晴れた日曜日のBBQ、続き。
友人夫妻YGのプランが不明瞭。そこで駅に着く時間の打ち合わせと、同時にBBQメンバーへの連絡。ところが、ところが困ったことに、YGからは無反応。LINEが重宝するのは、相手がキャッチしたかどうかが直ぐ判るから。それゆえに、小学校のガキどもは、仲間の連絡に使うものの、うっかり見逃すとさータイヘン。ドングリころころ処ではない。
仲間はずれどころかイジメの対象にもなるというオソロシキもの。
でも、私らの世代にもなると、半分は物忘れしているから、こうした急ぎの時は電話しかないだろう。
でー、ヤムを得ないから信号待ちの時間にLINE通話をする。ミッコク社会なら警察のお世話になる危険な行為だが、数回繰り返してようやくコンタクト可。時間を見ると、とても間に合わないからと躊躇するが、なぜか相手の押しに負けてしまう主体性欠如のワタクシ。
ともかくも、貴重な時間が少なくとも1時間は失われた。ままよと、わが家でBBQが始まる。
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楽しいときはあっという間に終わる。日が傾く頃、そそくさと後片付けをして車に乗る。
来た道とは別のルートで田舎の風景を見せる。そして昼に荷物だけドロップしたホテルに着く。
私は、チェックイン手続きをする間、ロビー脇のラウンジにあった小型のグランドピアノに眼を奪われていた。白く塗装されたものでメーカーは不明。傍らの掲示を見ると、19時以降に計4回の演奏時間がある。
私は、ドイツのボンかどこかの教会を思い出す。ベートーベンのゲブルトハウス(生まれた家)近くだったと記憶する。有名な月光の曲を聴きたがったが、生憎スケジュールが合わなかった。あのバカでかい補聴器を使ってまで作曲した「楽聖」。でも、ルービンシュタインのW.A..Mozartが耳に残っており、手始めにとBach のInvention からMozart no曲をうちのチビどもと一緒に始めた。
調べてみると、Beethoven は1787年、16歳の時、ウィーンに行き、当時著明なピアニストであった31歳のMozartと会っている。Mozart が”アイネ・クライネ”や交響曲(私個人的には好きではない)を量産した時期で、その時どのような会話がなされたのか興味深い。
で、その小さなピアノ。かのドイツやオーストリア作曲家が使った小さなハープシコードとは音量は勿論弾き方も異なっていただろうが、アプライトとグランドも勿論タッチが違う。空手で指を鍛えているピアニストもいるから、ピアニストは繊細な指では勤まらない。
などと、あれこれ思いだしているうちに、ラウンジの一角へ座る。
夕の帳がゆったりと降りてくる小一時間、とりとめもない会話が心地よい。
BGMなしで、会話をエンジョイできる贅沢さを満喫できた。