田舎の一番西端の部屋、そこは来客の間だった。明治の頃に隠居部屋として、母屋からそのまま行き来できるよう2階建てで、蚕室、つまりお蚕さん目的もあったと聞いている。
縁側から下座敷前を通りふすまを開けると一応床の間が正面にあり、その左手南側に硝子戸の本棚があった。そこには、様々な書籍が並び、一番目立ったところにあったのがオレンジ色の漱石全集、何冊あったのか覚えていない。ネットで調べてみたら28巻プラス1で29冊、岩波文庫。
わざわざ硝子戸を開けて取り出して読む気もなく、寝転んで読むことなどできそうもないから、専ら手軽な文庫本ばから読んでいた。
金曜日、何故か先週に引き続きお休みとなり、駅南の図書館に赴く。9時半、お目当ての日経新聞は、背後から知らない人がさっと横取りし、しかたが無いから手提げバッグを片手にフラフラ歩いていた。空いている机へ向かう角の本棚で、目にした本が、「牛のようにずんずん進め、夏目漱石の人生論」、齋藤孝、2016年11月。
タイトル名と、著者名をみてすぐ手に取り、机に座りメモ帳を用意した。
メモはA4サイズ1枚に 鉛筆書き。それは改めて別記するが、何故この本なのか。
先ず、漱石といふ明治の古典ともいへる作家の名前と、その表紙デザイン。
没後100年の企画として、まとめたもの、、
4年前の本、当時の思い出したくない記憶もあるが、、、、
そして、その著者名。面識があるわけではないが、昔、無名の大学講師だった著者のお母さんから、読んでほしいと手渡されたことがある。複数の引っ越しで、その本はどこかに紛失してしまったが、胆力がどうのこうのとか、変わった内容だとしか覚えていない。いつの間にか、メディア、電気紙芝居の常任コメンテーターにもなっていた。
改めて漱石の「立ち位置」が、この本から浮かび上がってきた。倫敦から帰国後のこと、「我が輩は猫である」執筆開始のこと。子規や、虚子との関係など、さらに、内田百閒、芥川龍之介、鈴木三重吉、上田の久米正雄、諏訪の岩波茂雄など、枚挙なし。
漱石は、死ぬまでに、5回以上大きな胃潰瘍を患っていたらしい。様々な俗説が飛び交うが、腹腔内に大出血を起こさせるような事態に無頓着だったのはまるでわからない。
49歳で急死となった漱石。遺作は「明暗」らしいが、私は、田舎の本棚の記憶も重なってずっと「硝子戸の中」と思っていた。