでいると、フィクションではあるが、事実を基づいて書かれているので、ノンフィクションに近い。
作家の月村了衛さん、かなりしっかりと裏取りしてはるな、、、、と読みながら感心したくらい。
(知らなかった事もあったりと)
以前読んだ 著者 黄民基さんの「猪飼野少年愚連隊ー奴らが哭(な)くまえにー」にでも書かれていた「真田山事件」など、その時代の詳細をきっちり描かれており、日本人から、日本政府からの差別の程度が、今とは雲泥の差くらいに、段違いに違った差別を受けていた事を事細かに書かれている。
日本に居てても、健康保険は入れない、仕事で怪我しても会社からの補償は無い、学校ではあからさまな差別、、、、、、などなど。
絶望の場所で、この先どうして行ったらエエのか、、、、、と言う時の共和国 南日外相への手紙を川崎の同胞が送り、帰国の道が開かれる。
寺尾五郎の「38度線の北」と言う書籍に心奪われて、共和国に心酔する主人公「孔仁学」は、各家庭を訪問して、共和国の良さをアピールして、北朝鮮に帰国を促す。
1959年12月14日、ソ連から借りた「クリリオン号」「トボリスク号」で第1次帰国船出港。
北朝鮮に帰国した方から手紙が来る。
「共和国で何不自由なく住んでます。特に心配なさら無い様にお願い申し上げます。つきましては、靴20足、タオル20枚、ハブラシ20個、洗剤20個、、、、、、、、などと無心する手紙」
手紙の前置きは国家に対する美辞麗句をひとまず書いて、検閲逃れにし、必要物資を無心。
小説には上記内容の様に書いてますが、実際に知っております、同様の事を。
どんな内容かと言うと、
兄弟で共和国に帰国しようとしていた時に、兄が先に共和国に行くと決め、共和国が本当に良かったら、横書きに手紙を書く、共和国が良くなくて、日本に居とけとする場合は縦書きに書くと、兄弟同士での約束事。
数か月後、先に帰国した兄から手紙が来る。
「金日成首相の計らいで何不自由なく生活して、感謝をしている、、、、、毎日が楽しい生活を送っている、、、、、」
すべて「縦書き」
また違う内容だと、「金日成首相の計らいで何不自由なく生活して、感謝をしている、、、、、ここは釜ヶ崎の様な場所で毎日が楽しい生活を送っている、、、、、」
西成のあいりん地区の様な場所で毎日が楽しい生活を送っている???となって、共和国には来るなと暗に連絡した内容もある。
あと、小説では数か月後、帰国した人の切手の裏側に、
「ここは じごく ぜったいくるな」と書かれているとの内容。
これは、実際にあった内容をモチーフにしたのがすぐに分かった。
モチーフにしたのは下の画像、
小説では、帰国した人から無心の手紙ばかり来て、「地上の楽園」ちゃうやないの!と、主人公孔仁学に詰問する同胞。
それに耐えきれず、総連の事務所に行って共和国の地上の楽園は嘘なのか?と支部委員長に問い質すが、学生の孔仁学と大人の言い争いは学生の孔仁学君にはなすすべもなく。
そして、孔仁学君は組織から「裏切り者」扱いになる。
孔仁学の妹は朝鮮学校で、裏切り者の妹と言う事で、学校の指示で同級生全員からビンタされ顔が腫れ、人間不信に陥る。
自分の信じていたのは何だったのか、、、、悶え苦しむ日々を過ごす孔仁学。
小説の「第2章」では、もう一人の主人公 玄勇太の帰国状況の内容が書かれていた。
小説やから、誇張する事もあるかと思うが、内容が悲惨過ぎて、読むのがつらかった。
「地上の楽園」と夢見て来た地が「絶望の地」。
清津港で絶望からその場で4階から飛び降りた女性など、食べるのが辛い事など、配置先が僻地になるなど、自分のしたい事が出来ると思って来た人達は国の管理下におかれ、個人の希望などもってのほか。
そんな辛い中でも、玄勇太は同じ帰国同胞同士の妙子と結婚。
この妙子が東京都江東区枝川出身。
私からしたら、玄勇太の「猪飼野」は、「近所」だし、妙子の「枝川」は今とても知っているトンネ(町)なので、すごく縁を感じた。
玄勇太と妙子の間に娘が産まれるが、楽しい生活を時間はあまりなく、玄勇太と妙子は強制収容所へ。
その生活もかなりの内容だ。
脱獄するのも一苦労、それを何とかやり切って、中国の国境を超える。
そして「終章」、、、、、、
2002年のサッカーワールドカップが開催された後の日本から始まる。
勇太と仁学は会うのだが、色んな葛藤を持ったまま時間を過ごし、在日朝鮮人、帰国運動、その時の情勢など、今までの事を全て洗いざらいする事を今後進める事で話がひとまず終わる。
簡単に書いたらこんな感じやけど、何しか重たかった。
小説の内容は以上にして、ここからは私の身内の共和国、帰国同胞に関する話になるが、
共和国に居てる私の従兄弟も帰国同胞同士の家系で結婚した。(帰国同胞と本国の人が結婚なんか、余程の事ないかぎりあり得ないこと)
ディア・ピョンヤンの映画を出したヤン・ヨンヒ監督(私の高校時代文法の先生)の兄さんなんかは、ヤン・ヨンヒ監督のご尊父が総連大阪府本部副委員長だった事もあり、本国の現地の方と結婚されてた。(こんなん稀!!やと思う)
ふつーは、帰国同胞同士の出身成分が同じ位の人達同士で結婚。
あと、共和国の人達は帰国した同胞の事を「帰国同胞」を略して蔑んだ「帰胞(クィポ)」か「在日同胞」を略して蔑んだ「在胞(チェポ)」とか言うが、在日同胞も負けてません、本国に居てる人を「原住民」または「原住民」を略して「原ちゃん」、全く分からない様に言い換えて「ゲンゴロー」などと言って抗っていた。
私の従兄弟が高校時代に模範班(優秀クラス)になり、その時のご褒美が共和国短期訪問(3週間くらい)やって、ピョンヤンから離れた郊外にバスに乗っていたら、石持って投げつけ、「トラガラー(帰れ!)」って叫んだ婆さんがいたらしい。
従兄弟はびっくりして、日本から観光に来た若い学生にこんな事するんやと驚いていたのを話していた。
その婆さん、それからどうなったんやろ、、、、、やっぱ、遠い所へ連れられて行ってしまったんかなぁ、、、、、、。
私の高校時代には、模範班(優秀クラス)制度が無くなり、全員が修学旅行で共和国になった。
叔父が二人帰国したから祖母がよく物資を送っていたが、
今回私が共和国に行く事になり、母が手土産買わないと!!!!と、、、、日本の物資をいっぱい買って一緒に送った。
(段ボール箱1人10箱までと「制限」があったから、10箱送った(南浦の叔父に4箱、平城の叔父は子供が多いので6箱)
共和国で初めて会った叔父や叔母から、ちゃんと物資頂きましたと言われ、日本から送る物資を横取りする共和国の官僚が多い事を知る。
そして、私が着ていた青色のジャンパーも着ないから送ったのだが、もう既に着ていたが高校生の時のビックリした思い出だ。
大学生時代、特別講習所で2ヶ月ぐらい住み、朝は講義、昼から実地講習と言う名の色んな所を見て回る。
高校時代にこんな国、制度だと言うのを知っていた事もあり、まだ何とか耐え抜いた(笑)
そんな中、偶然にも南浦(ナムポ)の叔父夫婦がピョンヤンに居てて、あの集団は日本から来た子じゃないと、偶然私を見つけてくれた。
大学の先生からも特別許可を貰い、今日は叔父さん達と一緒に食事しておいで、、、と、なりまして、一緒に行動。
南浦(ナムポ)の叔父夫婦がピョンヤンの帰国同胞の家に挨拶に行くのだが、そこに一緒に入らせて貰ったら、昔からある電話帳など、全て日本から持って来た物ばかり。
(ここが、ピョンヤンの一般者の住まいで帰国同胞の住まいか、、、、、、、、)と、辺りをじっくりみたのは今も記憶している。
そして、特別講習所で2ヶ月生活も終わり、帰りたくて帰りたい、、、、やっと日本に帰られるとの事で元山(ウォンサン)港の海辺で佇んでいたら、すっと近寄ってくる女性。
そして、私達に言う「ジャコウ買えへん?」と、、、、
こんな所で関西弁聞けるとは、、、と「どこ出身ですか?」と日本語で尋ねたら、「大阪の西淀川出身」と言ったあの女性。
そして、また私達に言う「ジャコウ買えへん?」と、、、、
しつこく言ってくる、、、、「ジャコウ買えへん?」と、、、、
あまりにもしつこかったので、「買うとあとでややこしくなるから買われへんですわ、、、、」と言ったら、すっと何処かに行ったのだが、、、ふと、私が周りをみたら監視員が、、、、、、それが居てたからかも、、、、とぞっとした。
そのオバチャン、ここ(北朝鮮)で、かなり苦労されてはるんやろうな、、、、同郷やし、、、買ってあげたい気持ちもあるけど、、、、、、あの女性今も元気に居てはるんやろうか、、、、と、このブログを書きながら思い出す(あれからもう30年経ってる)
2000年にも100名くらいの代表団の一員として行って来たが、その時に叔母から手紙を預かり、日本へ帰り母へ渡す。
内容が、見たこともない義姉さんに言うのもおごかましいけど、私も女性なので、化粧をして女性らしく生きたいので、どうか化粧品を送っていただけませんかとの内容。
私の母、怒ってたなぁ(笑)
食料送ってならともかく、化粧品送ってって、飯食べれているやん!ってご立腹やったのを思い出す(笑)
まぁ、帰国同胞に関して色んな事を思い出すが、、、、、
「地上の楽園」を読んで思った事。
まず、
総連の専従活動家が私腹を肥やした事が書かれていたが、当時は居たのだろう。
帰国同胞の財産を総連に捧げた人、多いもんなぁ。
義兄の父親も北朝鮮に帰国するために、青森の持ちビルを全て総連にあげたって言ってたもんな、、、、それが初代総連青森県本部だったって言う話やから、そんな話何処にでもあったんやろうな、、、、、。
ただ、私が知っている今、、、、、、そしてちょっと前くらいに頑張っている総連の末端に居てる専従活動家は、、、、みんな生活質素。
あと、
小説に書かれていた内容の中、日本での苦悩、色んな葛藤、帰国した方達の苦労、抑圧、監視、、、、、全て実話だろう。
そして、読みながらホンマに思った事。
日本に居てる事に心から感謝、、、、、、
と、言う事。
そして、その時代、その時代に自分自身が生きていたなら、
私は日本に居残ったのか、それとも共和国に帰国してたのか、、、、、と思うと、、、、、
身の毛がよだつほどゾッとした。
身の毛がよだつほどゾッとしたと言う事は、北朝鮮に行っていたかも知れないと自分自身思うからだ。
なので、本当に日々の日本での生活について有難く思えた。
そして日々色々あるが、それでも生活させて頂いている事に感謝。
(※色々とあるのはあるが、言いたい事もあるが、日本と言う国には感謝)
日本に感謝と書いたら、反発する同胞も居てる事も知っている。
(差別、権利など未だ成し遂げてない事が多いのも知っている)
そして、在日朝鮮人の話は歴史をまず知らないと行けないと言われるだろう、
その歴史も或る程度理解した上で感謝と言う言葉を自分の主観として書いているので、ご理解つかぁさい。
私が言いたいのは、北朝鮮での生活をやってきた叔父達の話を知っているだけに、今の日本に対しての比較対象で有る事なので、そこんとこご理解を、、、、、。
まぁ、最後に強引に締めくくりますが、、、、
ネタバレ含めてもこの小説は、「在日朝鮮人」の歴史的な内容を凝縮して書かれているので、読むのが辛くなる時もありますが、読み応えバッチリの良書で御座いました。

