おはようございます!
AYAMIですニコニコ


「自分軸」「他人軸」について考えていたら
どんどん深掘りしすぎて
どんどんまとめたくなってしまったので


もうちょっと続けさせてくださいお願い


前回、前々回の記事も貼っておきます
合わせて見てください照れ



 100%「自分軸」 100%「他人軸」ではない!





「自分軸」「他人軸」2本の軸の間でグラデーションがあると考えています


“軸”なので基本姿勢というか
それを中心に周りにも動くというか…


そしてその時の状況に応じて、変わってくるものだと思っています


でも他人軸100%で生活してしまっている人は
自分という器はあるものの
中身は他の誰かが入り込んでいる状態


それは絶対しんどくなるし
時には病気になってしまうこともあるだろう



 中身を自分で満たしていく




自分を自分で満たしていく



それこそが自分軸で生きていくということなんだと思います



 じゃあ自分軸ってなんやねん?



自分軸=自分の価値観に沿って物事を選択しながら生きていく
ということ


きっと他人軸の割合が多く生きてきた人にとっては

自分の意見を出すなんておこがましい
そんなに大事なことじゃない

など思ってしまって

どこかで罪悪感を抱いてしまうこともあるかもしれない


そこで必要となるのは
3本目の「社会軸」である


自分も他人も満たされる


この概念を知ったとき
「これや!」
ってめっちゃ納得したし、これを目指していたんだと
めっちゃ自分の中でスッキリした


私は今思うと他人軸の割合が多めで生きていて
それは何か決めるときに
自分の意見ではなく
相手の意見を聞くことが
「他者貢献」であると思っていた


私の意見を出すより、物事がうまく進んでいることを重視する


揉めるほうが迷惑


みんなで決めたことであるなら
それについていくのが正しいと思っていた


それがみんなのため=他者貢献
相手の要望を聞く=他者貢献


他人軸と他者貢献にはやはり境界線があると思う


その線は
自分を犠牲にしていないか


時間・お金・体力...


自分のためにするべきことを後回しにしたり
睡眠時間を削ったり
お金に余裕がないのに、ほかに使うべきことがあるのに使ってしまったり


自分の身体や心を削って生きていくのは
これは他者貢献ではない


他人軸の精神にどっぷりつかっている人は
それに気づかない場合がある


そして入りは自分の意見であっても
そのうち他人の意見を採用してしていると
他人の意見=自分の意見になってしまっていることに気づかない


この言葉にも気づかないこともあると思う


それに気づいたとき
そこかで違和感が出てきたとき


そんな時こそチャンス!


まずは『気づく』
大事!